最初にお礼をひとこと。 この日記も、ついに5000アクセスを突破しました! 流行のWEB日記に比べれば、こんな地味なのがここまで行くとは…… これも毎日読んで頂いている皆さんのおかげです。 感謝、感謝です。 このごろは、日記のアップが遅いのでアクセス数が減っているようです。 もう少し早めにアップするようにしたほうがいいのでしょうが、時間がちょっと…… 朝の九時からアップしている作者の人たちって、どんな生活をしているんでしょうか? 夜中に書いておいて、自動的にアップするように仕組んであるとか。 まさかとは思いますが、そんな想像をしてしまいます。(笑) 一日、二回アップするなんて、神業みたいなことをしている人もいるようです。 この日記の性格では、ちょっとそこまでは無理。 10分で読み応えのある本を一冊、熟読できるなら話は別だけど。 そんなわけで、この調子でこれからも細々と続けてゆきます。 どうか、今後ともよろしくお願いしますね。 ところで、またまた新聞ネタです。申し訳ない。 あとで、本にも触れますので、お許しください。 読売新聞に連載していた紀田順一郎さんのエッセイが終了しました。 日本最高の書誌学作家(?)紀田さんのエッセイは毎回楽しく読ませてもらっていました。 ことに、最終回とその前の回のがすぐれものでした。 前回は「ブック・センス」。今回は「アナログ・デバイド」というタイトルでした。 「ブック・センス」とは書誌学を専門にする紀田さんらしく、本屋の品揃えのセンスのことです。 本屋にいって、棚を一目見れば、その本屋の実力がわかります。 大手書店でも、棚をみれば、そこの支配人の「ちから」は一目瞭然。 「こりゃ、ダメだ」と直感したら、本を買わずに出たほうがいいです。 本があるかどうかカウンターにいくと、えらく不愉快な目にあうことは間違いありません。 お客の要望にこたえるだけの商品知識がないから仕方がない。 こういうお店が増えてきたことを心配して、品揃えによって「メッセージ性」を持たせるセンスを「ブック・センス」として提唱しようというのが紀田さんの趣旨です。 ただ、この言葉は単純にそのように限定してしまうには惜しいようにも思います。 「本棚をみれば、その持ち主の人間性は一発でわかる!」 動物占いなんかよりも確実間違いなし――です。 じゃあ、本棚なんかない人はどうなる? それこそ、すぐわかる…… これが「ブック・センス」というもの。 そこまでゆくと、本とのかかわり方でその人を見抜いてしまうことになる。 この話は長くなりそうなので、明日に「アナログ・デバイド」とからめて書くことにします。 さて、やっと本の話題にいきます。 前振りが長くなりすぎました。 本日のお題は「柳宗悦随筆集」(岩波文庫)です。 以前にも、ちょっと触れたのですが、昨日やっと通読しました。 通読して思ったのですが、柳宗悦(やなぎ むねよし)という人は近代日本の大偉人です! 「ものを大切にする思想」というものがあるとしたら、柳宗悦はその元祖といっていい。 消費・浪費文明で、地球という惑星(ほし)が人類にとって危機的状態にある今日、柳宗悦の云うことは新鮮で、説得力に富んでいます。 「工藝にとってなくて叶(かな)わぬ根本的要件は、作者の心の居場所で、これに比べるなら、技術の巧みさ、材料の良さ、知識の深さなどいずれも第二の条件なのを感じます」 「米国の旅」より引用。以下同じ ほっとしますね、こういう言葉には。 柳宗悦は心がなによりも大切だと考えています。もし、心のありかたが間違っていたら、「折角の技術も材料も知識も無駄使い」とまで云っています。 「もし物そのものを洞察(どうさつ)出来、これと一体になるまで、眼の力を働かすと、工藝問題は心の問題に深く入ります。 この意味で工藝問題は同時に宗教問題であるのが当然です」 ここで「宗教」というと、げーっという人が多いでしょうね。 そんな人のために、柳宗悦はここで云う「宗教」の意味について説明してくれています。 「宗教心とは易しく申せば、ものを本来のままに素直に受けとる心です。 それ故、自分を立てる機縁がありません。自分と他は対立しなくなります」 多様で相対的な価値観をめざしたために、自我と他者との葛藤や、倫理基準・美意識の葛藤ということが、現代文明の遺伝病となっているわけですが、柳宗悦はそうした相対主義の落とし穴から脱出するきっかけを生涯考えつづけたのです。 そうした人の書いたものは、現代の自暴自棄な風潮では生ぬるくみえるかもしれません。 でも、自分で考えようとすることをあきらめない人には、ずいぶん励ましになります。 これは書こうかどうか迷いましたが、思い切って書いておきます。 柳宗悦の紀行文には、その土地の文化や人々の生活に謙虚な尊敬のまなざしがあります。 最近のこの国の物書きの人々には、半径50センチ以外のことには興味がないとか、日本的日常を異国にまでもちこんで面白哀しく書く流派が多いように思います。 あれには、うんざりです。 東南アジアで少女買春する連中と、精神構造は同じだと思います。 ひとことでいって、大人げない。 柳宗悦のような誠実で大きな視野を持った書き手がよみがえって欲しいと切実に思います。 わたしは、そういう人の本が読みたいのです。 |
午後9時半ころに伊豆諸島に最大震度6の地震がありました。 ちょうどNHKで「四大文明」を観ていましたが、あとは報道に切り替わったので、番組は中断。 その後は、「K−1in 名古屋」を観たのでわかりません。 地震の被害があるのでドキュメンタリーなどどうでもいいのでしょうが、テロップで再放送の予定でも流してくれればよかったと思います。 地震のことなど無視して、ホーストやレ・ヴァンナの戦いに熱中していたので、あまり偉そうなことは云えませんね。 それにしても、ホーストが足を負傷してTKOされるとは意外な展開でした。 ギリシアだの、サモアだの、いろんなところから強豪が現れるあたり、なかなか嬉しいではありませんか! それにしても、途中まで観ていた「四大文明」の黄河文明編。 最後まで放映されなかったのは、残念です。 有名な中国の黄土地帯というのも、凄かった。 どうみても、山から谷までカラカラに乾いた砂漠としかみえません。 テーブル状の段々畑が山上まで続く。緑ひとつない地獄のような光景に見えました。 にもかかわらず、そこは紛れもない農地でわずかばかりの雨水で麦やコーリャンなんかを植えている。 いまでは中国一貧しい地方という説明も納得です。 これでは、一家を養うことさえ難しい。 この同じ地域が今から3000年前にはアジア象やサイのいる森林地帯だった。 そのことは、発掘された化石で証明されています。 黄河文明が興った地域は、いまでいえば甘粛・山西・陝西省のあたり。 この地域の森林破壊がいまと同じレベルになったのは、西暦6世紀ころだそうです。 中国の南北朝時代です。 それ以前の中国華北地帯は、今とはずいぶん違った緑豊かな場所だったようです。 中国人が先祖と仰ぐ黄帝という神話的人物がいて、その陵墓があると初めて知りました。 そこには歴代中国王朝の保護のおかげで、太古の森がわずかに残っています。 森の樹木が雨水を保水してくれるおかげで、太古の森のまわりには湧泉がたくさんあります。 この豊かな水を農業生産と引き換えに失った――残念なことです。 作家のC・W・ニコルさんによると、きれいな水がたくさんある土地に生まれた人は優しくて、心が豊かだそうです。 中国華北の人々は、森を失い、きれいな水を失うことで、どうなったか。 その顛末は、中国の歴史をひもとくと、すぐわかります。 ところで、黄河文明から現れた殷王朝の王墓というのも面白いですね。 地中を深く掘削してつくられた巨大な地下構造物――それが、王墓です。 番組で面白いことを指摘していました。 これはそのままひっくり返せば、メソポタミア文明のジッグラトそっくりのピラミッド型建造物になる。 なるほど、云われてみればそのとおり。 エジプトや、メソポタミアのピラミッド型建造物が天をむかっていたのに対して、なぜ中国人だけは地中にむかって「土のピラミッド」(=王墓)を作ったのか? その説明にかかるところで、番組が中断されたのが残念! 再放送が楽しみです。 けっきょく、昨日はTVばかり観ていました。(笑) 久しぶりに、ビールとバーボンを飲んでいたから無理もない…… 読んだ本といえば、「イスラームの心」(黒田壽郎)を再読しただけです。 砂漠をみると、砂漠の宗教に目が向く。 単純すぎる構図――ですね。笑ってしまいます。(^^) |
