お気楽読書日記:10月

作成 工藤龍大

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10月

10月08日(その二)

柳生宗矩の「兵法家伝書」を読んでいます。
中味が濃いですね、この本は。
ただの剣術の本だと思っていると、大間違いです。

「進履橋」(しんりきょう)という書き出しの部分は、新陰流の技法目録みたいなものです。
「三学」「九箇」「天狗抄 太刀数八」「右のほか太刀数六」「三九廿七の截相」という奥義の名前を並べているだけで、実技を習得している人でなければ何のことやら、さっぱりわかりません。

もっとも、こんな名前にとらわれずに臨機応変に身に付けた技をふるうようにと、宗矩は書いています。
要は、勝たなければ意味がない。
「太刀さきの勝負(かちまけ)は心にあり。
心から手足をもはたらかしたる物也」


これだけで、感心してしまいます。
「兵法家伝書 上巻」に進むと、「殺人刀」という物騒な名前がついています。
時代小説ファンなら、「さつじんとう」とは間違っても読まない。
あの有名な柳生新陰流の「せつにんとう」ですよ。

「兵法家伝書」は上下二巻に分かれていて、上巻が「殺人刀」そして下巻が「活人剣」となっています。
下巻はもちろん「かつにんけん」と読みます。

これだけで、剣豪小説の好きなわたしはどきどきしますね。(笑)

さすがに剣豪だけあって、宗矩は物騒なことを書いています。
原文をそのまま引用するのも、自己満足がすぎるかなと思うので、かいつまんで説明します。

「人を殺す兵法は、万物を生かす天の道に反している。
だから、天は殺人の技を憎む。
しかし、やむをえない場合には、殺人もまた天の道にかなっているのだ」と。

なぜかといえば、
「花が咲き緑が芽生える春の風もあれば、葉が枯れ落ちる秋の霜もある。
これも、天の道だ。
悪が運良く栄えることもあるが、あまりにも悪行が耐えがたくなったときには、これを討つのが天の道というべきだ」

「一人の悪に依りて万人苦しむ事あり。
しかるに、一人の悪をころして万人をいかす」

こういう場合には、殺人の技も肯定さるべきだというのです。
「これら誠に、人をころす刀は、人をいかすつるぎなるべきにや」

乱世に生まれた剣法としては、当然の哲学――といわざるをえない。
それを今の価値観で評価しても、仕方がない。
その中に流れる真意を汲み取るべきでしょう。

生死を賭けた勝負の場で生き残るために、人はどのように振舞うべきか。
その答えを、これからおいおい学んでいきたいと思います。

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10月08日

日本はお休みですが、中東は大変なことになっています。
かなりあぶない雰囲気です。

今朝(9日)はイスラエルのネット新聞を読んでいましたが、「エルサレム・ポスト」紙をみると、バラク首相は今回の暴動事件の火をつけたアリエル・シャロン(リクード党首)らと手を組んで、挙国一致内閣を作る調整に入っています。
その他、参加を呼びかけられた各野党のトップは、ここぞとばかりに日ごろの鬱憤を晴らしています。

「平和のパートーナーなど、イスラエルにはいない。この厳しい現実を直視すべきだ」
「オスロ合意の立役者 Yossi Beilin を政界から引退させろ」
などなど、イスラエルのタカ派が一気に勢いづいている様子がわかります。

バラク首相でさえ、土曜日の記者会見では「平和のパートナーなどいないのだという辛い事実を直視すべきときが来た。それを踏まえた上で結論を出さなければならない」と宣言しています。
その結果がアラファト議長に二日以内に暴動鎮圧を要求する最後通牒です。
不可能だった場合には、挙国一致内閣で戦闘状態に突入する。
バラク首相は、とっくにそれを覚悟しているはずです。

どのみちアラファト議長に、そんなことは出来ないのは明白ですから。

ところで、10月はユダヤ教にとって、新年となります。
イスラエルはヨム・キプールというユダヤ教の祭日があります。

ユダヤ暦で現行使用される「政暦」(Civil Calendar)で第一月にあたる「チスリ」というのが、グレゴリオ暦(わたしたちが使っている暦)で9月−10月にあたります。
ユダヤ暦は紀元前3761年を創世紀元とする太陰暦です。

そういえば、「エルサレム・ポスト」の更新日時欄に<Tishri>という見慣れない単語がありました。
あれは、そういう意味だったのか! ひとつ物知りになりました。

そのチスリ月の第10日目が「ヨム・キプール」の日。
新年ではありますが、ユダヤ教の定めでは断食しなくてはならない。

これをついて、1973年の第四次中東戦争ではエジプト・シリア連合軍がその頃「ヨム・キプール」にあたっていた10月6日に総攻撃を開始しました。
それで、第四次中東戦争は「ヨム・キプール戦争」というのでした。

ただし今年の「ヨム・キプール」は10月8日(日曜日)です。
太陰暦なので、太陽暦とはずれがあります。
だから、「ヨム・キプール」がいつもわたしたちの太陽暦の10月6日になるわけではありません。

イスラエル軍ではこれを気にしていて「断食の影響はないから安心してくれ」とアピールしています。
いよいよきな臭い感じです。

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10月07日(その二)

読書日記と思ったのですが、午後早くから一杯やってしまいました。
神亀という埼玉の地酒の、純米吟醸です。なかなか美味。
おかげで、たちまちいい気分で寝てしまいました。

何か書こうと思ったら、こんな時間ですからね。
どうもボーッとしています。

昨日も、気ぜわしく日記をアップしたら、とんでもないミスをして、恥ずかしいったらない!
まだ酒も抜けないから、ちょっとあぶなくって。(笑)

