読書日記(!)のはずでしたが、夕食でいっぱい飲ってしまった。 ろれつが怪しい読書家です。(笑) 昨日から、カズオ・イシグロの<When we were orphans>を読んでいます。 しかも酩酊しながら……。 正直いって、筋を追うのがやっとですは!(笑) 主人公の父が上海でアヘンの輸入をやっている貿易会社に勤めている。 そして、両親が謎の失踪をとげます。 いまは主人公の上海時代の回想に入っている。 幼馴染の日本人少年アキラというのが、だいじな鍵を握るのかもしれないけれど、今の段階ではなんともいえませんね。 ミステリーというのは、これだから……。 作家にお任せみたいで、わたしは好かんです。 こういううるさい読者は、作家も嫌でしょうが……。 マグロになった気分で、まな板にあがらないと、ミステリーは楽しめない。 わたしみたいな短気な読者はミステリー作家の天敵かもしれない。(笑) でも、カズオ・イシグロは名文家だから許す! みごとな文章を楽しむためだけでも、ミステリーの趣向に我慢する値打ちはある。 あー、われながらヒネくれている。(笑) さきほど、金沢の純米吟醸「加賀鳶」を飲みました。 これ、美味いですよ! おかげで、すっかり酩酊しています。 この調子だと、いつまで何を書きつづけるかわからない。(笑) 本年度は、これで読書日記をおわらせていただきます。 皆さん、良いお年を! |
いよいよ20世紀も余すところ、あと12時間を切りました。 いかがお過ごしですか? 昨日までに、めぼしい家庭内サービスは終わったので、本日は楽です。 おかげで、のんびり読書日記なんか書いていられる。 汗みどろで、家庭サービスに励む皆さん、お疲れさまです。 あともう少しで、酒と紅白が待っている! 別に紅白なんかどうでもいいんです。 すくなくとも、家庭サービスからは解放されて、ゆったりできる。 あと少しだ! ご家庭の主婦の方も、ご家庭の家内奴隷(笑)の方も、あともうちょっと! ぐわんばりましょう! ところで、わたしは昨年末の検査で肝臓の数値が思わしくない。(泣) 今日も運動のために、2時間散歩してこなければなりません。 とにかく体脂肪を落さないと、話にならないので、食事を減らし、とにかく運動です。 あ”ー、因果なこと! 歳末の大晦日にふらふら散歩だなんて、傍から見れば優雅なんですけどね。(泣) これを怠ると、こわーい成人病が待っている。 とにかく、一日一万歩ですは! 三浦綾子さんも、パーキンソン病が悪化するまではやっていたそうです。わたしも見習わないと。 さて、年末・年始にどうしても考えておかなければならない行事がひとつありますね。 そう初詣であります。 開運・商売繁盛を願う社会人としてははずせません。 日頃、無神論者であっても、競馬にいくときと正月だけは神様にすがりたくなるのが人情というもの。 これだけ不景気だと、やはりお賽銭を奮発しておかないと、心配でしょうがない。 公務員だって、自衛官・警察官・消防官なんかの他は身分保障がなくなるって話です。 今日の朝刊で新しい公務員法が提案されていました。 国家公務員でも地方公務員でも、首切りが始まる時代に突入したのです。 やっぱり、神頼みしかありませんな。 運を良くする方法をしつこく研究した(大爆笑!)わたしが、調べたところでは、神社への初詣にはコツがあるようです。 それは、有名な大きい神社にいっても無駄だということ。 むしろ、そんなところへ正月なんぞいくと、他人の悪運さえ拾ってくる恐れがある。 欲望ぎらぎらで悪心満々で、皆さんやってきますからね。 不運や邪念がインフルエンザ・ウイルスのように蔓延しているのです。 それを拾ってこないほうが不思議というものらしい。 エボラ出血熱が大発生しているジャングルへ、すっぱだかで出かけるようなものです。 運を良くするという目的にかぎっていえば、きわめて危険です。 ただ人混みが大好きだという人は別ですが。 それではどうするかというと、自分の生まれた町の神社へ行くのがいちばん良いそうです。 自分が生まれた土地の神社は「産土(うぶすな)さま」といって、人間の願い言はその人の「産土様」を経由して神さまの世界に届くと、神道ではされています。 原則的にいえば、縁が薄い大神社へいっても、ご利益はない……らしいのです。 ただ郷里を離れていて、「産土様」へ行けない人はどうするか? その場合は、自分が現在住んでいる近所の神社でよいそうです。 現住所の神社が、第二の「産土様」の役割をやってくれることになっています。 「産土様」が戸籍謄本のある市役所だとしたら、近所の神社は現在住民票のある市役所みたいなものです。 人間の願いことは、どちらかの「産土様」を通じてしか、神様の世界には届かない――というのが、神道の教えらしい。 日本人の神さまに対する考え方は、キリスト教・仏教・神道がごちゃごちゃになったわけの分からないものになっていますよね。 これだと、運をよくしたい場合、どうしたらいいかなんて分かりません。 神仏習合、万教帰一というふうに、宗教をクロスオーバーしてしまうところが、日本人の強みだと思います。 でも、ものにはやり方がある。 幸福研究家(笑)としては、正月の初詣には、「産土さま」をお薦めしますね。 ただ「わたしは熱烈なキリシタンである」とか「祖師さまの教えの他は聞く耳もたんぞ」という方にはお薦めできませんが。 クリスチャンとか、熱烈仏教徒の場合の、運を良くする方法については、まだ研究が行き届いていないんですよ。(笑) 追記: さあ、夜も更新だ! また見てくださいね。 |
