お気楽読書日記:1月

作成 工藤龍大


1月

1月28日

うーんと忙しい一週間。
天をわれをどーするつもりなのよ、いったい?

もはや四十代以上にしか通じないギャグをかましたが、おそらくたれにも理解不能であろう。(涙)

今月の「歴史街道」と「サライ」を読む。
PHP出版の「歴史街道」はいい。
「歴史読本」のレイアウトをみるにつけ、センスの悪さに寒気をおぼえる。
最近の特集も、なんだか「歴史と旅」終末期を思わせる。
新人物往来社にはもうすこししっかりしてほしい。

目玉は「山本勘助」である。
勘助非実在説は古文書の発見で、やや形勢不利だが、それでも明白に否定されたとは言い難い。それほど山本勘助は謎の多い存在だ。

特集では、いちばん正直で研究熱心な作家八尋舜右は存在は否定しないものの、どういう事績があり、どんな生涯を送ったかをしめす科学的証拠はゼロに等しいと白状している。

空想と二級資料(史料ではない!)をごっちゃにして、わかったようなことをいう作家はいかんと思う。

しょせん、空想なのだから、あとはフィクションとしてのリアリティをどう出すかだ。

小説「風林火山」はその成功例。
井上靖の人間通が、フィクションをささえている。

今年の大河ドラマでは、戦国時代や鎌倉時代にジェンダフリーや、人権思想をふりまわすNHK流ドラマ作法が発症しないことを祈っている。

「サライ」の論語特集には期待していなかったが、この雑誌のレイアウトにひかれた。
論語は中身がすばらしいだけでなく、人間学の教科書としても実にすぐれている。
その気になれば、これは「成り上がる」バイブルにもなる。
わたしにはそんな意思も能力もないが、人を殺しても出世したい、金儲けをしたいと思う人間は論語を読むべきだ。
権力の悪用の仕方、刃物をつかわない人の「殺し方」を教えてくれる。もちろん読む手には、それなりの知性は必要だが。

ただし、サライの特集の魅力はそこにない。
ビジュアルな論語の世界は美しい。
この雑誌の編集者さんたちは、おじさん世代の泣き所、ツボを知っている。
いいんだよ、ガキなんか相手にするな。



「仮面ライダー電王」がスタート。
まだ第一話だが、今後が期待できそうだ。
今回は嬉しい裏切りがありそう。
録画しつつ見てゆくつもりだ。

「風林火山」は本日も快調。
脚本がいいせいもあるが、内野聖陽と市川亀治郎の存在感と、オーラが共演者たちを輝かせている。
これも今年の収穫になりそう。

ここ数年の空想歴史ハーレクイーン・ロマンス風トレンディドラマに欠けていたのは、主演者役者の知性と存在感だ。
内野聖陽と市川亀治郎にはそれがある。
だから見ていて気持ちがいい。
人間という生き物のうち美しいのは男だと思う。
女と子どもは可愛いけれど、美しくない。
その理由はこのふたりをみているとよくわかる。
わたしの駄弁は無用だ。

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1月21日

今週も読書がはかどらない。
知的に退歩しているのじゃないか?

それにしても、お仕事は御難続きである。
人に恵まれないな、わたしは。

天の恵み、人の恩に感謝が足りないせいだと家人からいましめられる。
これからは摩利支天にお祈りしようかと思う。
どうせ、わたしは「恩知らず」「感謝がたりない」徳のない人間です。

本日、夜のウォーキング中に東久留米市黒目川遊歩道で野生のタヌキに遭遇した。

以前、住居の前の河川敷を散歩するタヌキをベランダから目撃した。
今度は数メートル先を歩行しているところに遭遇。
むこうはあわてて東久留米市体育館の方へ逃げていった。

川の増水で子タヌキが数匹溺死したので、安否が心配だったがまだ生き抜いている個体がいることがわかってうれしい。
だから、アナタも生き抜いてと、タヌキに声をかけてあげたい。



「仮面ライダーカブト」は本日が最終回。
キックホッパー、パンチホッパーの謎も、ハイパーゼクターの謎も不明なまま、強引に終わった。
こうした強制終了は平成ライダーの定番で、慣れっこになっている。違和感を感じないが、それはちとまずくはないか?