そういうわけで、今読んでいる本の報告と、明日の報告をちょっと。
いつも読んでもらっているのに、すまんこってす。

「兵法家伝書」という本が岩波文庫から出ています。
著者はもちろん柳生宗矩。
十兵衛の眼をつぶした父で、石舟斎の不肖の息子。
おやおや、それじゃあ隆慶一郎ワールドになってきたぞ。極悪人秀忠の手足となって大御所家康の生命を狙う裏柳生のボス……って、いい加減にせんかい。

宗矩はまぎれもない時代小説のヒーローなのですが、善人説は山岡荘八さんの「春の坂道」までで、あとは暗殺集団の首領扱い。
なんだか気の毒な剣豪です。

だいぶ昔になりますが、宮本武蔵の「五輪書」は何回か読んだことがあります。
もしこんな心術を仕事に生かせたら、今ごろはベンチャー企業の社長になれたでしょうが、そういう才覚がないことだけはわかりました。
勝負師とはそういうものかとひたすら感心するばかりでした。

ところで柳生新陰流の奥義を書いた「兵法家伝書」は、尾張柳生直系の師範に学んだ津本陽さんご推薦の本でもあります。
渡る世間は敵ばかりの男にとって学ぶべき鉄則が、山のように溢れている宝庫だとか。

体育会系の資質はゼロでありますが、剣豪柳生宗矩の「心法」を学ばせていただくべく、本日より柳生新陰流(紙上)道場に入門させていただくことにしました。(笑)

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10月07日

いきなり訂正とお詫びです。
寝ぼけ頭で書いたせいか、とんでもない間違いをしていました。

一昨日の地震は「鳥取西部地震」でした。
あれをどういうわけか、島根だとばかり思っていました。

しかも、境港市を島根県だとは!
地図で調べたら、鳥取県です。
「あれあれっ」と呆れた人も多いはず。我ながら、ハズカしー奴です。

これで中国地方に詳しくないことが、とことん分かりました。
反省しています。

境港市は弓ヶ浜という半島にあります。弓ヶ浜は砂洲が発達して出来た半島で、中江ノ瀬戸という開口部をはさんで西の島根半島と接しています。
弓ヶ浜と島根半島に囲まれた潟湖が「中海」。

地図でみると、弓ヶ浜は細い梁のように中海と日本海を隔てている。中海の南側と島根半島はもちろん島根県。
つまり、ひょろーんと橋がお椀の上にのっかている形で、鳥取県が島根県に進出しているのが弓ヶ浜。
ろくすっぽ物を知らないやつがみたら、単純に誤解するな、これは。
出雲大社内の建物が倒壊しているのがさらに先入観を助長してしまった。
TV画面を見て、勝手に誤解したのだから――やはりアホでした。(泣)

ところで、ユーゴではミロシェビッチ大統領が敗北宣言をしましたね。
ロシアにまで見放されたのが運のつき。

その後の進展が気になります。
はたしてユーゴはミロシェビッチを国際戦犯法廷に引き渡すのか?
新大統領はそんな気はないといっていますが、それでは西側から経済援助を引き出すのは無理だと思います。
さらに、セルビア保安部隊への懲罰はどうなるのか。
やはり、国際世論を考えるとやらざるをえないでしょう。

いろんなことが気になりますが、昨日のポカみたいなことをやっているようでは、語る資格なしですね。(笑)

とはいえ、しばらくこの方面について英文の国際ニュースをネットサーフィンしてみるつもりです。
そのときは、ちゃんとしたのを書くつもりですので、よろしく! < こ、こりない奴!

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10月06日(その二)

昨日の続きです。
前日の読書日記は、本当に書きたいことにいきつかないうちに、余談が長くなりすぎました。

なぜ藤沢さんの古い追悼特集のことを書こうとしたかという理由から、すっぱり始めるべきでした。

昨日も司馬遼太郎さんの名前を出しましたが、そもそもの動機は司馬さんの追悼特集記事にあります。
司馬さん本人の書いたものではありません。
今も出版されつづけている司馬遼太郎をだしにした雑誌や本。
それに対する違和感なのです。

はっきりいえば、そういうものに執筆している人たちの雰囲気にたまらないものがあります。
おのれの知識・見識を司馬さんをだしにして誇っている嫌らしさというか。
「どうだ、おれはこんなに頭がいいんだぞ。恐れ入ったか、下郎! 頭が高い。頭が高い!」 という肚の底が見え見え――という気がします。

「こんなにオレは偉いんだ。おまえら下郎にはわからんだろうがな。
司馬のやつも、オレの偉さがわかっていやがった。ガハハハハっ」
大学教授から与・野党政治家にいたるまで、みんな判で押したように同じですね。

そこに対して、藤沢さんの追悼記事を書いている人たちは、みななごやかだ。
まるで幼い少年・少女が恋文を書いているように。

司馬遼太郎さんを語る人々は誰しも口をひんまげ、あるいは突き出し、口臭にまみれた唾を飛ばしながら、言葉を吐き散らしている感じがある。
でも藤沢さんを語る人たちは、初恋を思い出すみたいに、心のなかに秘めた思いを恥らいながら告白している。

なんなんだろう。この違いは。
――結局言いたかったことはこれだけなんです。

その答えがよくわからんのです。
理屈ではある程度は把握しているけれど、ハートにしっくりこないんです。

ここがわかれば、大勢の人に読んでもらえる本物の歴史小説が書けると思うのですが……

時代ということも少しは関係あるとは思います。
そういうつもりで昨日は書きました。

ただ、まぎれもなく時代の流れに乗った司馬さんと違って、藤沢さんに関して言えば、創作の根幹に時代性という外部的なものが大きく作用していたとは思えない。
小菅留治(藤沢さんの本名)という人間の魂そのものに、藤沢作品の秘密がある。
そのことは間違いない。
結局、だれもが簡単にわかる結論に落ちついてしまいました。(笑)

