お気楽読書日記:9月

作成 工藤龍大

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9月

9月25日

先週の三連休は、奈良をまわってきました。
今週は「ルーブル美術館所蔵古代エジプト展」に行きました。

テーマをきめて旅行するという、我が家人にはめいわく千万な旅行。
奈良公園を歩き回り、西の京(薬師寺・唐招提寺・垂仁陵・西大寺)を徒歩でまわる。
やったみた人はわかるけれど、かなりハードです、これは。

二日続けて、薬師寺・奈良国立博物館・東大寺・春日大社というコースと、薬師寺・春日大社・なら町・元興寺というコースを歩く。
へたばりました、ほんと。

歴史好きなわたしも二日目には、前をあるく奈良のおこちゃま(いや、クソガキ)に「ヘンなおっさんが歩いとるで」といわれました。
「へばったおっさんや」とも。

関西弁をきいて、人をはったおしたくなった初めての経験でした。(怒)

僧兵(堂衆)たちが薙刀をかつぎ、春日大社の神木や八幡社のみこしをかついで激闘する様子を想像しながら、ふらふらと奈良公園をぬけて、春日大社の参道を歩いていたのですが、いっきに現実に返りました。

いまどきのこどもときたら−−

東大寺の大仏殿にも戒壇院にも目もくれず、ひたすら奈良公園を歩いて、次は西の京で薬師寺・唐招提寺・垂仁天皇陵のウォーキング・コースを歩きぬく。

わたしには楽しい旅でしたが、連れには気の毒としかいえません。

西大寺は、鎌倉時代に真言律宗の叡尊が再興したお寺。
観光客が少ないけれど、お寺のたたずまいがいい。
美術展ではすでになんどもお目にかかった叡尊の彫像と、弘法大師のお像にお参りさせてもらいました。

叡尊という人は慈顔という形容がぴったりの容貌でありながら、骨太な社会奉仕活動を実践した高僧です。
死後、天皇から興正菩薩という称号をもらいましたが、その生涯は菩薩そのものです。

とてもなつかしい人なので、足を伸ばして西大寺によってきました。
このお寺には他の観光寺と違った生きている信仰の余香があります。
奈良では、おすすめのスポットです。

同じ意味では、唐招提寺もよかった。金堂が解体修理中でしたが、境内を歩いているだけで心があらわれるようでした。

ほかにもいろいろおもしろいことはありましたが、今宵はここまでにさせていただきとうございます。

ところで、「古代エジプト展」は、10月2日まで。
あいかわらず混んでいるけれど、これもおすすめです。
ただ、ルーブルまでいく気なら、今回わざわざ行くこともありませんが......
今回、来日したのはほんのわずか。
それでも、かなりの出品がありました。

ルーブル美術館と大英博物館のエジプト・コーナーにはそれぞれ一週間くらいのツアーを組んで見学したいと、激しく希望しております。

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9月10日

あいかわらず忙しい。
ほとんど帰宅は12時過ぎ。
IT翻訳45歳定年説というのを同僚と話したが、お互いに実感である。

このジャンルは45歳以下の後進にゆずって、別の翻訳がしたいなあと語り合う。
午後11時すぎで、残業している人が数人の職場で話すのは不穏な話題だった。

読書のほうもぼちぼちだ。
『儒教とは何か』(加持伸行)
『やりたいことは全部やれ』(大前研一)
『千字文』(小川環樹・木田章義:注解)

『千字文』は、梁(502〜557)の周興嗣(しゅうこうし)の作った漢字の学習書。
韻文でありながら、春秋戦国時代の史実をおりまぜてあるので、注釈がないと理解不能だ。こんど読んだ岩波文庫版では李暹(りせん)の注釈(李注とよぶ)がついている。