以前から新聞なんぞ信用しないと言いまくっているわりには、読売新聞を読んでます。 先週は特集記事で「中国の環境破壊について」書いていました。 お隣のこととはいえ、地球規模でいえば知らん顔をしているわけにもいかない――と思って熱心に読んでいました。 中国の河川はいま死にそうなのだそうです。 砂漠地帯のタリム河では、源流・上流地帯に入植した農民たちが水をジャブジャブ浪費するので、砂漠の中の末端では水が届かない。 タリム河のように、高山の雪解け水を砂漠のなかへ流し込んで消滅する内陸型の河川は、地下水のかたちで大地に水を供給します。 おかげで、地下深く根を張って砂漠の植物は生きているのです。 しかし、いまは砂漠地帯にまでいきつく水の絶対量が足りない。 おかげで、砂漠の川筋にわずかにあったグリーンベルトは消滅しつつあります。 トラなんかもいたそうですが、今は絶滅。 野生動物なんかどうなってもいいという人にとってもつらいのは、道路そのものが乾燥化と風害で崩壊しつつあることです。 では、上流地帯はどうかというと、こちらも水の取りすぎで絶対量が不足。ついには、農業がやっていけなくなる人々も増えている。 豊かさを求めて、中国奥地へ農民を送り込んだのはいいけれど、生態系を破壊したうえに、やがて農地そのものも立ち行かなくなる。 いまの中国の苦境はここにあります。 大地の恵みをあくまでも収奪しようとして、文明そのものの危機に至っているということでしょうか。 長江も例外ではなく、以前にこの読書日記(3月1日)でも書いた三峡ダム建設で、問題が山積。 生態系の破壊はもちろんダムが完成したところで寿命はそんなにもたないという観測もあります。 水没する農地・住宅地の代替用地として、水没地域より高度にある土地を開発した。 それはいいのですが、おかげで雨が降ると土壌流出がとまらず、ダムの中に大量の土砂が流れこみ、このままでは期待する水力発電もたいして電力が作れずに、ダムそのものも土砂で埋まってしまいかねないとか。 しかも、長江流域には廃棄されたゴミがうずたかく堆積して、水質は汚れる一方。 どうなるのでしょうかね、いったい? 世界の(古代)四大文明は河川の管理から生まれた人類のガン細胞と前に書いたことがあります。 ただエジプト文明だけは、アスワンハイ・ダム完成まで自然破壊を伴わなくなったので、現代まで農業地域としてはうまくやってこれた。 これも、同ダムが完成してからはおかしくなっている。 メソポタミア文明とインダス文明は自然破壊で次々と居住可能地域を砂漠に変えながら、現代も続いています。 中国は殷・周文明が発祥した華北の農地を自然破壊で破壊しつづけ、歴史時代に入ってから紀元1000年あたりで華北のほとんどを砂漠化してしまいました。 幸運にもモンスーン地域に属する江南の農地を開発したおかげで、その膨大な人口を養うことができた。 いま中国共産党の計画経済のもとで、江南の穀倉地帯が破壊されようとしている。 やらずぶったくりの河川支配型「文明」が、やっと豊穣な中国の自然を殺戮することに成功しようとしているところです。 中国政府も、やっと遅まきながら危機的状況に気づいて、手を打とうとしているそうです。 でも、どうでしょうか。 中央政府の指示だけではうまくいかないんじゃないでしょうか? こうした問題は、環境行政について異議申し立てができる一般国民の声を結集できる政治体制がないとダメですね。 さいきんの日本をみていると、地域に住む人たちの声が乱開発を食い止めることが多くなって、希望が湧いてきます。 そうしたことを、いまの中国に期待できるかというと…… 無理でしょうね。 ただ危機意識をもって、国民に訴える科学者たちが中国にも現れています。 そういう人たちの訴えが、国民に届くのを待つしかない――とわたしは思います。 ところで、「わが住む村」(山川菊栄)という本を買いました。 山川さんは、高名な女性史家。 「女性史」というものをこの国で初めて体系化した人です。 フェミニストでもないわたしが、山川さんの本を読もうと思ったのは、戦前の日本の農家というものをほんのちょっと知りたかったからです。 しかも、場所は鎌倉の近郊にある村岡村(現在は藤沢市の一部)。 坂東の歴史に興味があると「村岡」と聞くと、耳がぴくぴくします。 平将門の叔父・良文が本拠としたのはたぶんここでしょう。 良文は千葉氏や畠山重忠の先祖です。 まだ最初の「雲助の東海道」を読んだだけですが、なかなか読み応えがあります。 ほんの短い随筆なのに、江戸時代の旅のつらさ、雲助(駕籠かき人足)の生活が鮮やかに描き出されています。 歴史の楽しさは、現代からは想像もできないほど異質な社会が、現代生活を営む同じ場所・同じ地域の、過去にあったことを想像することにあります。 山川さんの本をわくわくしながら読んでいます。 ついでに宣伝です。 久しぶりに「論語を読む」を更新しました。 一読していただくと嬉しいです。 |
やっぱりみてしまいましたね――栗田貫一ルパンのTVスペシャル。 今回はセカンド・シリーズのルパン3世に近いノリで、「よかった!」です。 アニメのルパン3世とはもう30年以上のお付き合い。 山田康雄氏が抜けたけれど、他のメンバーが健在だとつい観てしまいます。 今回の監督はよっぽど宮崎駿版ルパンに思い入れがあるとみました。 TV版で使っていたクラシック・カーを弾除けにして、「カリオストロの城」で使っていたフランス車を使っていましたからね。 さて、そんなわけで本は寝床で開いただけです。 今度も堅い……といえば堅い本。 「柳宗悦随筆集」という岩波文庫の一冊です。 1921年から1961年までに書かれた柳宗悦の随筆を集めたものです。 こういう本は、ほっとします。 奇をてらったところがない。 余計なところをどうしたら捨てられるか――ということを、いつもしっかり考えている。 このごろの本は、余計なことをいかに面白おかしく書くかという方に偏向しているので、柳宗悦のような意見を聞くと、心が洗われるような気がします。 書いてあることは、そんなに古めかしいことではありません。 今から80年から40年くらい前にかかれているけれど、固有名詞をちょっと変えて、いまどきの新聞の文化欄に載せても、だれも違和感を持たないでしょう。 それだけ、まっとうなことが書いてあるわけです。 ご存知のように、柳宗悦は「民藝運動」という土俗的な民芸品を見直す美術運動を起こした人です。 柳たちのがんばりで、民芸調という意匠は商業工芸の世界でもそれなりの地歩を占めるようになりました。 ただ民芸調のコーヒーカップなんて、柳がみたらたぶん泣くでしょうけど。 民芸調の食器・家具ほど、柳の唱えた「民藝運動」の美意識と縁遠いものもない。 柳の書いているものをみると、いまどきの「お宝鑑定団」なんて、なんだろうという気がします。 「お宝」って、なんなのか? 骨董界の算盤で選んだ貨幣価値そのものです。 美しいかどうか、好きか嫌いか――ということはどうでもよくて、市場の動向に詳しい人が金銭的価値を鑑定するわけです。 その基準は美や、好悪であるよりも、市場における需要と希少性に尽きます。 柳宗悦はそうした市場の論理に生活すべてをゆだねる危険を生涯述べ伝え続けた人なのです。 いまから半世紀以上も前に指摘された状況が、西暦2000年の今でも変わっていないことには驚くほかありません。 社会は変わったのかもしれないけれど、本質は全然変わっていなかったという証明というところです。 「無作為の美」ということを、柳宗悦は追及した。 ようやくすると、まあ、こんなことですね。 だから、どうしたってことになると、「まあ、お茶でもいっぱい」とお茶を出してくるでしょうね、柳さんとしては。 そのお茶は、きれいな森の泉から汲んできた極上の清水でたてたもの。 いきりたっている人間も、一服の清涼なお茶を飲んでホッとする。 なんで、自分がいらついているか、忘れてしまっている。 柳宗悦の本って、そういう本なんです。 |