そもそも、この短い読書日記でかんたんにまとめられる問題じゃない。
答えは別の形で出すべきしょう。

藤沢周平さんの魂の秘密とは何なのか。
そのことは、どうしても解き明かさなければならない宿題のようです。わたしにとって。

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10月06日

昨日の島根県鳥取県の地震は、大変なものだそうですね。
マグニチュードは、7.3だとか。
阪神大震災よりも0.1だけ大きいそうです。

ただし地震そのもののエネルギーは阪神の半分で、地殻に連続して断層ができたから被害が大きくなった。
そのように、発表がありましたが、わかったようなわからないような説明だなと思います。
こういう中途半端な説明は好かんです。
どっかの科学雑誌がきっちり特集してくれるのを期待しています。

それにしても、これが東京で起きたらと思うと――心配ですね。
被害にあった方々に月並みな同情の言葉を書くほど、傲慢にはなれません。
「明日はわが身」という言葉が頭のなかにちらついて。

関東大震災のときには、わたしが住んでいる場所でも地割れがあったと近所の床屋さんが言っていました。
その頃は田んぼや畑しかなかったこの町も、いまでは住宅地が密集している。
もし大地震がきて、火事になったら……

TVや新聞で見る路面の地割れは生々しかった。
わたしみたいな埼玉都民でさえ、かなり怖い。東京都民なら、なおさらでしょう。

ところで島根県鳥取県には親類縁者がいませんが、ちょっと気になる場所があります。

他でもない漫画家水木しげるさんの出身地・境港市。
あそこは、震度6ですからね。
境港市といえば、7月6日の日記でも紹介したことがある名所があるので有名です。
ゲゲゲの鬼太郎やネズミ男の彫像がある商店街の「水木しげるロード」。
それに一反木綿をモチーフにした鳥居のある「妖怪神社」。
あそこは大丈夫だったのでしょうか?

水木ファンとしては、つい気になります。
「それどころじゃないっ!」と、まじめな人には怒られそうだけれど。

もし、そのあたりに住んでいる方がいたら、教えていただけると嬉しいのですが。

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10月05日(その二)

最近下ネタが多くなって反省しています。(笑)
いつも、そんなことばかり言っているわけではないのですが……

ところで――読書日記です。
ひさしぶりに本棚を整理していたら、文藝春秋臨時増刊「藤沢周平のすべて」という雑誌を掘り出しました。
平成九年の四月に出たものです。

藤沢ファンならみんな知っていますが、平成九年一月ですね。
藤沢さんが亡くなったのは。

この雑誌が書店に並んだのは、三月くらいでしょう。
かなり分厚い雑誌です。

調べてみたら、藤沢さんが世に出たのは、ドル・ショックの1971年(昭和四十六年)。
「冥い海」という作品で、オール読物新人賞をとったときでした。
そのとき藤沢さんは、四十四歳。食肉関係の業界紙で記者(じつは編集長でした!)をしていました。
この作品はこの年の直木賞候補となりました。ただし受賞はしていません。

なぜ、そんな分かりきったことを書くかといえば、藤沢さんという私たち読者の魂の癒し手となる作家の出発点として、これほどふさわしい年もなかったと思うからです。

このことは他の作家と比べてみれば、もっとはっきりしてきます。
たとえば、司馬遼太郎さん。
司馬さんが「梟の城」で第42回直木賞を受賞したのは、1960年(昭和三十五年)。
池田内閣の所得倍増計画で高度経済成長がはじまり、激動の六十年安保がはじまった年です。
そして、司馬さんの代表作といえば、やはり「竜馬がゆく」と「坂の上の雲」。

このどちらも、国威発揚の国家的プロジェクト・オリンピックと奇妙に重なっています。
「竜馬がゆく」が完結したのは東京オリンピックの年。
「坂の上の雲」が完結したのは、札幌オリンピックと沖縄返還の年です。

「ああ、そんなこと知っている」って。
そうですよね。日本人の常識だもの。

では、司馬さんが最後に書いた小説は?
「『韃靼疾風録』に決まっているだろ!」
はは、そのとおり。

これは1987年(昭和六十二年)に刊行されました。
ところで、日本の円相場が急騰しはじめるのが、前年の昭和六十一年なのです。

司馬遼太郎さんの創作家としての生涯は、日本の高度経済成長とともにはじまり、バブルが始まろうとする頃に終わっている。
その後の司馬さんは、狂い始めた日本という国を憂える文明批評家になります。

これとまったく対照的な創作人生を歩いたのが、藤沢さん。
オイル・ショック以後の不景気を耐え、バブルの狂騒に痛めつけられたこの国の読者を慰めて支えてくれたのが、藤沢周平さんであることは間違いない。

もし、この人がいなければ、日本語で書かれた小説が人の心に慰めをあたえてくれるなんて、だれも思わなくなったはず。

80年代と90年代前半に現れたのは、当時の若者向きの作家さんたちがほとんどで、三十歳を過ぎた人にはなじまない。
いまあの頃の話題作なんて読む気にならんでしょう。

藤沢さんの追悼雑誌を読んでいると、意外なことがわかりますね。
藤沢さんは決して先輩作家たちに認められていなかったようです。
とくに直木賞の選評なんか、ひどいもんです。
九人の委員がみな褒めるのは、同時受賞した長部日出雄氏で、藤沢さんには仕方なく入れたという口ぶりです。
「新しいものが何もない」
というのが全員の意見で、選評もおざなり。

「だったら、なぜ受賞させたんだ」
と突っ込まれないための予防線でしょうか。じつは出版社のほうで受賞者を出したかったという裏話めいた口ぶりの人もいる。
どうやら柴田錬三郎氏が将来性を買って押したようですね。それに不承不承、司馬遼太郎さんと水上勉氏・村上元三氏が賛成したらしい。

将来性については、この四氏はみな認めていた。まあ、今後飛躍するための贈り物という気分だったようです。

まさか、この人が国民的作家になるなんて、だれも想像もしていなかったでしょう。
たぶん、長く記憶に残るという点でいえば、選考委員のだれよりも優っているかもしれない。
今生きている人をのぞけば、司馬遼太郎・松本清張・柴田錬三郎ぐらいでしょう。本屋にあるのは。

小説なんて、しょせん娯楽なんだから、それが当たり前。
死んでからも売れつづけることのほうが異常なんですよ。

話が長くなりそうなので、続きはまた明日。

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10月05日

おおおおおっ、と!
なんだ、このアクセス数は!