大掃除が終わりました。 やっぱり、掃除の基本は手抜きですね。(笑) 昨年は本棚の本まで整理したおかげで、地獄をみた。 今年はそんなことはしません。学習効果って、やつですか?(苦笑) 天井の煤を払って、本棚にハタキをかけて、床に平積みの本の一部(!)を動かして掃除機をかける。 照明のほこりを払う。 これだけで、よかったんだなあ! あとはお世話になった愛機のモニターを、ガラス磨きで拭いただけ。 これが結構時間かかりましたが、楽々クリアして、キーボードまで拭いちゃった。 今年の大掃除は大成功です。(^^) おそらくは四桁に突入しているであろう本の山を相手にしない。 これが勝因でした! これでやっとカズオ・イシグロにとりかかれる。 優雅な年の瀬が過ごせそうです。 こうしてモニターを眺めていても、画面が鮮明すぎて驚きです。 いったい、どれだけホコリがついていたことやら。(溜息) まるで新品みたいというのは、誉めすぎかな? 和菓子屋さんに頼んでおいた鏡餅も取ってきたし、今日はこれでお役御免ですね。 いやあー、ほんとに嬉しいですは。 だって、去年は死にたくなるほど腰が痛くて、しかもこの時間でまだ三分の一も片付けが終わっていなかった。 すこしぐらいホコリがあったって、いいじゃないか。 とにかく、終わったんだから。 そんなわけで、読書日記どころか大掃除日記になってしまいました。 本はこれから読みます。 それでは、また明日。 明日もしぶとく更新しますので、また見に来てやってくださいまし。 紅白は見ないから、時間はたっぷりあるのです。(笑) |
いよいよ大掃除ですねー、年末はやっぱり! 昨日は風呂の大掃除を3時間やっていまいた。 ほとんどすべてピカピカです。(笑) おかげで、くたびれて他のことはあんまりできません。 本の倉庫と化しているわが部屋の大掃除は今日ですかねー。(苦笑) なんとか除夜の鐘を聞き終わるまでに片付けたいものです。 ちっとや、そっとの量じゃないからな、これが……。 去年の日記をみると、それでも年末に本を読んだりしていたんですね。 われながら、感心しました。(^^) 昨日はカズオ・イシグロの小説を2章読んだだけだったなあ。 掃除を早く終わらせて、せめてカズオ・イシグロの本だけでも読みたい。 そういえば、ネット書店<スカイソフト>からメールが来ていました。 定価の35パーセント引きキャンペーンを、1月14日23時59分まで延長するそうです。 時間はかかるかもしれないけれど、安いのが魅力ですね。 なんか買おうかしら、また。 ところで、本日(30日)が「日記猿人」のデータ移動らしいですね。 詳しいことはよくわかりませんが、2001年元旦から「日記才人」(にっきさいと)に名前がかわってシステムも変わる。 それにあわせて、ここのトップページのリンクは「日記才人」のほうに変えました。 仕組みがよくわからんので、更新報告がうまく出来ないかもしれない。 時間があったら、本日中にまた更新しますので、また見てやってください。 たぶん、二回目の更新は午後六時過ぎだろうなあ。 さて本日は、暴力シーンが人間の攻撃性を亢進するのかということを考えてみました。 直感的に考えれば、答えはイエスでしょうね。 ところが、そうじゃないという心理学者がいる。 その人の実験結果では、不気味な迷宮で敵を殺しまくる凶悪なシューティング・ゲームよりも、仲間と助け合ってモンスターを倒しながら使命を達成するロールプレイング・ゲームをやったほうが攻撃性を高めることがわかった。 どうやって調べたかというと、相手に不快感を与えるブザー音を鳴らす時間をそれぞれのゲームをやった学生を対象にして測ったのです。 すると、ロープレ組のほうが長いことブザー音を鳴らす傾向があった。 ただ、わたしがいうのもなんですが、この実験には疑問がある。 非暴力的な嫌がらせをする能力(いじめ能力か?)は、もしかしたらロープレ組のほうが高いかもしれない。 でも、衝動性・破壊性はこの実験では測れないのではないか? 暴力が好きといってはなんですが、格闘だのケンカだのが好きな人種はいます。でも、このタイプが必ずしも悪いとはいえない。 格闘家や、武道を学ぶことによって自己の衝動的な破壊性を押さえることができるようになるからです。 これが抑制できないと、格闘技も武道も強くなれない。 さっきの実験は、嫌がらせ的攻撃性(いじめ能力)と衝動性をごっちゃにしている。 いちがいに暴力といっても、その両方がある。 言葉の暴力やいじめは「嫌がらせ的攻撃性」の産物であり、渋谷で金属バットを振り回すのは衝動性。 シューティングが衝動性に影響を与えていないことは証明されていない。 ――なんてことを考えたのは、読売新聞でTVゲームの弊害を追及するシリーズ記事を書いていたのが、最終回あたりでいきなりTVゲームの残虐シーンと暴力事件の関連を否定するような意見を紹介していたので、あれれっと思ったからです。 中立でぼかしたか、広告主のゲーム業界からクレームが来たか。 たぶん、両方だと思いますけど。(笑) (これだから、マスコミは……と、つい思ってしまう。短絡的ですね。) ゲームをはじめとするメディアと、暴力事件などの問題行動の関連を、独自に調べてくれるNGOがないと、きちんとしたことはわからないんだろうなと思いました。 紐付きの研究機関は、大学をふくめて信用できませんからね。 |
© 工藤龍大