岩波文庫で久しぶりに復刊なった本を買いました。 「蘇東坡詩選」というのが、その書名。 中国は北宋時代にいた大詩人・蘇軾(1036−1101)の詩集です。 蘇軾は「そしょく」と読みます。 もちろん東坡(とうば)というのは、号(ペンネームみたいなもの)です。 中華料理の東坡肉(トンボーロ)という煮豚料理は、この人の発明とされています。 一流の文化人にして、超一流の食道楽。 海原雄山や、そのモデル北大路魯山人の元祖ですな。 蘇東坡が生きた時代は日本でいえば、藤原道長の息子の頼通・教通の時代から院政時代のはじめにあたります。 だからどうだと云われても困りますが、いちおう目安ということで……(笑) 長いこと読みたかった本なので、一気に読みました。 漢詩だから、分量もそれほどないのですぐ読めます。 この詩集が欲しかったのは、「赤壁の賦」という漢詩の最高峰を読みたかったからです。 三国志ファンなら知らない人がいない「赤壁の戦い」のあったところで、蘇東坡が詠んだ名詩ということになっていますが…… 実際には、曹操孟徳(やっぱり三国志ファンはこう呼ばなくちゃ!)と孫権仲謀・劉備玄徳の連合軍が戦った古戦場と、詩を詠んだ場所はまったく別。 そのことは、蘇東坡自身も知っていたそうです。 「赤壁の賦」は二つあって、「前赤壁の賦」「後赤壁の賦」となっていて、史実を語るのは前者のほう。 といっても、中身は詩人が友人と河に舟を浮かべて酒を酌み交わすというもの。 のんびりしたものです…… この詩は、古来日中の多くの文人たちに愛されてきたもので、禅寺の襖や、ちょっとした中華飯店の壁なんかにもよく書かれています。 わたしもどこかの中華飯店でこの詩を壁に書いてあるのを見たことがあります。 「源氏物語」が日本的美意識の華だとしたら、「赤壁の賦」は中華的美意識の精華なのでしょう。 そういえば、酒の肴に「松江(しょうこう)の鱸(ろ)」に似た魚を膾にして食うという一節があります。 この魚について、故・開高健大文豪が考証したエッセイがありましたね。 大文豪によれば、これは「鱸(スズキ)」とは似て非なる種・属の魚類だそうです。 その淡白清冽な味覚に、清純な処女を抱くがごときウンヌンという食通の大文豪お得意のメタファーで、詳しい描写がありました。 ただし、わたしはとっくに忘れたので、ボロをださないうちに引用はやめておきます。 開高ヘイコウ……です。(笑) しかし、ついでにつまらないことを考えてしまいました。 蘇東坡はどんな酒を飲んだんだろうか? やっぱり、老酒でしょうか。 しかし、アジア人が蒸留酒を飲んで舟に乗っていたら、かなりアブナい気もします。 蘇東坡より300年前の詩人・李白は酒を飲んで、舟から落ちて溺れ死んだとか。 いちおう詩人先生は無事生還されて詩を書いているわけだから、ここは紹興酒みたいな醸造酒と考えたい。 それとも、最近出回ってきた日本酒の<古酒>みたいな酒でしょうか。 これと、淡白な白身魚の膾。いまでいう刺身ですね。 大文豪は違うというけれど、魚がスズキであれ、なんであれ白身の味なら、酒に合うのは間違いない。 うまい肴に、うまい酒。 すっかりほろ酔いで、月夜の晩に静かな河に舟を浮かべる。 いいなぁ。 蘇東坡の詩集を眺めていると、酒好きにはたまらんものがあります。 ビールや、バーボンじゃ、こうはいきません。 本日は、「鉄人的読書の心得その1」(そんなもん、いつのまに作ったんじゃ――というツっコミは許してチョ!)を忘れて、久方ぶりにいっぱいやってみようかと思います。(笑) |
いきなりなんなんですが、この頃めっきり文芸翻訳ものを書店で見なくなりました。 近所のツタヤの書店部門からも、早川文庫と創元推理文庫が消滅しました。 都心の大手は別でしょうが、西武池袋線の沿線の小書店ではこの両文庫がどんどん店頭から消えています。 どういうことなのでしょうね。 本そのものが売れないので、読むのがかったるい文芸翻訳なんかお呼びでない? ――ということでしょうか? そういいながらも、わたしも新刊書店では文芸翻訳は買わなかったりします……(笑) 人様のことはどうでもいい。 自分のことを振り返ってみると、あんまり読みたいような本がない! それが本音です。 海外ものを読んでカッコつけようにも、中身がどうも…… アガサ・クリスティーなら読んでいてもサマになるけれど、変質者・猟奇犯罪者しか出てこない女流ミステリー読んでもなぁ――と思って、手が出ません。 SFという分野も好きですが、どうもこのごろのはパッとしません。 話はずれますが、<アイザック・アジモフス・サイエンス・フィクション>という海外SF雑誌があります。 タイトルに名前を冠したSF界の大御所アイザック・アジモフが亡くなってから、作品の質・販売実績ともに凋落の一途を辿っています。 海外SF情報誌<Locus>6月号で見たら、1999年の<ネビュラ賞>という権威あるSF賞にこの雑誌の短編・中篇・連載長編が一本も入っていない。 こんなことはあまり聞いたことがありません。 それともうひとつファンタジー界の大御所マリオン・ジマー・ブラッドリー女史が昨年亡くなったせいで、彼女の名前を冠した海外ファンタジー雑誌も本年中に廃刊が決まりました。 海の向こうでも、SFとファンタジーは苦戦しているようです。 ひとつには、贋作歴史や架空世界を描くファンタジーにちっとも新鮮味がなくなってしまって、それを読むくらいなら歴史の本を読んだほうがよっぽど面白いからです。 またSFについても同じで、科学物のノンフィクションを読むほうがよっぽど面白いのが現状です。 日本ではSF作家さんたちが戦記シミュレーション小説や、歴史シミュレーション小説をがんばって書いていますが、歴史の面白さを知った人には退屈なだけじゃないでしょうか。 「もしもミッドウェーで日本が勝ったら……」なんて云ってもねぇ。 ギャグのネタにする他には、どうにもならんと思いますよ。 なんということをSF情報誌<Locus>を眺めながら、考えてみました。 いったい、どんなSFやファンタジーなら、読む気になるのか? 当然、そのことを考えてみました。 答えは――よくわかりません。 「人生ってものが、そもそもSFであり、ファンタジーだ!」 なんて、達観してしまっている自分がいるのです。 そう思えば、「人生はホラーだ」とも思えます。 現実と、空想の境界がひどく狭くなっている。 だから、逃避文学としてもSFやファンタジーなんかがつまらない。 現実逃避を文芸の効用とするなら、なにもSFやファンタジーである必要はないのです。 だいたい巷にあふれるその手の小説は、学校や会社の現実とそっくりそのままみたいなのばかり。 こんなことを思うなんて、われながら年とったものです。(泣) 正直なはなし、いまどきのファンタジーを読むよりも、夏目漱石を読んでいるほうがよっぽど(昔の)傑作ファンタジーの味わいを楽しめます。 よく考えてみたら、いまどきのファンタジー好きは、昔なら決してファンタジー小説を読まない人種に属するのかも。 そういう人たちが、コンピュータ・ゲームなんかの意匠に馴染んだ結果として、世紀末の拝金主義・発作的衝動主義をそのまま映し出した架空世界へ進出してきただけ。 わたしが古臭い本ばかり読んでいるのは、根っからのファンタジストとしてはしごく真っ当なことなのかもしれませんね。 雀百まで踊りを忘れず……ってことでしょうか。 |