一日で70ヒットなんて。
ここを開設して以来のヒット数!

小心者なので、動揺しています。
なんか悪いことでもしたかしら?

とにかく、びっくりしました……です。
たまには、こんなこともあるか。
――気を取り直して、雑談モードです。(笑)

ところで、昨日書いた刃物男は、放火の常習犯だそうです。
なんでも始発ぐらいに事件を起こした西武線の西武拝島駅にやってきて、ずっと刺す相手を物色していたとか。
女子高生は1時間目が選択科目だったので、2時間目から登校するために、9時頃に同駅にいた。
ワイドショーでは、髪を書きあげたところをブッスリ。全治三ヶ月の重傷。

「怖い!」というより、刃物男の卑劣さに腹がたつ。

ラッシュ時には隠れていて、人が減った頃に、セーラー服の小娘(失礼!)の油断をみすまして、ブスリなんて、まるで蚊かブヨじゃありませんか。

刃物男じゃなくて、蚊ですな。蚊男。

しかもサラリーマンとか、おばさんとかには、意気地がなくて近寄れない。
たぶん、OLのおねーさんもだめ。

セーラー服姿に攻撃心をかきたてるとは、あきれたロリコン。いや、ロリコン蚊男と言わずばなりますまい。

情けなくて涙が出る。

一日前に出所したばかりで、職がみつからなかったとはいえ、することが短絡的。
しかも、やり口が卑怯すぎる。

そうかと思えば、ロス在住邦人の50歳男が38歳の妻と5歳の娘を殺したという事件もありました。
こっちは、服にダイバー用の錘を入れて海中に沈めた。
致命傷はないけれど、顔を向き合わせる形で縛り付けられていたそうです。
動機はわからないけれど、やり口があんまりにも陰惨すぎる。

どうやら心中というわけでもなさそうです。
いったい、どうなっていることやら。

ただいえることは、この男どもは強いものには立ち向かえず、あきらかに弱いものにしか牙が向けないってことです。

こういう蚊やブヨの同類みたいなのは嫌ですね。
「勝てる勝負しかしない」というのは、相手がそれなりの実力があるからこそ意味がある。
大人の男が「女子高生や幼稚園児をやっつけた!」なんて……みっともない極み。
恥じという観念が、この50男どもにはまったく欠落している。
「恥」がない男は、キンタマがないのとおんなじですって。

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10月04日(その二)

朝の刃物男の年齢は、52歳でした。
勘違いでした。訂正しておきます。

ところで、読書系の記事で面白いのがありました。
芥川竜之介は神経衰弱で自殺してしまったのは、日本人の常識ですけど、詳しいことは知らない人が多いのでは。
じつは、わたしもそうなんです。

高校生時代に芥川の小説は全部読んでいましたが、そこまでは興味がわかなかった。
大多数の大昔の芥川ファンはそうなんじゃないでしょうか。

晩年の病的な作品を読んでいれば、「こりゃあ、自殺しても仕方がない!」と思うほうが自然ですね。
だいいち昭和2年に死んだ作家のことを、半世紀後の高校生ふぜいが詮索する気にはなれんですって。

どうやらその死因には、文壇(もはや死語)でのトラブルがあったようですね。
徳田秋声を怒らせたのがまずかった。

その証拠となる手紙が昨日(四日)公開されたそうです。

これから書くことは新聞の受け売りです。(もっとも、この読書日記の中味はほとんど受け売りなんですけど……)

芥川は二年間かかって「近代日本文芸読本」という全集を編集した。ところが、そのなかに収録した徳田秋声の小説について、本人の許諾を受けていなかった。
怒った徳田が出版社に抗議して、事態は紛糾した。

悪いのは、本人の承諾なしに勝手に小説を収録したほうです。
しかも、この全集が出た直後に、芥川は書斎を改築したおかげで、文壇の嫉妬を買った。
「あいつ、人の作品を黙って使って、大儲けしやがって」
と、下世話にいえばこうなる。

芥川は徳田に平謝りに謝って、別途謝罪金を用意して持っていったらしい。
しかも、手紙では「胃腸の具合が悪い」「仕事がはかどらないので困っている」と泣き言を並べて、泣き落としにかかっている。

以後、このトラブルを気に病んで、不眠症・神経衰弱になり、二年後に自殺した。
因縁話としては、よく出来ています。

調べてみると、徳田秋声は明治4年(1871年)に生まれ、尾崎紅葉門下で自然主義の第一人者。
名作「あらくれ」を、大正4年(1915年)に発表しました。
いっぽうの芥川竜之介は明治25年(1892年)生まれ。デビューは名作「鼻」で、東大 在学中の大正5年(1916年)。「第四次新思潮」に発表されました。

徳田は紅葉門下でありながら、泉鏡花などとは違って、長い間不遇な時代をすごしました。
だから、幸運なデビューをはたした芥川には風当たりがきつかった……と思うのは、まんざらへたな勘ぐりとは言えないでしょう。

