『一遍上人−旅の思索者』(栗田勇)を読了。 過激に求道した一遍は、ついに病に倒れる。 その死の場面には、信者たちが期待した奇跡(瑞相)はいっさいなかった。 どこかへ遊行しにゆくように、一遍は「死」をまっとうした。 中世の被差別民や非定住民、身体障害者、ハンセン氏病患者に念仏札をくばり、死後の救済を約束する一遍の思想は、古代が終焉し動乱が続く中世の希望となった。 一遍の死後、集団として形成されはじめていた教団はたちまち壊滅し、教えはすたれた。その後、弟子たちが各地でばらばらに寺や教団を組織して、統制されないまま時宗という、きわめてあいまいな宗教集団ができあがる。 実体は一遍の後継者をなのる弟子たちの寄り合い世帯だから、いってみれば巡回(遊行)する縄張りをもったテキヤたちの世界みたいなものだった。 当然のように、中世の非定住民の生活にねざした時宗の各集団は、時代が進むにつれて近世農村社会の発達にともない衰微してゆく。 同じ念仏仏教でも、村落共同体を基盤にした浄土真宗に勢力を侵食され、取って代わられることになる。 病と戦乱のおかげで死が文字通り背中合わせだった「中世」において、作為を放擲して死の受容を来世への期待にかえる一遍の教えは、時代の要請にかなったものだった。 中世とは絶望と狂乱、諦念と欲望が狂おしいまでに入り混じった世界である。 ひとことでいえば、この世は地獄であり、人は鬼だった。 この時代をあらわすタームは「憂き世」である。 浅井長政や朝倉義景のドクロで杯をつくった信長の狂気は、極端な表れだが、中世人の心情をよくあらわしている。 余談をいえば、「憂き世」を「浮世」と読みかえた平和な元禄時代で、戦国時代は終った。「浮世」が封建道徳で縛りつけられたつらい時代であったことは間違いないが、戦闘行為はなくなり、治安はよくなった。 「捨ててこそ」という一遍の言葉は、安全と無縁の世界にふさわしいものだった。 ステージを組み上げて、僧や尼が歌い踊る時宗の念仏踊りは、現代のロック・コンサートとひどく似ている。 熱狂的な念仏踊りは、やがて習俗としての盆踊りに変わった。 為政者が制御可能なかたちに民衆のエネルギーは薄められ、体制順応な日本人が作られてゆく。 ロックみたいなサブ・カルチャーでさえ資本主義に消費される時代にあっては、一遍の道はあまりにも遠い。 この時代が求める「魂の救い」とはなんだろう。 |
『一遍上人−旅の思索者』(栗田勇)を読書中。 老眼のせいか、家で読書できなくなったせいか、進みませんね。 眼がつかれるので電車での読書を控えていると、まるで本が読めない。 最近、家ではなぜか本が読めません。 本日、久しぶりに家で本を読みました。 『信に生きる <親鸞>』(阿満利麿)という本。 中央公論新社の「仏教を生きる」叢書の九巻目です。 この本を読んで、一遍の本がなぜ読み進めないのか、やっと分かりました。 一遍智真は、法然の孫弟子ではあるけれど、栗田さんの解釈による一遍はむしろ法然の敵ですね。 遊行聖人(ゆぎょうしょうにん)の権威が極楽往生を保証するという時宗の考えは、法然の忌み嫌うものです。 もちろん、一遍は法然の死後に活躍する人なので、法然が時宗を批判することは無理です。 ただし、同じような考えは法然が生きていたことからあり、それは間違いだと法然は繰り返し説いています。 カリスマをもった特別な人間だけが独占的な魂の救い主であるという考えを持った実の息子を親鸞は義絶している。 それでいて、親鸞は自分の思想を正しく伝えるものとして、義絶した息子・善鸞の子である孫・如信を高く評価している。 余談をくわえれば、戦国時代に大発展する蓮如の家系は善鸞の末妹・覚信尼の息子に始まります。 親鸞の曾孫にあたるその人物は、覚如といいます。 