ここ二日は、ほんとうに涼しくて助かります。 京都を歩き回ったおかげで、パワーがなくなったせいか、ろくに本も読めませんでしたが、ようやく元気回復しました。 これからは、弱音を吐かずに、怒涛のように本を読みまくろうと想います。 今日、読んだのは「論語の読み方」(山本七平)。 祥伝社ノン・ブックスの一冊です。 「知的サラリーマン・シリーズ」と銘打った新書です。この題名じゃ、いまでは誰も買わないでしょうね。 そもそも知的サラリーマンなんて、いまどきいるんだろうか? 読書好きな人や、デジタル情報の達人みたいな人だって、「知的サラリーマン」と呼ばれて嬉しいか――という素朴な疑問があります。 新書ですけど、昭和56年11月の初版です。よっぽど売れたので、だいたい古本屋の相場でいえば、50円から100円がいいところ。 わたしが買ったのは、120円でした! 見つけたのは行きつけの古本屋です。 ここの店長は、なかなかの実力派らしく値段を見ると掘り出し物はまずありません。 古本屋めぐりを趣味とする人間なら、文庫でも一冊2、3000円はすると知っている本はきちんとその値段がついています。 はっきり云って、全然安くないのですが、ときどき妙に面白い本があるので楽しみです。 さて「論語の読み方」ですが、手際良く「論語」の趣旨をまとめた手腕はさすがです。 「論語」一冊を通読する人なんて、よほどの物好きでもなければいないでしょうから、サラリーマンのハウツー本としてはものすごい上出来といっていい。 というより、この本は「論語」をなるべく多くの男性勤労者に読んでほしいという著者の熱意から生まれたものです。 それ以上に進みたい読者のためには、巻末の解説のなかに<推薦図書>をそれとわからないように滑り込ませているあたり、じつに行き届いた配慮です。 いまどき、こんな親切な書き手って、いませんよね。 この本を読んで思ったのは、わたしたちが失ったものの大きさです。 昨今の社会的事件をみると、こんな風に分類できるようです。 ・50代/60代の「人を殺してても自分だけが生き残る」ための犯罪 ・30代/40代の「投げやりな人生観」が生んだ犯罪 ・20代の「短絡的・衝動的・幼児的」で陰湿な犯罪 ・10代後半の「人間という社会的生物になりそこなった」犯罪 なにが言いたいかというと、社会を構成するメンバーが拠り所にする共通の倫理コードが戦後少しずつ無くなっていったということです。 乱暴ではありますが、簡単にまとめると―― 終戦後の弱肉強食社会で、兄弟の食いぶちまで奪い合って成長した5,60代。 それに育てられた世代(3,40代)が、世の中に愛想をつかして趣味に逃げ込む。 社会なんて、どうなってもいい。いっそ、家族もなくなってしまえばいい。 その風潮のなかで、「エゴの塊り人間(50代)」と、「自分も含めて世界なんぞどうにでもなってしまえと思う人間(40代)」に育てられて、永遠に成人になれない人間が誕生するのが20代。 そして、「虚無の塊り人間(40代)」から誕生したのが、「人間失格の10代後半」というわけです。 戦後日本の倫理コードの崩壊過程が、あまりにも単純に透けてみえる……ような気がします。 今から20年前に、山本七平さんはこの崩壊を予感して、「論語の読み方」で共通の倫理的地盤作りを訴えたかったのです。 この時代には、今の20代の犯罪タイプはまだ社会の表面に出ていない。 しかし、やがて現れる前兆はみえていたように思います。 まさか「人間失格の世代」までは……と思っていましたが、案外ペシミストな山本さんはとっくにあきらめていたのかもしれません。 とにかく、あれから20年の歳月がすぎて、ブックカバーに推薦の言葉を書いていたサントリー社長(当時)の佐伯敬三氏も、作家・遠藤周作氏もとっくに亡くなっています。 もちろん、著者の山本七平氏も。 この人たちは人間としても、仕事師としても一時代を築いた立派なサムライでした。 けっきょく、「論語」を社会人が生きるための共通の足がかりにしようという目論見は潰え去ったのです。 「論語」をいまだに封建道徳の教科書だとする誤解は根深いのですが、このサイトの「論語を読む」 でも再三書いているように、実態はそんなものではありません。 わたしはむしろこう考えています。 「論語」は現代日本のように、人がどうして生きるべきかという確固とした倫理コードを喪失した社会で、人間としてきちんと生きていく方法を模索する人だけが読むべき本であると! 山本七平さんの「論語の読み方」という本は、「論語」を読む気にはなれないけれど、ちょっとだけ興味があるという人にはお勧めです。 ただ、「知的(?)サラリーマン」を対象顧客にしているので、ある程度の灰汁抜きはどうしても要ります。 古本屋で、100円で売ってたら買うぐらいのこころ構えでいいでしょう。 ゾッキ本や、古本に手を出すくらいの本好きでないと、山本さんの毒気にあてられるので、お勧めしかねるという事情もあるのです。(笑) |
日帰り京都旅行のおかげで、バテてしまいました。 本を読むどころではありません。 しばらくは読書家の看板を下ろしたほうがよさそうです。 といっても、なんとなく活字を眺めています。 ええ、もちろん新聞です。 広告も見ています。 日曜版のマンガまで見ています。 「新聞・雑誌なんぞ、読書のうちには入らない」 ごく最近までは、そう思っていたのですが、忙しかったり疲れていたりすると、本を開くのもしんどい。 新聞も、読書のうちに入れようと、日和見することにしました。 TVや新聞、雑誌の怖いところは、「お茶の間の正義」というか、ショーモない愚民主義の洗脳です。 ニュース・メディアの報道で、事件の当事者たちを怒っていたら、ルポ・ライターの本を読んでその内容と報道のギャップに唖然とすることがあります。 TVなんて、最初から120パーセント信用していないからまだマシかもしれません。 新聞報道についても、正直にいうと全然信用していないのです。 わたしの実家は自営業です。昔のことですが、取引のある会社が悪質な粗悪品を作ったという報道を某読売新聞がしてくれたことがあります。 おかげで、実家で扱う商品の信用がガタ落ち。結局、報道は誤りとわかって、謝罪広告がでました。 でも、わずか数行の、かたちばかりの謝罪広告なんてなんにもなりません。 その商品が信用を取り戻すのには、その後1、2年かかりました。 販路を開拓していた父は、おかげで少なからぬお客さんを失って、打撃をうけました。 でも、報道機関のひとは地方の販売店のことなど、まったく気にはしてませんわな。 こんな思い出があるから、雪印の事件で販売店が続々廃業するというニュースを見るにつけ、胸がしくりときます。 O157の誤検査で、解雇されるパートの人たちも、なんとなく他人事のような気がしません。 人間には過ちがつきものだから、仕方がないのかもしれないけれど、代償のバランスはどうかと思うほど偏っています。 話がずれてしまいましたね。 元に戻ります。 その大嫌いなはずの、読売新聞を読んでいるから、わたしもヘンな人間です。 もちろん、報道の信頼性などまったく期待していません。なにせ、昔がありますから。 ただ、この新聞の文化欄が気に入っています。 文化人でないせいでしょうか? 月曜日の連載コラム「名文句を読む」というのがあります。 複数の執筆者がまわりもちで書く読書エッセイです。 執筆者が感動した本の名文句を紹介するというもの。 今回は、詩人の荒川洋治さんでした。 唐の詩人・白楽天の詩集が題材でした。 「いつも すき トウ・エンメイ ぶんがくの たかく ゆかしき」 ふざけているみたいですが、もとの漢詩をこんなふうに翻訳したのは、中国文学者の武部利男氏。平凡社ライブラリー「白楽天詩集」に入っているそうです。 トウ・エンメイは何者かといえば、田園詩人の陶淵明ですね。 この詩を読んで、荒川さんが抱いた感想が泣かせます。 著作権法違反かもしれないけれど、あんまり名文句なので、こっそり転載してしまいます。 「…… ところで、ぼくは二行目、『ぶんがくの たかく ゆかしき』という一節に、吸い寄せられる。 この時代も、そしてこのあとも、文学は人間の精神生活をうるおした。人は文学書をひもとき、その文学のなかにこめられた人間の言葉を読みとり、自分の生き方を夢をふくらませた。それは永久に続くかに思えたが、ほんの最近になって、文学は急激なスピードでかろんじられるようになった。 言葉も書物も変わった。消耗品になった。文学そのものも『たかく ゆかしき』ではなく、世間に合わせるものになりはてた。 世をあげて『経済の時代』が叫ばれるなか、文学は、大学からも見捨てられ、『文学部』という名称を変えるところがふえた。文学は追放されているのに、ものを書く人たちは時代のなかを流れているだけ。 ああ、もはや文学など存在しないのだ。……」 そんなこたぁ、わかっとるのだよ! あたまがいい人なら、そう云うでしょうね、きっと。 そして、たぶんWeb読みの大多数は、荒川さんの書く日本語が理解できない…… わたしのエッセイ日記を我慢して最後まで読めるのは、平均を超えた日本語読解能力を持つ人だけなので、読者の皆さんには荒川さんの哀しみがきっとわかっていただけるでしょう。 でも、荒川さんはただ絶望しているだけではないのです。 引用を続けます。 「…… でも、ぼくは文学が好きだ。