しかも、非はあきらかに芥川のほうにあるから、いくらいじめても文学者仲間はなんにも云わないだろうし。
貧乏な自然主義文学者たちは、芥川が大儲けしていると思い込んでいるから、嫉妬にかられていよいよ徳田秋声を応援する。

あまりにもわかり易い構図です。
ただ、ちょっと安易過ぎる気もしますが、どうでしょうか。

とにかくあらゆる意味で、時代に余裕がなくなってきた頃。しかも健康状態は年々悪くなっている。
体調不良のうつ病に加えて、時代の子としての感性が大衆の絶望をびりびりと感じ取り、その退嬰に絡めとられていった。
芥川の自殺はそうしたものが積み重なった結果だから、文壇のいじめとばかりは言い切れないでしょう。
(いじめが原因とは、学のある人はだれも言ってませんけれどね)

文学者なんて、互いにインネンをつけあって、喧嘩するのが商売みたいなもの。
ことに、戦前の自然主義文学者なんて、ちょっと英語をかじったゴロツキみたいなもんです。
喧嘩が強くなければ、物書きはやっていけない。
その現実に、ラッキーなデビューをした芥川は気づくのが遅すぎた。
せんじつめれば、そういうことなんじゃないでしょうか。

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10月04日

嫌な事件です。
ひとつは、無職の55歳あとで52歳と判明。訂正します)の男が駅構内で女子高生を包丁で刺した事件。
「刑務所へ戻りたいから」と動機を語っていますが、こんな身勝手な話もない。

いっけん通り魔犯罪にみえるだろうけれど、世間やマスコミは女子高生と犯人のあいだに何か因縁(いわく)があったと見るに決まっている。
被害者が二重に痛めつけられる構図は、わかりきっています。

身体を傷つけただけでなく、その女子高生の人生にまで深い傷を負わせた。
もちろん、被害者はPTSDに苦しめられるでしょう。

この52歳(55歳)男は無責任かつあまりにも自分勝手。同情の余地はありません。

そんなに刑務所に行きたかったら、府中刑務所でも襲撃したらよかったのでは。
あるいは、桜田門に包丁や電動ノコギリをもって殴りこむとか。
うまくしたら、警察官の皆さんから鉛の弾をプレゼントしてもらったうえに、大威張りで医療刑務所に入れたでしょうに。

それと、お笑いタレントの田代まさしの下着盗撮事件。
こっちは深夜番組のやらせ企画と、実生活がごっちゃになったとしか思えないお粗末。
仲良しの山田邦子が「大バカモノというしかない」と悲しむのも無理はない。

田代はシャネルズの頃からお粗末な淫行事件を起こしていたけれど、まだ卒業していなかったのでしょうか。

このごろ、ぶざまな淫行事件で新聞をにぎわす男どもは、昭和三十年前後に生まれたのがほとんどです。
ちょうど四十五歳から三十五歳くらいは、ユング派心理学にいわせれば「魔がさす時期」なのでいろいろと問題を起こしやすい第二の思春期でもあります。
だからといって、幼稚なエロに退行していいってことはない。

この年代が間抜けなエロじじいになるか、風格ある大人になるかの勝負時です。
どうも、このごろはエロじじい志願者が多くて、みっともない。

団塊世代まっただなかの刑務所志願男には、あの世代特有の醜悪なエゴイズムしか感じないですけれど、田代のほうには同世代として「こりゃ、あかんわ」と自分の背中をどやされた思いです。

わたしも年下の女の子たちに「きゃあ、お茶目!」と思われているのか、ただのセクハラおやじと思われているのか。
とっても心配だったりします。

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10月03日(その二)

「もう一つの万葉集」はついに最後まで読んでしまいました。
やはりプロの文筆家だけあって、「人麻呂の暗号」よりはらくに読めました。

ただ議論はどうにもいけない。
なにがいけないかといって、暗号解読に規則性がありません。
「暗号の天才」(R.W.クラーク)というアメリカの天才暗号解読者ウィリアム・フリーマンの伝記を読んだことがあります。
暗号解読とは、隠された文字体系変換の規則性を見抜くことです。
それがないのであれば、恣意的な解釈という他はない。

古代文字であるエジプト象形文字やペルシア楔形文字が現代的な意味で解読されたのは、文字体系の規則性が発見されたからです。
それ以前は、自称解読者のあまりにも恣意的な解釈がはびこっていました。
中国の漢字を応用して、エジプト象形文字を読んだジェズイット会士アタナシウス・キルヒャーなどが良い例です。
この方法を使えば、どんな文書でも好きなように読める。
普通の文書でそれをやれば、ただの精神医学の治療対象にすぎません。

誤解のないように繰り返しますが、万葉仮名を朝鮮語で読むという方法を否定するわけではありません。
いいアイデアだとは思うのです。しかし、イ・ヨンヒ(李寧煕)さんのやり方では人を納得するのは無理だと言いたいのです。

たとえば、
「あかねさす 紫野行き 標野(しめの)行き 野守りは見ずや 君が袖振る」
という有名な女流歌人・額田王(ぬかだのおおきみ)の歌がありますね。
この最初の部分を、イ・ヨンヒという人はこう解釈している。
「あかい股が 紫の野原(=蕃登)を行きます」と。

なんだか、すこぶるお下劣だけど、意味不明ですな。(爆笑)

この「紫の野原(=蕃登)」とは女性器だというのです。
なんで、そうなるかという理屈が面白い。

「紫野」は、紫草という植物が生える野原だとされています。
イ・ヨンヒさんは「紫」は日本語では「女性器」を意味すると、「日葡辞書」(戦国時代の日本語を記録した日本語・ポルトガル語辞書)の用例から考えました。
この前提にたって、「紫草」は朝鮮語で「じち」といい、「紫色」は同じく「ぼら」という。それぞれの第一字を組み合わせると「ぼじ」となり、この語は朝鮮語では「女性の性器」だとするのです。