浄土真宗では、親鸞−>如信−>覚如という流れを思想的な正統と位置づけています。 覚如の時代も、本願寺派(当時はそう読んでいなかったけれど、便宜上このような書きます)では、身内で激しく財産争いをしていました。 そこで、自分の正当性を主張するために、覚如は師であった如信の名前を持ち出して、権威付けする必要があった。 翻っていえば、覚如にはそれだけの信望があったわけです。 義絶した息子の息子が親鸞の正統を継ぐものとして考えられていた。 この頃の浄土真宗には血縁によるカリスマ性とは異なった原理が働いていたように思えます。 その思想とは−−魂の救い(通説では極楽往生となりますが、法然・親鸞の考えには通俗的なこの呼び方から連想される以上の深みがあります)は、決して人間の側にはないという絶望です。 魂の救いとは、阿弥陀如来という絶対者が名号を唱えたものに無条件にくれるものです。 信仰も、自分の努力でかちえるものではない。 阿弥陀如来がくれなければ、人間は信仰さえもてない。 法然の信仰も、親鸞の信仰も、阿弥陀如来からもらったものだから、かれらの天才やカリスマの産物ではない。 その意味では、カリスマが誕生するすきまはないのです。 ただし、時宗においては、極楽往生の保証はカリスマである遊行聖人だけができる。 その結果、極楽往生した人間の台帳というものを造って、歴代の遊行聖人が管理するまでになった。 栗田さんはその萌芽を一遍に見出していますが、その解釈は正しいと思います。 ここまでいたった一遍の宗教は、インド仏教でもなければ、中国仏教でもない。 ましてや法然の浄土教でもない(ただし法然の弟子たちの派では似たような思想を持ち出しています。このことは伏せておくとフェアーではありませんね)。 ただし、日本人にはとってもわかりやすい−−と栗田さんはいう。 ここがどうにもわからない。 わたしはときどき自分が宇宙人ではないかと思うくらい、日本的なある種のものに拒否反応があります。 カリスマ信仰というのも、そのひとつですね。 カリスマとして描かれた一遍のイメージに、拒否反応を起こしている。 これが本を読むスピードが遅い理由でした。 阿満利麿さんのおかげで、やっとそのことに分かりました。 別に一遍に触れているわけではありませんが、法然の思想をあらためて考えることで、「一遍」に象徴される宗教のワナをみきわめる手がかりとなりました。 栗田さんの「一遍」に新たな気持ちでとりかかれることができます。 |
先週は MicroSoft Project のにわか勉強。 『Microsoft Office Project 2003オフィシャルマニュアル クライアント編 マイクロソフト公式解説書』(E‐Trainer.jp 著) 『実践! プロジェクト管理入門−プロジェクトを成功に導く52の鉄則』(梅田 弘之) 『エンタープライズプロジェクトマネジメント実践ガイド―Powered by Microsoft Office Project2003』(ユーフィット) なんて本を読んでいました。 PMBOKとは何かがやっとわかりました。 遅すぎるって? いや、人生はいつまでも勉強ってことで。。。。。。 そして、ついに『Cの絵本―C言語が好きになる9つの扉』(アンク)を読了。 もやもやしていた構造体と共用体とか、Cの業界用語の「実体」がやっとわかった。 いろいろ入門書を読んでわからなかったことが、これで氷解。 なんかうれしいですね。 頭の中にドーパミンがあふれているって感じです。 いそがしかったのか、『一遍上人−旅の思索者』(栗田勇)はあまり進んでいません。 いや、原因は著者栗田氏とわたしの法然の浄土教に対する考えの違いにあります。 なにかひっかかって読み進めない。 わたしが読んだ『一遍上人語録』や『一遍聖絵』のイメージと、栗田氏の描こうとする一遍像がどうしてもリンクしないのです。 この本を片付けるには、もう少し時間がかかりそうです。 IT関係の本は一日一冊かるく読めるけれど、文学や思想の本は歯ごたえがある。 歯ごたえある本を読める幸せをかみしめています。 追記: 本日、メルマガ発行! ひさびさの快挙です。(^o^) |