こんなことをいうのは、ちょっと恥ずかしいけれど、こんな時代だからこそ、打ち明けてみたくなった。 みなさん、ごめんなさい。ぼくはとても文学が好きです。」 今年五月に、富山県出身のプロレタリア作家が97歳でなくなった。 荒川さんはその作家とは面識がなかったが、新聞の訃報をみて、その日のうちに昭和14年にその作家が書いた作品を探し出した。 作家の誠実な作風に打たれ、作品に描かれた農村の人々の暮らしを思い描いた。 「そして、地域的なことでも、文学の文字に残すことがいかにおおきい意味をもつのかについて考えた。そっと夜、ひとりで。涙を流すような気持ちで。……」 文芸マスコミに出没するわりには、ちっとも読書欲をそそらない――純文学の看板をあげているのに、どこがジュン文学なのかわからない――ブンガクの人とは違う何か。 荒川さんが呼ぶ「文学」とは、そういうものです。 「文学がないために、見えなくなることが多い。また、人間が見えなくなるときは、文学の姿が消えているときだ。そんなふうに思う。それだけだ……」 消耗品ではない何か。 時代のなかを流されるだけではない何か。 「たかく ゆかしい」何か。 それこそが――「文学」という漢語にふさわしいもの。 ものを書こうとする人間には、荒川さんの言葉はずしりと重みがあります。 |
日曜日(23日)は用事があって京都へ行ってきました。 別に観光が目的ではなく、知人の法事です。 午後から時間があったので、京都市内を歩いてきました。 しかし、中身はハンパじゃない地獄の取材旅行となってしまいました! いちおう歴史作家の看板をあげているので、歴史上の人物ゆかりの場所をめぐってきました。 場所は、相国寺境内・百万遍知恩院・金戒光明寺・青蓮院・円山安養寺…… これだけで、わかる人には何を調べたのかきっと見抜れたでしょうね。(笑) そうです。これ全部、法然ゆかりの地なのです。 取材の結果は、いつの日か作品に結晶させるつもりです。 他人からみればお笑いですが、目下、文学賞に果敢にチャレンジしております。 ただし、戦績はゼロ。(泣) 連敗中です。きびしいものがあります。 でかい賞を狙いすぎたからかな……と自分では勝手に思っています。 応募した賞をとった人は、ポッと出の人じゃなくて、既成作家とか他の新人賞の受賞者、それに他の文芸分野で名を成している人でした。 これじゃ、どうしたって無理じゃった! 戦略ミスが痛かった。 ――と思うのは、本人だけかも。 このHPに載せている小説のレベルじゃ、たぶん無謀と思われるのが落ちですね。 それもそうです……今ならわかる自分のレベル! 負け惜しみになりますが、応募した作品はどれも大抵400〜500枚くらいの長編で、レベル的にはあれよりはるかにまし。(大笑) ただ小説を書くと云って一行も書いていない文学中年というわけではない――というのが、救いでしょうか? (なるか……そんなもん!)< 自己つっこみ。 藤沢周平さんみたいに、中年デビューをめざしとるのです。 なんのかんの云っても、実績がないので、しょせんは負け犬のなんとやらですは。(泣) 深く反省して、またチャレンジしてみるつもりです。 話を京都の寺歩きに戻すと、(取材というにはおこがましいので、こう云い直します)、歩いたのは地下鉄烏丸線烏丸御池駅から、今出川通りを東へ進んで、加茂大橋をわたる。京都大学を横目に見ながら、百万遍知恩寺まで。 そこから、通りをわたり、吉田山北参道に入って、標高146メートルの吉田山を越えて、ふもとの吉田神社。 さらに、そこから宗忠神社をとおって、金戒光明寺。 京都の地図をみている人でないと、なにがなんだか分かりませんね、これじゃ。 距離にしてみると、6キロくらいかもしれません。 普段なら軽く歩けますが、気温36度以上の照り返しの強い京都の道を歩くのは、ハードでした! 京都在住の人なら、この季節に上のコースを歩く気にはなれんでしょうね。 よっぽどの物好きか、おバカな人でないとちょっと……という感じです。 金戒光明寺の境内を走り回ったら、さすがに足が痛くなったので、歩きはやめました。 平安神宮や琵琶湖疎水のあたりは何度も歩いたことがあるので、楽をしてタクシーにしまました。 あとは、大したことはありません。 つまらない話ではありますが、炎天下の京都を歩き回ったことは個人的にいい思い出になりました。 こんな具合でくたびれ果てたので、読書なんぞはやっておりません。 読んだものといえば、お寺のパンフレットや石碑ばかり。 新幹線ではビールを飲んで、寝てしまいました。 ほとんど脱水症状でした。 新幹線ではスーツ姿のビジネスマン風の人と隣り合わせの席でした。 この人は、パンパンに膨れ上がった書類カバンから、妙なものを取り出して食べていました。 サランラップに包んだ、海苔もまかない白米のオニギリです。 それも、無骨な、まん丸なやつ。たぶん自分で作ったのでしょう。 横目でうかがっていると、具は入っているようで、梅干とおカカらしきもの。 いやに、しつこく草臥れた能率手帳の予定欄をみてから、思いつめたような顔つきで、このオニギリにかぶりついたので、こちらはいやがうえにもどういう人なのか想像を掻き立てられます。 わしわしとオニギリをむさぼりながら、缶ビールをジュースみたいに飲んでいました。 どうにも不幸を感じさせる飲みっぷりであります。 酒の飲み方は、人生の幸不幸を示すバロメーター。 どうにも幸薄い感じの、中年ビジネスマンでした。 わたしと同じ年齢くらいのようで、なんとなく気になります。 横目で様子をみているうちに、草臥れきった表情で、スーツの上着をかかえて寝ていました。 日曜の夜遅い新幹線で、こういう人をみると、いろいろ考えてしまいます。 家庭はあるのか。奥さんとはうまく行っていないのではないか。 単身赴任にしても、弁当がこんなのはアリか。 それとも、京都の自宅で夕食を食べて、新幹線で食べる夜食として、炊飯器の残りを掻っ攫っておニギリを作ったのか。 しかし、体つきをみる限り、そんな食欲があるとは思えない。 午前中の法事で、知人の知っている人たちがいろいろ不幸な目にあっているのを聞いたから、なおのこと気になったようです。 ということを考えているうちに、こちらも恵比寿ビールのロング缶が効いて寝てしまいました。 わたしが目を覚ましても、噂の中年ビジネスマン(すいません、わたしが勝手に噂しているだけです……)はまだ寝ています。 新横浜に着いてから、ようやく目をさますと、もう一本の缶ビールをあわてて空けてぐびぐび一気のみしましたね。 根拠はまるでないけれど、いよいよこの人の家庭的不幸をわたしは直感しましたよ。 さてビールを飲み終わると、まだ東京駅につくには時間があるにもかかわらず、中年ビジネスマンは書類カバンをかかえ、空き缶の入ったビニール袋をもってデッキへ行ってしまいました。 その後姿に、なんとなく「頑張ってね」と心の中でつぶやく。 あまりにも陳腐な状況ではありますが、どうもそんな風に思わずにはいられない。 「余計なお世話だ!」と、相手に怒鳴られそうですが…… そんなことって、ありませんか? ところで、例の「三宝絵」は土曜日に読了しました。 それについては、明日また書くことにします。 |