古代朝鮮において漢字で自国語を表記する方法を<吏読法>(りどくほう)と云います。
このルールのひとつに、「訓」(漢字を表意文字として使うという意味らしい)が意味する複数の単語の第一字だけをとり、それを集めて一つの単語とみなすというのがあります。
たぶん、そういう読み方は実際にあるのかもしれません。
しかし、この議論を見る限り、「紫=女性器」という観念連合が先にあって、その後の論証はただのこじつけとしか理解できません。

例えば「標野(しめの)行き」という部分では、「標野」とは「天皇の占有地」「立ち入り禁止と記されている土地」という伝統的な解釈をそのまま取っています。
つぎの「野守りは見ずや」もそう。
「野原の番人はみていないのでしょうか」という伝統的な解釈です。

ただし、その解釈がこの著者にかかると、まったく別の意味になる。
「標野行き」とは、天皇の后として貞操を守る立場を捨てたことになるという解釈には、あぜんとしました。
つまり、「不倫した」という比喩だそうです。

この調子で、「君が袖振る」という部分は、「貴方が私の両股を広げる」と読めるのだそうです。
「野守りは見ていないでしょうかね
貴方が私の両股を広げているのを」

……
しばらく笑いがとまらなかった……です。

でも「これは!」という部分もあるんですよ。
山上憶良の「七夕歌」という作品に「河向立」という部分があります。
この解釈は唸らされました。
「七夕歌」は彦星と織姫の相聞歌です。「河向立」はふつうは「河に向き立ちて」と読まれます。
この漢字を朝鮮語で読むと、「はぎよおそ」となるそうです。
意味は「いとも愛しくて」。
なるほど、万葉仮名には漢字・朝鮮語の両言語使用者の「言葉遊び」がいかされているなぁと納得しました。

でも、全体の解釈はぜんぜんいただけません。

この歌はロマンチックななかにも、ほのかなエロティシズムを感じさせる歌なのですが、イ・ヨンヒさんにかかると、
「陰嚢が大きくなる」
「奥まったところにあるふくろは 毛 いとも多く」
「たやすく(誤まって)射精して行くと 子供 産むかもしれない」
「この端に射精しようか ひょっとすると 子供ができなかったよ」
という具合に、射精と妊娠の関係や膣外射精による避妊知識を教えている性の教科書となります。

こんなふうに軽く書きましたが、本文は女性器の形状変化や、体位についての講釈まであって、なかなか大変です。
とっても、全部を紹介する気にはなれません。(笑)

こんなAV並みの性知識で興奮するあたり、イ・ヨンヒさん(本書執筆時の年齢は58歳)は現代高校生より純情なんだなと、ほろっとしました。

それにしても、日本の万葉集愛好家の人をみてもわかるけれど、万葉集はお年よりを発情させる強壮剤みたいですね。
イ・ヨンヒさんも日本語教育を受けているはずだから、万葉集の読みは日本人並にできるはず。

この方も、万葉集の魔力にとり憑かれた一人だったのではないか。
いまはそう考えています。

情操豊かな人には、バイアグラよりも効能があるようですね。
万葉集という書物は。(笑)

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10月03日

突然ですが、どうもわからんですね。
裁判制度というのは。

昨日、麻原彰晃の審理を速めるために、量刑の比較的軽い四件の告訴を検察側が取り下げましたね。
日本の場合は、いちばん重い量刑で審判するから、手続きとしては何の問題もありません。

ただ、いくら犯罪を重ねても、いちばん重い刑罰で終わりであれば、極刑が初犯ではほとんどない現状はどんなものかなと素朴に思います。
ただし、死刑制度に反対の立場だと、そのほうが良い。
ということは理解できますが……。

それにしても、なぜ麻原の裁判がこれほど長引くのか、素人にはわからない。
最初から予想されていたけれど、世紀をこえる裁判になってしまいましたね。
弁護団も、どうやらこのまま引き延ばし戦術を取るつもりらしい。

先行きどうなるかはわからないけれど、とりあえずこのまま成り行きに待つということでしょうか。

重要事件であればあるほど、迅速な審理ができないような仕組みにあるらしい。
専門家のやることは、よくわからないです。

「餅は餅屋」という諺がありますが、あれはウソです。
プロはいつしかマンネリにどっぷりはまって、素人から見放されるのが宿命。
素人から見放されるとは、市場自体がなくなることです。
その業種が生き延びたかったら、素人の視点を取り入れないとやってゆけない。

もちろん、素人受けばかりを狙って、業界が沈んでいくという危険はあります。
そこが兼ね合いで、高度な専門技術と素人の要望をほどよく調和させなければ、資本主義社会では仕事することはできない。
その調和をなしとげられるのが、職能集団(=プロフェッショナル)で、そうでないと素人よりも有害な既得権益擁護集団(=アンシャン・レジーム)になってしまう。
どうやら、法曹界も「アンシャン・レジーム」に仲間入りしたようですね。

三谷幸喜さんのドラマ「合い言葉は勇気」は、そんな法曹界への反発をドラマにしていたので、面白かった。
俳優や脚本家のほうが、弁護士よりも頼りになるなんて、胸がスッとしました。

もちろん真面目な弁護士さんや、儲けよりも社会正義を第一にしている弁護士さんもいっぱいいます。
例えば、高校時代の同級生だった弁護士K君。
この人は面倒見がよくて、貧乏な「塀の中の懲りない面々」にやたら頼られています。
だから、奥さんがこぼしています。うちのダンナは、商売下手だって。(笑)

そういう立派な人もいるけれど、システムのほうはあまりにもお粗末という他はない。
これが「アンシャン・レジーム」というやつで、個人の人格では矛盾は解消しきれない。

「日本の法曹界にフランス革命を!」
って、云ってることがヘンですか?(笑)