この書物には独特の読み方が伝わっていて、「文選読み」という。

たとえば、こうなる。
「天地玄黄」
「テンチのあめつちは クエンクワウとくろく・きなり」

最初に漢音で読んで、訓読するというやり方だ。

平安時代いらい、貴族の子どもたちはこうやって漢文と字を覚えたのかとわかってほほえましい。
歴史時代の中国の子どもになった気分で、楽しく読めた。

それにしても−−こういうバックボーンをなくしているわけだから、この国の伝統文化の継承はむずかしいものがある。
教育には自発性・創造性よりも、強制が必要なのではないか。

天才にものを教える必要はないが、大多数の子どもは天才ではない。受験勉強して東大にはいるのも凡人である。
創造性という幻想を捨てて、必要なことだけ強制的に教え込んで、あとは「自分でやれ」と放り出したほうが子どものためだと思う。

『儒教とは何か』の著者は、儒教はほんしつてきには宗教だという。
礼儀・道徳は宗教というバックボーンをふまえて、子どもにたたき込むというスタンスだ。じっさい、中国・韓国でさいきんちからを持っている新儒教という立場は、こちこちの道徳や礼儀作法よりも、儒教の宗教性(宇宙論)や思想性をリバイバルしようとしているらしい。

儒教の立場に立って、脳死の問題を考える−−たとえば、そのような実践的な問いを発するところに現代的な儒教の可能性がある。

儒教道徳とはまったく無縁な大前研一のすてきな名前の書物は、手前みその自慢に終始している感がないでもない。

ただ、人生をつまらなくしない秘訣を教えてくれる体験記であることもじじつだ。

不満と無力感と消耗ではかなく暮らして、三大成人病であの世にいくのを待つんじゃなく、死ぬまで元気でいくには、ひたすら「気力」だとわかる。

人脈・ITの情報網をはりめぐらし、ありとあらゆる機会に情報を集めて、世の中をずんずん進む大前研一のたくましさの秘密がわかった。

この人は飛行機に乗っているとき、かわった夢をみるそうだ。
飛行機が空中分解して、自分だけ毛布をパラシュート代わりにして助かるのだそうな......

社長業をやっている人で、こんな夢をみそうなひとを個人的に何人か知っている。
あまり側にいたくないタイプである。

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9月4日

先週は、「縄文VS弥生」展と「遣唐使と唐の美術展」をはしごして、時間切れで更新なしでした。

女の子ふたりの写真が印象的な「縄文VS弥生」展は、遺物というより人骨(つまり骸骨)のオンパレード。
恐竜の骨は好きけれど、霊長類の骨には萌えない自分を発見しました。

ついこのあいだまで、紀元前3世紀にどっと半島から弥生人の祖先がやってきて、たちまち日本を征服したという説が有力だったけれど、現在では弥生時代の開始が500年早まった新説が優勢になりました。

旧説以上にゆっくりと縄文から弥生への移行はおこなわれたらしい。
弥生人が縄文人に比べて戦争好きで、いくさ上手だったらしいことは骨に残る剣撃や鏃からわかるけれど、騎馬民族征服説みたいなことは起こらなかった−−というのが新しい見方です。

平和ニッポンでよかった、よかった。

「遣唐使と唐の美術展」は井真成(日本名=葛井真成または井上真成)という留学生の墓碑と、唐の美術を展示していました。
葛井(ふじい)とは、留学生を輩出した帰化系豪族だそうだ。井上(いのへ)とする説は当時の中国人は日本人の名字の最初の一文字を姓とする習慣があったことによる。
結論はついていないが、展示の説明では葛井説が有力そうだった。

先週読んだのは、『私の中の日本軍』(山本七平)と『靖国問題』(高橋哲哉)、『靖国神社』(大江志乃夫)。

山本氏の従軍体験の集大成とでもいうべき『私の中の〜』を読むと、この国が戦前・戦時中とたいして変わっていないことを実感しました。

昭和の軍人だけが狂っていたわけではなく、天皇制という究極の無責任体制を護持している限り、この国の人は自発的な民意で戦争を防ぐことはできないし、平和主義を貫徹することもできないとわかります。