国立博物館で尾形光琳筆の小袖の意匠をつかった徳利とぐい飲みをかいました。 土曜の晩酌は渡辺酒造の吟醸生原酒「ご意見無用 喧嘩酒」を、新しい酒器でいただきました。 ダイエットも運動も、ストレスに押しつぶされて銀河のかなたです。(呆然) 来週からまたやり直しですね。 このところ、やたらキレやすくなっているようです。 独り言も多いみたいだし......(本人は気づいていないのですが、人からそう言われます) 先週は疲れてあまり読書がすすみません。 『一遍上人−旅の思索者』(栗田勇)をぽつぽつと読んでいます。 昨日、今日と気分を変えて『のちの思いに』(辻邦生)を読んでいます。 北杜夫の『どくとるマンボウ航海記』にちらっと登場した辻の奥さんが、ここでは「リスちゃん」という愛称で描かれています。 それにしても、辻邦生の世界のなんと牧歌的なこと。 いまのわたしには、辻の学生生活、留学生活が明治大正時代よりも遠くにみえます。 その理由の一端は、健全な生活人であった辻の書くものから当時の社会がみえてこないところにあります。 ひどく浮世離れしたブンガクと大学の生活があり、「壁」となる社会がない。 辻の文学世界が晩年、観念性を強めて、貧血気味に生命力を枯渇させてゆくプロセスとあいつうじるものを、この随筆に感じました。 |
ブログにも書きましたが、「恐竜博 2005」と「ベルリンの至宝展」に行きました。 まずは「恐竜博 2005」。 マニアックな話だけれど、なぜ最近発見された三畳紀の鳥化石を無視して、ジュラ紀末期の始祖鳥を最古の鳥類の仲間と位置づけたのか、不思議でした。 購入した図版を眺めていたら、謎が解けました。 三畳紀(ジュラ紀の前の地質時代)のものとされたプレアビスという化石には、いくつかの爬虫類の骨を混合して誤認したという異説があるので、今回は通説にしたがった...... ということのようです。 このことからもわかるように、日本の科学解説書によくある穏当な意見を集大成した内容なので、ちと物足りない気がします。 中身の薄さと標本の少なさが目につきました。 だからこそ、幕張メッセでは集客がのぞめないので、上野の科学博物館を会場にしたのでは? 会場のせまさが気になったけれど、「採算を考えると仕方ないんだ」という主催者の声がきこえそうなイベントは−−やっぱりつまんないですね。 昼ごろにでたら、館外で行列ができていた。 でも、他の美術館の行列なんかを考えたら、大した人数じゃない。 なんだか目玉の骨格標本ティラノザウルスの「スー」が気の毒のような。 でも、「スー」も模造なんですよね。(ため息) 「ベルリンの至宝展」は、疲れていたせいか、あまり楽しめませんでした。 でも、中世彫刻の聖アグネスと聖マタイの彫刻はすばらしかった。 小品ですが、迫害を逃れてガリアで靴職人になった聖人クリスピアヌスの小像も傑作。 ボッティチェリの「ビーナス」とか、いろいろ名品があったのにピンとこない。 図版を改めてみると、エジプト、メソポタミア、ギリシア・ローマと教科書でおなじみの名品をみていたはずなのに、感動のなさはなぜだろう。 よくよく考えてみれば、同じ時代の別の傑作をすでにいろいろな美術展でみていたのですね。だから、新鮮味がなくなっている。 また、セレクションが「みんなが好きそう」というコンセプトなので面白くない。 展示作品のセレクションというのも、ひとつの作品なんだと改めて思いました。 |
© 工藤龍大