ここで扱う本のことですが、このところ現代にはさっぱり戻って来れません。 もっぱら日本史だの、古典だのばかりです。 執筆しているわたしは、もしかしてかなり年配の人だと思われている節もあります。 ジジイを自称しているせいか、やけに老け込んでみえるようです。 ――上等です。「ホンモーじゃけんね、わし!」という気分です。 古典というと、なぜか年寄り臭いというイメージはよくわかります。 正直にいえば、わたしだって日本古典にはかなり抵抗がありました。 立原正秋という昔の作家が情痴小説を書きながら、普段から着流し姿で「古典・こてん……」と云い暮らしているのを、グラビア雑誌で見るにつけ「かっこつけすぎ……」と思わなかったわけではありません。 女流時代小説家が着物姿だったりすると、「臭すぎ……」とも思いました。 でも、いまは違います。 「やっぱ、ええわ!」 と、あっけなく宗旨変えしました。 日本人には、ジャパニーズ・スタイルがいちばんだと思います。 けっきょく、いくらがんばっても、西洋人にもアメリカンにもなれんのです。 別になりたいとも思いません。 グリーン・カードを貰って、アメリカに移住する気もありません。 やっぱり、この国はええですは。 人間もいいし、女もきれい。 さんざん外国語や外国の歴史をやってきたわたしではありますが、今いちばん面白いのは日本人です。 ただし、現代の日本人はあまりにも美しくないので、ちょっとなんとかしてほしい感じです。 古事記でさえ、「日本の女は愛想がよくて、夫に尽くす」と自慢しています。 ところが、このごろの日本では、「むっつりしてたり、幼児的な感情をさらけ出すのが、誠実な良い人」という誤った観念がはびこっているようで、笑顔がよくないです。老若男女ひっくるめて。 そんな現代人をみていると、ふと古典に書いてあるのはどこの国の人だと不思議な気がしないでもありません。 もちろん、古典にだって、人間の醜さはいっぱい書かれているので、現代と同じといえば、その通りです。 乱暴な言い方ですが、古典を読むのはお墓参りに見ています。 飲んだくれのロクデナシも、お墓ではいい人です。 死者は静かです。欲に駆られて、人格が豹変するなんてことはありません。 金やなにやかがからむと、親兄弟さえ信じられない世の中です。 死者ほど確かなものはないかもしれません。 それでいて、やっぱり古典はつねに「いま」を生きているのです。 お墓に入った故人の資質や生き方が、現世で生きる子孫たちに乗り移ったかのように反映する実例には、皆さんも事欠くことはありますまい。 「お墓参りなんて無駄はやめよう」という考えがこのごろでは強くなっているようです。 やめてどうする……とは考えないのでしょうか。 自分のありようを、他人の目で見つめる。このことを疎かにすると、待っているのは、魂の死だけ。 魂が死ぬと、やがて意識は肉体の細胞をガン化・老化させて個体を滅ぼす。 ――なんてことを、イギリスの思想家コリン・ウィルソンは考えています。 わたしも賛成です。 魂というのは、医学的・生理学的な肉体と、心理・意識作用からホログラフィックに統合されたある種の実体と考えるべきでしょう。 人間は、生物学的な肉体だけで生きているのではなく、心理的な地平線に統合された「精神・物理的な時空」に生きているのです。 そこを生きている実体が魂であり、その運転手役が意識なのです。 意識が存在する「精神・物理的な時空」はときどきリフレッシュする必要があります。 細胞の新陳代謝みたいなものです。 「自分を見つめなおす」ということは、「精神・物理的な時空」を再生・蘇生させる大事な生命活動です。 先祖や、亡き故人を想うということは、つまるところは「自分を見つめなおす」ことです。 古典を読むということは、それをもっと大きな視野で行うことだと思います。 そろそろ墓参りにいく季節だから、古典が面白い……なんてのは、ちょっとゴーインすぎますね、やっぱり(笑) でも、わたしはこんな気分で古典を読もうとしているようです。 自分のくせに、第三人称のように書いてしまった……書いているうちに、はたっときづいたのだから、仕方がない。 そんなわけで、ごたくを書かせてもらいました。(笑) ところで、たぶん明日は日記はお休みすると思います。 所用で一日外出する予定なのです。 来週またよろしくお願いしますね。ペコリ! m(_ _)m |
いよいよ夏バテ本番ですね。 ネット界最大の作家・田口ランディーさんでさえ、夏バテでメルマガを休むこのごろ。 わたしも、いい加減ダメダメってところです。 このままでは、鉄人読書家の看板を下ろさなければいかんですね。 すこし、ペースを落とすしかありません。 ただ本屋にだけは寄っています。 また岩波文庫を買ってしまいました。 このごろ、読書欲をひきつけられる文庫は岩波ばかりです。 べつに権威主義的なものが好き(!)って、わけじゃなくて、歯ごたえのあるものを探していたら、そっちにいきついたのです。 中公文庫も良いけれど、読売の資本が入るようになったら、本屋に入っている点数がどんどん減っているのです。 おかげで、新刊本屋では、わたしの読みたいようなのがない。 中公文庫は、もっぱら古本屋さんだけが頼りの状態です。 本は売れなくなっているんでしょうね。 講談社文庫に入っている吉村昭さんの作品は、新刊本屋ではぜんぜん見つかりません。 昨日行った本屋では、活字と行間がいやにあいた新訂版が一冊出ていました。 他の作品も順次、大活字版になるんでしょうか? 本を読む習慣のある世代が次第に年取ってきたので、こんな大活字本が出現してきたのか……なんて、思うとさびしくなりますね。 本を読む習慣のある人は、今の世代でいえば、だいたい30代の真中くらいまででしょうか? この世代より後ろは、ちょっと厳しいかもしれません。 そのうえ、男も女も30代は公私ともに忙しい。 やっぱり、熟年層の財布をあてにしているのでしょうね、出版社も。 話を戻すと、買ったのは「ほらふき男爵の冒険」と、「憂愁夫人」(ズーデルマン)です。 なんで、こんな古いドイツ文学の翻訳物を買ったかというと――こども時代への郷愁というやつでしょうか。 昭和30年代生まれの人間は、小学館の出していた「少年少女世界の名作文学」という児童文学の全集にお世話になっています。 「ほらふき男爵の冒険」も、「憂愁夫人」も、子供向きにリライトされてはいますが、その中に入っています。 ただズーデルマンの本は、「フラウ・ゾルゲ」という原題でしたけど。 どっちも有名な本なので、内容紹介をする必要もないでしょう。 ズーデルマンの本は、95年のリクエスト復刊なので、そろそろ買っておかないと、入手するのが難しいかなと思ったのが購入した動機です。 「ほらふき男爵の冒険」も、最新刊の文庫カタログから消えていたので、用心のために購入しておきました。 ずっと前から立ち読みして気が付いていたのですが、「ほらふき男爵の冒険」の挿絵は小学館の児童文学全集のものと同じでした。 今回購入してわかったのですが、挿絵画家はギュスターブ・ドレでした。 岩波文庫には、児童文学全集よりもたくさんの挿絵があるので、ドレのファンであるわたしには楽しめます。 どうも、くたびれると、子供時代がなつかしくなるのかもしれません。 そういえば、一昨日も岩波文庫を買っていました。 こちらは、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」という本です。 ドイツ中世の悪戯好きの職人、ティル・オイレンシュピーゲルの活躍を描いた「民衆本」です。 この「民衆本」というのは、活字文化がいちはやく芽生えたドイツで盛んに出版された大人向けの民話集みたいな本です。 ただし、アダルトな意味はありません。念のため。 この本が面白いのは、訳者兼解説者が阿部謹也氏であること。 ドイツ中世民衆史の大家です。 そういえば、最近不勉強で阿部氏の本をあまり読んでいません。 むかし大学で西洋史の学生だった頃は、気鋭の西洋史学者・阿部謹也氏の本を読まないことは考えられませんでした。 いまはどうなんでしょうか? 西洋史そのものが、日本ではあまり元気がないような気もします。 人間くたびれると、昔が懐かしくなる! やっぱり、夏バテかもしれません。 大学生時代を懐かしんで、こんな本を買ったのだから。 でも、「ティル・オイレンシュピーゲル〜」も久々の復刊です。 前に出たのは、91年くらいでした。 およそ10年ぶりの復刊なのです。 それを考えると、やっと買えたという気もしますネ。 岩波のリクエスト復刊というのは、ほんとにファン泣かせの快挙ですは。 これがあるから、岩波文庫ファンは増殖してやまないのでしょう! いわなみ万歳!! May the force be with Iwanami! |