クリスチャンである山本氏は、クェーカーだった大学の先輩(看護兵として従軍)のような良心的戦争回避ができない自他の精神構造を高い代償を払って悟った。

平和主義とは、旧約聖書の預言書のペシミズムを克服できる、特別な人にしか実現できない。それは、国民の大部分に高度に反省的な倫理的主体性をもとめることになるから。

現実にそんなことができるのかといえば、リアリストの山本氏は信じ切れない。

山本氏の目は、日本を敗戦に導いた原因のひとつとして、独善的で客観的現実把握能力を欠いたカリスマ(実力者)の存在をみやぶった。

「生きながら死者としてふるまう」ために、肩書きのない参謀の身でありながら、この種の独善的な権力主義者が無責任かつ独裁的に組織を自由にする仕組みが、どうやら人間社会にはあるらしい。

「生きながら死者としてふるまう」とは、「おれも後から死ぬからおまえは先に死ね」という理屈で、これでいくと特攻隊も兵站のない遠征作戦もすべてゴーサインがでてしまう。

たきつけた参謀は決して死んだりはしない.....
責任をとって切腹自殺するのは、こうしたカリスマ参謀殿にそそのかされたことを恥じた良心的な参謀の上官−−もちろんそんな人は大日本帝国の軍人でも数人だけです。

こんなやり方と対決できるのは、荒野でサタンに試されたイエスのような知恵者だけです。


靖国のバックボーンにあるのは、死者への追悼というより、国家による死者の絶対的支配だった。
『靖国問題』と『靖国神社』を読んだおかげで、靖国問題にひそむ古代的な呪術思想に慄然とした。

靖国とは、戦場で死んだ兵士の例を国家が永遠にしばる呪的装置だ。
台湾の高砂族の遺族が靖国神社の神座から、兵士を解放する儀式をおこないたいと求めるのは当然だ。
これを原始的なアミニズムと嘲笑するのはまちがいだ。

靖国神社の祭礼では、同じアミニズムが国家の意思に奉仕させられている。
ことはA級戦犯の分祀ではすまない。
平和国家として生き残るには、靖国神社をほりさげて分析する必要がある。

もし、それができずに、素朴な感情論に流されたら、平和国家ニッポンはおしまいだ。

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9月3日

「妖怪大戦争」を見に行きました。
映画についてはブログでもふれているので、繰り返しません。

ただ「妖怪は戦争しない」という水木しげるのアニミズム思想には感動しました。
「戦争は腹が減るだけです」という水木しげるの台詞には、不覚にもポロリと涙がでた。

この間から読んでいる山本七平さんの戦争体験や、以前読んだ水木しげるの自伝を思い出すと、「腹が減る」という言葉に反応してしまいました。

山本さんや水木しげる大先生がみたであろう蛆のたかった餓死死体が、あたまのなかに映像として浮かんできた。

国を守るなんてヒロイズムだけではできっこない。
ファンタジーでありながら、いやファンタジーだからこその、台詞は−−すてきです。

先週読んだ本については次の日に譲るとして、購入した本をご紹介します。
"Japan A Short Cultural history"(G.B.Gibson)
1931年に初版がでた本です。
戦国時代以前が五分の四を占めている体裁ですが、拾い読みをしていると中身は深い。

このごろ英語の本を読んでいないので、ひさしぶりに読み応えのある本に出会いました。

そして「コマンドJ」(横山光輝)。
横山巨匠がこんなスパイものを書いていたとは知らなかった。

マンガ有害論のせいか主人公の少年が、第二部の冒頭途中から青年の設定に変わっているのに驚いた。
解説によると、少年が拳銃を持っているのはまずいという編集部の判断で、読者にことわりなく少年から青年に設定がかわったとか。

なるほど、「まぼろし探偵」や少年探偵金田正太郎が生きられない世の中は、こども思いのママたちが作ったのか......

ところで、自宅のマシンにATOK2005とATOK用の明鏡国語辞典とジーニアス英和/和英辞書をインストールしました。
日本語入力がとっても楽になりました。

もうIMEに戻る気にはなれませんね。
推測変換、校正支援機能がすばらしい。
いまさらながら文筆業者にATOK愛好者が多い理由を思い知りました。

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