お気楽読書日記:2月

作成 工藤龍大


2月

2月26日

今週読んだのは、チェスタトンぐらい。
あとはPerlの入門書(『入門Perl』:伊藤和人)とOracle DBの入門書。

後者二冊はまだ読み終わっていません。
BasicやC言語と勝手がちがってわかりずらい。

プログラマにならなくてよかったとつくづく思っています。

それにつけても、時間がほしい。
眼の休養のため(一日10時間以上ディスプレイをみるので)、電車で通勤読書ができない。
この読書日記に書くほどの書籍は土日をつかってごく短時間で速読しています。
四十代勤め人にとって、読書の時間をとることはむずかしい。
子どもがいないので、わたしにはまだ余裕があるけれど、子持ちだったとしたら、まず読書などできないのではないか。

子どもに手がかからなくなる50代くらいで、読書生活にやっと復帰できる−−というのがライフサイクルだろう。

40代でHPやブログを書いていられる幸せを感謝しなければと思います。
自画自賛といわれようと、そう思いますね、ほんと。

明日からまた出勤。
がんばろうと思う反面、ものを書くことに没頭したいという希望もすてがたい。
「不惑」というのは、四十代が迷うからこその逆説だという意見がある。
まったく同感です。

迷い道を曲がって歩く−−「それがきみの響鬼」(笑)なんだなあ。

ところで、この読書日記をつかって、今年はある実験をしようと思っています。
もうすこし考えがまとまったら、書いてみますね。

追記:
「本のリスト」2005年版ができました。
8月から12月までの忙しい時期にはあまり更新しなかった。
おかげで、アップしていない読書済みの本がたくさんあります。

4月と5月はあの事件で、読書どころじゃなかった。
ショックがかなり大きかったのです。

今年も読んだ本をすべてアップできそうにないけれど、なるべく時間をとって更新してゆきます。

先頭に戻る | 目次に戻る

2月25日

『詩人と狂人たち』(G.K.チェスタトン)を読みました。
正確にいえば、再読です。以前読んだときは、作者に置いてきぼりにされて、ひどくつまらなかった。
だが、今回はとても面白く読めました。

前は娯楽推理小説の筆法を期待していて、がっかりした。
今度は純粋に「小説」として読んだ。
そうすると、はじめてチェスタトンの「知のたくらみ」がわかった。
いちどそれがわかると、この作品はやめれらない。

哲学小説だけれど、純粋に推理がたのしめる。
決して娯楽であることもはずれていない。

キャラクターの設定が、三谷幸喜を連想させます。
生硬な会話とみえたものが、ギャグだとわかって笑える。

とんでもない快作ですね、これは。

狂人のこころがわかる詩人・風景画家ガブリエル・ゲイル。この設定がなんともいえず英国好きのこころをふさぶります。

心理学的な意味の「ひとの心の闇」を推理の舞台にする−−チェスタトンの発想には意表を突かれました。
べつにひとを殺さなくても推理小説になるんだと、あらためて目が開かれた思いです。

物語の可能性は、こんなに広いんだとちからづけられる名著です。



アマゾンで調べたら、東京創元社発光のこの本はすでに絶版。
もったいないなあ。
図書文化の危機を感じます。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

2月19日

サヴァン症候群をご存じですか。
先々週だったか、NHKでBBC制作の「ブレインマン」という番組を放送していました。
昨年11月の再放送のようです。

こちらで詳しく書いています。

http://nukunuku.blogzine.jp/nukunuku/2005/11/post_9781.html
惑星ダルの日常

http://acili-ezme.no-blog.jp/meze/2005/11/post_9624.html
あじぇるえずめ日記−サバン症候群

主人公はダニエルというイギリスの数学教師。
サヴァン症候群にもかかわらず、日常生活をこなし、独立した生計を営む青年。

計算や数の記憶に異常な才能をしめし、未体験の外国語を一週間でマスターできる。
番組では一週間でアイスランド語を習得し、アイスランドの放送局のキャスターたちとほぼネイティブ感覚で会話していた。

サヴァン症候群のひとは、映画「レインマン」のモデル、キム・ピークのように日常生活は他人の手を借りる必要がある。また異常な記憶力や数値操作能力をもっていても、それを言語で他人に説明することはできない。
質問に答えるかたちで、自分の能力を表現するだけのサヴァン症候群の人々と、ダニエルが決定的に違うのは、自己を言語でかたることだ。