いい天気です。 関東も梅雨明けだそうで、まずはよかった。 ただし、これからも暑くなります。 大学時代の友人・田中くんから、メールをもらいました。 まめな田中くんはとっくに吉田燿子さんの本(17日の日記参照)を買っていたとか。(絶句) ……田中くん、きみは立派だっ! さすがは国家公務員!(……だったっけ?) それにひきかえ、わたしはなんとクソったれな先輩でしょうか。(さめざめ……泣く) ……すいません。このごろ、日本古典を読みすぎたせいでしょうか。 涙もろくなって困ります。(大嘘) 今度、都心の書店へ出かけて必ず買おうと心に決めました。 HPを読んでくれている友人のつーさんからも、メールをもらいました。 新しい仕事でがんばっているようです。 がんばれ、つーさん! きみは日本の星だっ!! さて怒涛のような私信モードを終えて、本の話題へ入ります。 「注好選」という本を読みました。 例の「三宝絵」と同じ巻に入っている古典です。 わたしが読んでいるのは、岩波書店の「新日本古典文学大系」です。 どうやら、いきつけの図書館で、これを読んでいるのは、わたしだけかもしれません。(笑) 天涯孤独、天下無敵の境地です。 ところが、隣の中国古典を見ると、しょっちゅう借り出されている上に、けっこう本がぼろぼろです。 こちらには強力な好敵手もしくは、やり手のグループがいると見ました。 図書館という閑そうな場所でも、けっこう烈しいバトルがあったりするのでしょうか。 ふと、年配の老人がゲートボールのステッキを大上段に構えて、睨み合っている構図を想像してみました。 かたや天然理心流。かたや薩南示現流。 京の三条河原で、元新撰組隊士・「漢文好き之進」と、旧薩州浪士・「詩吟やる蔵」が遺恨の決闘! 「チェストーっ」 「をおおおおをっ、りゃっ」 勝ったのは、どっちか…… 「翔ぶが如く」を毎晩読んでいるせいか、ろくでもない想像がむくむくと沸いてきます。(笑) そんなことはどうでもよろしい……そのとおりです。 わたしは、どうも根がバカ真面目のようです。 謙遜でもなんでもない。ほとんどおバカに近いくらいの、真面目だと思います。 言葉を変えると、ちょー要領が悪いタイプ。 いまどきの十代だったら、まちがいなく金属バットでいじめっ子に逆キレするはず。 だから、日本古典を制覇するぞと思ったら、岩波文庫からこつこつ読み始め、やがて図書館通いまでするようになりました。 そうして読んでいくと、昔の人の教養ほどがしのばれ、平安時代の下っ端官人や貴族も、たいへんな読書家だったんだなと無意識で思うようになりました。 もちろん、理性ではそんなはずはない……と疑っていたんですよ。 でもネ、そこがおバカのバカたるゆえん。もっと自分もがんばらなくては――と思ったりして。 しかし、本来字を読むことなんて大嫌いな日本人が、そんな努力家だったはずはなかったのです。 そのタネと仕掛けがわかりました。 「注好選」という本は、平安時代のビジネスマン向け・安直・ハウツー教養本だったのです。 さしずめ「一週間であなたも立派な教養人」というところ。 第一部は「三日でわかる仏教のすべて」 第二部は「三日でわかる中国古典のすべて」 第三部は「三日でわかる世界の動物百科」 ――ということになっています。 これ一冊、読んでおけば、とりあえず職場の会話はすべてオーケー。 あなたを見る人の目が変わるはず…… そうなんです。 この本は、中国古典から、仏教、動物などの雑学をすべて網羅して、職場や社交で恥を書かないための虎の巻だったのです。 いやはや。たいしたもんですね。 まいりました。 だからといって、馬鹿にはできません。 「注好選」は、もともとは和製の漢文で書かれていたもの。 公文書は漢文だったし、漢詩を書けなければ公文書の書き方もマスターできない。 「注好選」一冊を読むということは、漢文の例文集をマスターすることに等しい。 実用レベルの英語を勉強した人ならわかるでしょうが、こういう簡便な文例集があると、外国語で文章を書くのがとっても楽になるのです。 現代でいえば、英語や日本語のビジネス文例集さえあれば、別に文才がなくても日英のビジネス文書が書けることに似ています。 故事来歴や、仏教の話や、動物の話がどうして公文書に関係あるんだ! ――と不審に思う人もいるでしょうが、この頃の公文書は詩的メタファーにあふれた美辞麗句を書き連ねないと、体にならないのです。 もとは、中国の官僚制度を真似しているので、なおさらです。 そういう詩的情操や、中国史・仏教の故事来歴を修飾に使ってこねあげていない公文書はまず考えられません。 ただ用件だけを書いたのなら、中級以上の国家官僚・地方官僚からしてみると、小学生の作文くらいにしか思えないわけです。 そう考えると、なかなか大変です。 「注好選」のような漢文ハンドブックが誕生したことは、中国古典を学者みたいにせっせと読破する無駄を省いて、実務に専念する官僚が必要になった証拠ですね。 やっぱり、日本人は要領がいい!(笑) いまどき漢文を読んでいるような「詩吟やる蔵」さんや、「漢文好き之進」さんみたいな人は、平安時代にいたとしても旧時代の遺物ですな。 もちろん、わたしも…… |
日本最古の哺乳類が見つかりました! トガリネズミに似たのと、肉食のリスもどき(?)の二種類です。 発見場所は、石川県です。北陸は、日本でも恐竜化石なんかの多い場所。 この次も、何か面白いのが見つかるかもしれませんね。 トガリネズミに似たほうは、推定体長約10センチ。三錐歯(さんすいし)類というそうです。 これは食虫動物だとか。 凶暴な顔をしたリスもどきは、多丘歯類といって、顔に似合わず、草食性動物だそうです。 みかけはあてになりません。注意しなければ……(苦笑) いい忘れましたが、リスもどき君は推定体長約8.5センチです。 発見された地層は1億4000万年前。 中生代は、白亜紀初頭―― 恐竜ファンとして、ささやかにウンチクを垂れると、肉食恐竜でいえばアロサウルスや、メガロサウルス。草食恐竜ではディプロドクスやブラキオサウルスたち四足の雷竜たちの全盛時代です。 まだ角竜トリケラトプスや、イグアノドンなんかは出現していません。 大型恐竜がのっしのっしと大地を歩き回っていた時代を、われらが直系のご先祖はちょこまかちょこまか逃げ隠れしながら、昆虫や、木の葉っぱを食べて暮らしていたわけです。 お盆も近いことですし、ご先祖さまに感謝して「合掌!」……でも、しますか? ……伝統行事は大切にしたいものです。(笑) ところで、昨日の続きです。 恋人、平資盛が壇ノ浦で入水自殺をとげたあと、傷心の右京大夫は旅に出ました。 行き先は、北の国でしょうか? 方向としては、まあ間違っていません。 ただ、わたしたちからみると、かっくんと来るくらい近場です。 滋賀県の大津市にある坂本です。 京都からはそんなに離れた場所ではありません。 当時の貴族階級の女性が、どれだけ狭い範囲で暮らしていたかがしのばれますね。 どうやら牛車に揺られて、出かけたようなので、お金もあったのでしょう。 平家の公達の妻や恋人たちの中には、後追い自殺をしたり、尼になったりする人もいたようです。 ただ、資盛は年下の恋人で、しかも他にも恋人がいたので、右京大夫さんはとてもそんな気にはなれなかった。 涙にかきくれて、袖をしぼるほどであっても、はたから見れば、結構のほほんと暮らしています。これが京女の怖さかもしれません。 主人の建礼門院は平家一門といっしょに都落ちしたけれど、右京大夫は従わずに都に残っていました。 岩波文庫の、久保田淳氏の解説から考えると、恋人と死に別れたのが、30歳から35歳くらいのこと。 恋人の資盛は、入水した頃は25歳くらいでした。 5歳から10歳年上では……やっぱり、きついかもしれませんね。世を捨ててまで菩提を弔うのは。 宮仕えをやめて、引っ込んでいた右京大夫が、次に歴史に現れるのが、48歳くらい。 そのあいだは、親鸞の師匠でもあった慈円大僧正に、兄ともども厄介になっていたようです。 昔の女房仲間のつてで、後鳥羽上皇の宮廷に女官として就職しました。 その頃は、藤原定家の叔母さん(=俊成女)や宮内卿といった新しいタイプの若手女流歌人たちが、すでに時めいていたので、右京大夫さんはどうもぱっとしません。 かつての映画スターが、お昼の奥さん番組にコメンテーターとして出演しているような、役回りしかめぐってこないのです。 先祖伝来、書道名人の家柄なので、こうした女流歌人の歌を筆にしたり、刺繍するような仕事をしていました。 そして、80歳くらいで亡くなったようです。 この人の歌集が残ったのは、女の友情のおかげです。 あの藤原定家が、「新古今和歌集」をつくるために、資料として最晩年の右京大夫に歌集を提供したもらったことがあります。 それを、親友の七条院大納言という女流歌人がまとめて本にした。 世に残るのは、それを代々、女房たちが筆写したものです。 やっぱり、女はネットワーク! 女の友情は、たいせつです。 古典に学ぼう、キャリア・ウーマンの生き方! ……なんてね。 それにしても、右京大夫さんの一生は、いまどきのワーキング・ウーマンの皆さんには共感できるところが多いんじゃないでしょうか。 |