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10月02日(その二)

読書日記です。
昨日とは一転して、「千利休とその妻たち」(三浦綾子)を読んでいます。

「人麻呂の暗号」はあれっきり読むのをやめました。
なんだか時間がとっても勿体無い気がして。

イ・ヨンヒ(李寧煕)さんの「もう一つの万葉集」も、すごい!……ですは。
詳しいことは後日書くつもりですが、この論法でゆくと、日本国憲法はスワヒリ語で書かれていて、その内容はSEXの技術指導書であるということなんか、ごく簡単に証明できます。

べつに、日本国憲法、スワヒリ語とは限りません。
地球上のありとあらゆる文書は、すべてその国の母語で書かれたわけではない。しかも、その内容はすべてエロであるという命題がなりたつ超絶的ロジックです。

すべての文書は性交讃歌であるという作家イ・ヨンヒさんの堅い信念が根底にあるのでしょう。(笑)
読んでいるうちにくたびれたので、具体的なお話は別の日にしたいと思います。

以前、UFOの地球侵略話やノストラダムス本の翻訳&ゴースト・ライターをしたことがあるので、どうもこういう本は手口が透けてみえて面白くない。
いっちゃあ何ですが、藤村由加さんもイ・ヨンヒさんも、UFO本やノストラダムス本の著者たちと同じ匂いがします。

もっとも、そんなことは買ったときからわかっていたのです。
「もう少し上手くやってくれたら良かったのに」
とは思いますが、たぶん無理でしょう。

そんなわけで、三浦綾子さんの本を読みながら、すさんだ気分を癒しています。
三浦さんの小説は、荒れた気分を癒してくれますね、ほんと。

亡くなった今も、読者はいまだに三浦さんの物語に救われている。
これぞ、本物という気がします。

三浦さんは不自由な目と書痙に悩まされながら丹念に史料を調べて、これを書いたんですね。
ほんとうに頭が下がります。
読者に元気をくれるのは、勇気と信念をもって作品を書く作家だけだと改めて悟りました。
三浦さんのおかげで、パラノイア女性たちの毒気から解放されたようです。

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10月02日

ついにここまで来たか!
なんて、いつも言ってますけど。(笑)

今日のは、本格的です。
不妊治療もここまで行ったかと。

日本の主婦(46歳)がアメリカ人大学院生の卵子を提供してもらい、それに夫の精子をかけて体外受精。受精卵を自分の子宮に入れて、出産させたとか。

卵子提供、体外受精、試験管ベイビー、代理出産と、現代医学が直面する倫理問題をかるーくパスして、この快挙!
このお母さんは、この子供が小学校にあがるのが楽しみだとか。
なにしろ卵子の提供者は、フランス人と中国人の混血で、アメリカ有名大学の大学院で数学を専攻している女性だそうです。
頭脳優秀、眉目秀麗な子供になるはずと、ほくほくしているお母さん。
これに味をしめて、46歳の年齢をものともせずに、今度は卵子・精子とも提供してもらって、さらに頭脳優秀・眉目秀麗な子供を出産しようと計画中だとか。

云うべき言葉がありません。
これじゃあ、愛玩犬をかけあわせるのと同じだ。
頭脳・容姿が優れているという前提で、生命を誕生させることへ、倫理的な懐疑は抱かんのか。
なんてことは、このお母さんには関係ないでしょう。

なまし、生殖能力が低い卵巣をもって生まれたことを逆手にとって、自分の子孫ではない優秀な遺伝子を残すという逆転の発想です。
自分の遺伝子ばかりか、夫の遺伝子まで軽蔑して、社会的ステータスになりそうな要素ばかりをかき集めるべく努力する。
これこそ、究極の自己否定。
おのれを無にして、勝利をえる。日本の(体育会系バカ)男どもが理想とする究極の勝負師といえるかもしれません。

現代日本の風潮では「うん、わかるわ」というこのお母さんのお味方は掃いて捨てるほどいるんでしょうが……
これは、究極の道義的頽廃だと思います。

何よりも、このお母さんは「子供が欲しい」という欲求ばかりを優先して、「生命」「生殖」というものをきちんと考えたことはないはず。
「まじめに考えたことはない」とは、いいません。
悪徳ローン業者や、完全犯罪をもくろむ常習的殺人者ほど、自分の事業について「まじめに」「真剣に」考え抜く人種もいないでしょうから。

ただね……
「そこに愛があるか」なんて、江口洋介や野島伸二が言いそうな科白ですよ、大事なのは。

このお母さんには、夫に対する愛はもちろん、いちばん大切な自分自身に対する愛もないんじゃないでしょうか。

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10月01日(その二)

日記の目次で、リンクを間違えていました。
おかげでタイトルから日記本文へ行かなかった!(泣)
われながら、ドジであります。
修正しておいたので、今度はだいじょうぶだと思います。

ところで、昨日買った「人麻呂の暗号」(藤村由加)。
ラオウやケンシロウじゃありませんが、「お前のわざはすでに見切った!」という気分です。

いま「枕詞の謎を解く」という章を読んだあたりですが、これ以上読むのはどうしようかと思っています。

歴史推理として読むのならいい……ともいえませんね。
わたしは理屈が通らない推理は嫌いです。

著者集団・藤村由加さんは、前提としてこんな仮説を立てています。

  1. 万葉集の枕詞は、それが修飾する単語を同じ意味をもつ。
  2. 枕詞は日本語ではなく、朝鮮語・中国語さらには、漢字を分解して暗号とする「字形分解」の技法で作成されている。
この仮説に基づいて、日本語・朝鮮語の大辞書や、大漢和辞典をひきまくって、謎解きをするわけです。
アイデアとしては非常に良いと思いますが、「仮説1」には根拠がない。眼のつけどころがいいにしても、これを確かめる証拠がなければ、作業仮説としては失敗です。
残念ながら、藤村さんの本はそういう証明にはなっていません。