次回は期待できそうにない白倉ディレクター。桃太郎から生まれた仮面ライダーである。

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1月14日

土曜日と今日は、リバウンド対策の「運動の日」。

週末はろくに読書していません。

『世界一感動する会計の本です』(山田真哉)を買ったが、未読です。
著書のある有名公認会計士がふたりも同級生にいるというのに、こんなものを読んでいる自分が情けないが仕方ない。

会計ソフトの翻訳をすることになったので、本格的に会計と簿記を勉強しようと思っています。
翻訳業をやっていると、勉強することばかり。
このあいだまで流体力学とプラスチック成形なんてことを勉強していました。
もちろん、これもお仕事のため。

ところで、土曜二時間ドラマ「相棒」1〜3の再放送があり、週末にパート2と3をみました。

右京さんも薫ちゃんも若い!

再度みたけれど、よくできたドラマですね、これは。

パート5を毎週楽しみにしています。

そして−−「カブト」は来週が最終回。
いよいよ天道ともお別れか。
今週「死亡した」けれど、きっと生き返るんだろうな。

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1月8日

新年おめでとうございます。
今年もよろしく。

もうすぐ成人の日も終わろうとしていますが、今年初めての更新です。

昨年末から小説に真摯に向かい合うために(おおげさですか......)、S・キングの『小説作法』とD・R・クーンツの『ベストセラー小説の書き方』を読んでいました。

それにしても−−

「初心忘れるべからず」というのは真実ですね。
第一作を書いていたときにはわかっていたと思っていたはずのことが、下手な小説の研究をつづける課程ですっかり忘れていた。
逆接的ですが、研究のしすぎでかえって小説が下手になってしまっていたのです。

それどころか、文章のセンスまでおかしくなっていた。
やってはいけないことだらけ。鉄砲水のように、禁じ手(わるい意味の)を次々と指摘されて、恥ずかしくて思わず意味不明の絶叫をあげてしまった。

自分が応募してはボツになっていた原稿を見直して、キングとクーンツの教えとはほど遠いできに長年のうつうつ(オレの小説はダメなのかという憂鬱です)がすっきりしました。

こんなんじゃあ、だめだ!

才能があるとかないとかいう問題じゃなく(才能がないのはわかっている!)、ボツにされて当然のミスが多すぎる!

自分でいうのもなんですが、自作は全然小説になっていないわけではなく、下手なのです。下手な上に年齢を食っているので、伸びしろがない(と評価されているに違いない)−−ここがわたしの問題なのです。

今年はこころを入れ替えて、クーンツが推薦している小説を読もうと思いました。

ところが、大手書店をまわって驚いたのは、推薦された翻訳小説が店頭にないこと。
もちろんアマゾンならすぐ買えます。ただし、マクリーンの作品がかなり絶版になっているのに驚かされた。
そもそもキングやクーンツも新作ぐらいしかなく、ホラー・ファンが口をそろれて褒め称えた名作さえ店頭にない。(繰り返しですが、アマゾンなら買えます)

これがネット書店のロング・テール効果というやつですね。

ホラーが大嫌いなせいで、キングの文体にはアレルギーがあります。
どんなに小説がうまいといわれても、だめなものはだめ。

とりあえず、クーンツご推薦の自作『ウィスパーズ』とD・フランシスの『利き腕』を購入。

『ウィスパーズ』は娯楽小説としてとても良く書かれています。
クーンツの小説技法の見本のような作品です。

ただし−−上下二巻の上巻を読むと、もうストーリーは読めてしまいます。
勉強(!)のつもりで下巻を読んだけれど、上巻までの熱意は維持できなかった。

総じて、翻訳小説は退屈に思えます。
『利き腕』はなかなか面白いですが、翻訳家菊池光の文章が気になります。
この人には日本語のセンスがないんじゃないでしょうか。
「のだ」「のだ」を会話で連発するのは、ギャグでないかぎりつらいです。
古典のレベルに達した翻訳娯楽小説を面白くするには、若い翻訳者による改訳が必要ではないかと思います。

クーンツが推薦する90年代までの名作が翻訳者の日本語センスの古さという理由だけで、書店に並ばないのは残念です。

キング、クーンツの小説作法を読んだ目で、小説をみると創作にはある法則性があり、名作・傑作とよばれている作品には古典であれ、娯楽小説であれ、みんな共通する要素があることがわかりました。

あとはそれをどう実践にいかすか−−
それだけなのです。

毎度のことながら、落ちのないところで、次回へ続きます。

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