大学の後輩の吉田燿子さんが本を出しました。 「日本初『水車の作り方』の本」という説明くさい題名が面白いです。 小学館文庫で今月くらいから発売していました。 この本自体は、発売当初から存在は知っていました。 本屋で立ち読みして、買おうかなと思っていたら、よほど売れ行きがいいのか、近所の本屋では見かけなくなりました。 そのうち、見つけたら買おうと考えていたのです。 でも、このときは、これが吉田さんの本だとは思ってもみませんでした! 吉田さんはペンネームを使っていたので、この著者が大学の後輩だとはわかりません。(笑) 暑中見舞いメールをもらって、はじめて吉田さんが本を出したことを知ったのです。 本をゲットして読まない限り、吉田さんにお返事は書けません。 なんとかしなければと思っているうちに、読売新聞の書評欄で取り上げられました。 「やったね、吉田さん!」 ――という感じです。ますますお返事が出しにくい。(#^ ^#) 早く探し出して、読まなければ。 それがいちおう先輩のメンツというものでしょうか? おぼろに立ち読みしただけのわたしには、本の中身について何ほどもことも言えないのですが、読売の書評には癒し系みたいな、いい感じのことが書いています。 ぜひ、ご一読ください。 ついでに書いておくと、吉田さんはOB(正確にいえば、この人は紅一点のOGですけど……)の飲み会にもなぜか着物姿で現れる美女系のひとです。 どうぞ、よろしく。 ……なんて、わたしが云っても、なんにもならんですわね。(笑) そういえば、つい先だっても学校時代の知り合いの活躍を聞きました。 高校時代のクラスメートが、光を照射して皮膚病をなおす画期的な研究をしたとかで、新聞に載りました。 私の目の前の席に座っていた男です。 長年、音信不通だったので知りませんでしたが、どこかの医大で講師をやっているようです。 高校時代からは想像もできません。 あの頃は、なぜかスキンヘッドでした。 開業医にでもなって、せっせと小金を貯めるタイプかと思っていました。 いや、人はみかけによらない。(笑) 他人ごととはいえ、知人の活躍はうれしいものです。 いまのところ、そういうポジティブなニュースだけなのでホッとしています。(笑) さて、源平時代の女流歌人「建礼門院右京大夫集」を読んでいます。 和歌については何にも申しますまい。 男女の恋の歌ばかりなので、ボクネンジンの私はさっぱり……です。 ただし、日記風の添え書きが和歌の前に添えられているので、歌物語として読めます。 このあたりが、面白いですね。 右京大夫さんは、平清盛の孫・資盛の恋人でした。 ただ、恋人の兄、維盛や兄弟の叔父・重衡とも付き合いがあったような節もあります。 右京大夫のバックグラウンドもなかなか複雑です。 彼女の父は、とうに主流を離れた藤原摂関家の太政大臣・伊尹の流れを汲んでいます。院政時代には大した家柄ではありません。なにせ、道長の子孫だって、庶流は大した家柄ではなくなっているくらいですから。 しかも、この父は若死にしてしまいます。 ただ彼女の母・夕霧というのが、道長の曾孫・俊成の元恋人だったのです。 その関係で、俊成が後見人となって、右京大夫は清盛の娘である高倉天皇后・徳子の女官として就職します。 俊成は、あの藤原定家のお父さん。 その俊成とお付き合いがあっただけに、母親もそれなりの歌才の持ち主だったのでしょう。 なにせ「女と鬼は目に見えぬぞ、良き」という時代です。 昼間の顔を見ることができないので、歌で「粉をかける」しかないわけですから。 父も歌人としてそれなりの人だったそうで、周囲の環境からすると、和歌の教養はかなりのものだったのです。 そのせいか、本歌取りの歌が多くてつまらないという、この頃の歌人の悪癖にも染まっているようです。 清盛一族の権力の源である建礼門院徳子の宮廷に使えているわけですから、当然清盛の息子や孫たちとの恋愛もいろいろあります。 いってみれば、職場恋愛みたいなものです。 バブル時代華やかなりし頃の、トレンディー・ドラマとでも申しましょうか。 そのあたりは、面白くもなんともないです。わたしは…… ただ、やがて源氏の蜂起がはじまって、平家の都落ち、相次ぐ敗戦、恋人の死と事件が続いて、右京大夫の平穏な生活は崩れ去ります。 そして、傷心の右京大夫は旅に出ます。 さて、これからどうなるか。 ひとの恋路なんて退屈だけど、人生ほど面白いドラマはない。 ……で、続きはまた明日。 |
両国の「江戸博物館」でやっている「発掘された日本列島2000」展を見てきました。 今月の20日までなので、慌てて行って来ました。 今回の目玉は、飛鳥で発見された「亀形石」です。 もちろんレプリカですが、実物大です。展示解説員に聞いたら、材料はウレタンだとか。 なかなか可愛いカメでした。 会場には、日本古代史のファンらしい老若男女がひしめいていました。 ろくな宣伝もなかったのに、この展示会をかぎつけただけあって、かなりのマニアぞろいですね。 品のいい老婦人が、唐三彩と奈良三彩の違いを質問していました。 すると、たぶん学芸員の研修中らしい若い学生がすばやく答えていますね。 「唐三彩には青があるけれど、奈良でつくられた三彩には青がない」と。 会場をふらふらしているだけで、勉強になります。 「秩父原人」の石器もみたし、纏向(まきむく)遺跡の出土品も見ました。 纏向遺跡は、卑弥呼の墓とされる箸墓古墳の近くの広いエリアをさします。 このあいだ調査されたホケノ山古墳も、ここに入ります。 箸墓古墳は日本最古の前方後円墳とされています。ホケノ山古墳は出土したカメからすると、弥生時代に作られたらしいので「古墳」ではないという学者さんもいるようです。 ただ学芸員の方にお話を聞くと、弥生時代の周溝墓というのは規模は小さいけれど、古墳と同じ形をしているものがある。 弥生時代の墓と、古墳との違いはなんだということになると、じつははっきり分けることはできないのです。 どちらというと、定義の問題という次元にずれこみますね、これは。 卑弥呼は2世紀の終わり頃から、3世紀半ばまで政権の座にいました。 これは、ちょうど弥生時代の終わりと古墳時代の初めの時期にかぶさっています。 単純に切り分けるのは、もともと無理でしょう。 妙な展示物もありました。 秋田県で発見された「人魚の供養札」というもの。 古い木の板に擦れかけた墨で、お坊さんと人魚の絵がありました。それと経文も。 絵のセンスは、吉田戦車に似ていないこともない。 ジュゴンが、暖流に乗って、日本海まで流れていったのでしょうか? そういえば、久保キリコが描いたキャラクターみたいな「武人埴輪」というのもありました。 なかなか不気味っ可愛い顔をしています。 いろいろ楽しめた展覧会でした。 帰りはちょっとくたびれたので、両国駅の近くのビアホール「両国麦酒館」で、両国地ビールを飲んできました。 いちばん人気は黒ビールなのですが、午後2時で早くも売り切れ。 「ピルズナー」と、「ウィンツェル」を飲んできました。 たぶん「ピルズナー」が下面醗酵で、「ウィンツエル」が両面醗酵だったと思います。 どこが違うかといえば……よくわかりません。(笑) ただ「ウィンツエル」が軽くて、苦味が少ない。「ピルズナー」のほうが苦味があって、コクがあるように思います。 気分よくうとうとしながら、電車で帰ってきました。 時間があれば、神田古書店街か池袋の大手書店をはしごするつもりでしたが、すっかり気分がいいので炎天下に外を歩くのが面倒になりました。 さっさと帰宅して、買ってきた展示目録をみながら、二度楽しむ。 ハッピーな一日でした。 心残りは、今世紀最後の月食をすっかり忘れていたことです。 でも、NHKの「四大文明」で「メソポタミア」を観たので、満足です。 わたしは、どういうわけか、「メソポタミア」文明がすきなのです。 来週は、「インダス文明」ですね。 予告を見る限り、この次の「四大文明」では、メソポタミア文明の祖と考えられている「ディルムンの民」を紹介するようです。 NHKが「ディルムン」を出すとは。 世の中、開けてきたものです。 |
© 工藤龍大