また「仮説2」には、ロジックとして最大の落とし穴がある。
つまり、結論が先にあるわけです。
たとえば「足引きの」という枕詞がある。これは「山」という名詞にかかります。
すると、「足引き」という単語と、「山」を結びつけるために、朝鮮語や漢字、さらに漢字を分解する「字形分解」を総動員して証明しなければならない。
こういうロジックは、どうしても牽強付会にならざるをえない。

「牽強付会」とは、「本来道理(事実)に合わない事を無理にこじつけて、自説に有利になるように展開すること」(新明解国語辞典)です。
新明解さんは、わたしの云いたいことをこれ以上はないというほど、きっぱり云ってくれてました!

著者はこの手法でどんどん枕詞の謎を解いたように書いていますが、ここまでで紹介されているのは「あしひきの」の他には「あまさかる」「ひさかたの」「たまだすき」の四個。どんどんというには、例が少なすぎるような……

それに「あまさかる」「ひさかたの」の謎解きでは、前者は「天離 夷」という万葉仮名を論拠にしているし、後者では論拠が具体的に書いていない。
「ひさかたの」は、いきなり「……であることが分かった」と書き出して終わりですからね。結論と補足はあるけれど、論証はありません。きちんとした説明がつかなかったのでしょう。

「あまさかる」にしても、枕詞がさきにあって、漢字使用者がそれを文字に落したときに、漢語の知識を生かして「天離」と表記したと考えるほうが自然です。
現代中国人がコカ・コーラを「可口可楽」と音訳するセンスと同じ。
著者のロジックは最初から破綻しているようです。
ただの言葉遊びとかるく考えるほうが良いですね。

本の後半部分は、「柿本人麻呂は政治陰謀に巻き込まれて謀殺された」という梅原猛・大先生の御説を、日本語・朝鮮語・漢和辞典を総動員して支援するだけのようです。
もういいかなって思いました。

でも面白いところもあるんですよ。
朝鮮語の「可愛い」という言葉「キヨウォラ」というのを聞いて、日本語の「清らか」の語源だと決め付けたり、「食べる」という朝鮮語「モゴ」が「もぐもぐ食べる」という擬音語の語源だと発見したり……。
この例は他にも挙げていますね。
「腹減った」=「パゴパ」(朝鮮語)は、おなか「ぺこぺこ」の語源。
「のっぽ」の語源は、朝鮮語「ノプン」=「高い」。
日本語の「あら、そう」は、朝鮮語「アラッソ」(=分かった)。
「いない、いない、ばあ」は朝鮮語「インナ インナ バア」(=いるかな、いるかな、見て)。
「だるまさんがころんだ」の「ころんだ」は、何とここだけ朝鮮語だった。
原語は、「コロオンダ」(歩いてくる)という意味だそうです。
座りっぱなしのだるまさんがのこのこ歩いてくる。こどもはそれを見て、びっくり!
と、著者はこの大発見を自画自賛しています。

この発想は、子育て中の主婦でなければ、なかなかできませんね。
男のわたしは、これを考えついた人にびっくり!です。

「こんな例はいくらでも見つかるのである」と、著者集団・藤村さんは豪語するのですが、そりゃあいくらでも見つかるでしょうよ。
「死ぬまでやってなさい」
という他はない。

枕詞を朝鮮語で解明するという素敵なアイデアが、さいごには台無しになったような感じがあります。

この本が出てから、もう10年以上も経っています。今なら朝鮮語や古代中国語をきちんと研究している人がいるに違いない。
枕詞の謎解きには、そういう本を探すことにします。

この本は、BOOK OFFに引き取ってもらうつもりです。
50円で、引き取ってくれるでしょうか。
どうも、そんなに高くは引き取ってもらえないような気がしますが。

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10月01日

シドニー・オリンピックも終わりました。
結局、なんのかんのいって、普段よりもテレビを見ていました。

「TVを観ない読書家」をめざしていたはずなのに……
男子マラソンなんかも見てしまった。
2時間があっという間でした。はやばやと脱落した日本選手への興味はなかったけれど、アフリカ勢の走りは見ごたえがあった。
ドラマですね、あまりにも。

「底力」という言葉の意味を思い知りました。
強風というアクシデントにもたじろがない力――それが、「底力」だと知りました。
新聞の投書欄みたいな書き方だけど。(笑)

なんにせよ、日本のアフリカ人ワイナイナ選手の銀は良かったですね。
ご飯と味噌汁が好きなんて、泣かせるじゃあありませんか。
朝食にはうどんをすすって、レースにのぞんだとか。
この人、ほんとにケニアの人なんでしょうか。(^^)

「日本に帰って、大好きな焼肉を食べてください」
とエールを送りたいです。

それにしても、女子マラソン銀メダリストのシモン選手もご飯を炊いて食べているとか。
日本食も捨てたもんじゃない。(笑)

この人は、女子マラソンのオリンピック代表に落ちた弘山選手に励ましのお便りを出したり、レースに勝った高橋尚子選手にハンバーガーをおごったり、なかなか気配りの人ですね。
わたしは、こういうのに弱い。
人妻のシモン選手のファンになってしまいました。

なんだか日本国籍だから、日本人を応援するという図式が、わたしの中では崩れつつあります。
ワイナイナ選手とか、シモン選手のやっていることって、日本人にすれば古き良き日本人の鑑ですからね。

国籍的日本人よりも、大和魂のあるガイジンのほうがいい。
どうやら、旧人類にもなれない昭和30年代のオジのなかで、革命が起きたようです。

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