かれは数字を形や色彩として認識する。円周率も風景としてみることができるそうだ。
ある数の累乗や、複雑な計算は暗算するのではなく、あたまにうかぶ数字の形をこたえると正解になる。
数字のかたちというのが、0から9までのアラビア数字だけではなく、粘土細工を子どもがちぎってひねったようなかたまりとしても認識できるらしい。

この特異な能力は言葉と概念を介して、世界を認識できないサヴァン症候群の性質から派生しているように思われる。
数字を概念のシンボルではなく、実体として認識することで、現象を直感的に把握しているようだ。

こうしたことは、サヴァン症候群ではないわたしたちでも可能ではないだろうか。
いままでのものの考え方や、ものごとを学ぶ方法はあまりにも固定観念にしばられているのでは。

そんな疑いにとらわれて、いま疑似サヴァン症候群的なアプローチで新言語習得や英語ブラッシュアップができないか真剣に考えています。

従来のまともなやり方は、とほうもない時間とお金をかけなければ言語習得は無理というものだった。
たしかに、「聞いているだけで英語ができるようになります」式のやり方はつかいものにならない。この方法で英語のプロになった人は、わたしの知る限りひとりもいない。

しかし−−働く中年に、自由につかえる時間など−−ありはしない!

「サヴァンなアプローチ」をみつけるのは人類に対する義務だ!
↑これ、某特撮番組のせりふをぱくりました……

補足:


http://www.nikkei-bookdirect.com/science/page/magazine/0209/savan.html
キム・ピークについて記載があるページ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794203853/503-4291053-9269535
なぜかれらは天才的能力を示すのか―サヴァン症候群の驚異
ダロルド・A. トレッファート (著), 高橋 健次 (翻訳)

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

2月5日

このごろプログラムづいています。
なぜ今さらという声もありますが、昨今の納期の厳しさ、ボリュームの多さに翻訳業界全体がへこたれいるのです。

翻訳ツールを使ってさえ、体力的にきびしいものになっている。
この現状を乗り切るには、簡単なツールを自作する必要がある−−と考えた次第。

処理速度とコードの修正・変更の簡単さからいって、Perlのほかに選択肢はありません。

Visual BasicやC言語はテキストの検索機能に関して、Perlほど強力ではない。
それに、アマチュアがだれでもかんたんにコードを書き換えて使えるほど使い勝手はよくない。
その点、Perlならちょこちょこと書き換えるのはかんたん。
実行するのは、もっとかんたん。
いうことなしです。

今年は一月中にExcel VBAをマスターしたので、さいさきのよいスタートがきれました。

今年はPerlの達人になるつもりです。
オライリー・ジャパンのラクダ本も読まなければ……。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

2月4日

今年のテーマのひとつは、発信用の英語をみがくこと。
英語ブログページをつくったけれど、なかなか更新ができません。

さっと書くとさすがにスペルミスが多い。
Wordの校正機能に助けられています。

英語版のBlogger(http://www.blogger.com/home)に作ったのに、このごろアクセスすると日本語になっているのが不思議。
どうしてなんだろう?

いっぽうで文法力の強化をめざして、TOEIC文法の定番『TOEIC文法急所総攻撃』『TOEIC文法鉄則大攻略』(長本吉斉)を読んでいます。
来年から、TOEIC試験が変わるので、この種の文法本は減ってゆくはず。
そう思って駆け込み購入(!)したけれど、文法の項目自体はなくならないことが判明。
定番の本は残るだろうから、あわてることもなかった。(恥)

ところで話は変わりますが−−
海外帰国子女にはTOEIC満点の人が結構いるので、試験がむずかしくなって高得点化に歯止めがきくのはよいことだと思います。

このテストの趣旨は、英語が苦手な日本のビジネスマンをなんとか英語がつかえるように導いてゆくものだったはず。いつのまにか、英語屋と英語バカの独擅場になってしまった。

試験バカのオモチャから、そこそこの英語の使い手育成システムに変わる−−ということになることを希望しています。

ただし、試験バカと資格バカは永遠になくならないだろうから、いたちごっこになりそう。

ほんとうは、外国語に資格なんていらないんだけど。
試験好きという国民性はなんとかならないんだろうか?

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記




© 工藤龍大