お気楽読書日記:11月

作成 工藤龍大

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11月

11月28日

おとなりの西東京市の図書館で貸し出しカードを作ってもらいました。
電車で一駅なので通うのは楽。
しかも、開架式蔵書のクオリティが高いので、楽しみです。
以前住んでいたひばりが丘では、埼玉県民だったので借りることができませんでした。
東京都民になったおかげで、ちょっと得しました。

さっそくリンボー先生の本と英国関係の本を借りてきました。
来年あたり、イギリスはぜひいってみようと計画中です。

このごろ電車通勤では『彼岸過迄』、家に帰ると『海鳴り』『日暮れ竹河岸』(藤沢周平)を読んでいます。
娯楽というより、美大生が名画を模写しているような気分で読んでいます。

先々週から先週にかけて、藤沢さんの『漆の実のみのる国』を再読しました。
最後の章を読んだとき、なぜか涙がとまりませんでした。
以前はなんとあっけない終り方かと思い、解説をよんでこれが藤沢さんの絶筆と知り、むべなるかなと暗澹とした記憶があります。

今回は違っていた。
司馬さんの「21世紀に生きる君たちに」を連想しました。
この章は、藤沢さんが21世紀に生きるわたしたちのために書いてくれたのだと、心の底から分かりました。

ありがとう、藤沢さん。
そして、ごめんなさい。あなたの思いをわからなかった愚かなわたしを許してください。
そんなことを考えながら、『漆の実のみのる国』を読了しました。

わたしは藤沢作品の良い読者ではなかった。
今回はじめて藤沢周平という人とであったように思います。

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11月27日

「昨日は今日の為に営み、今日は明日の為に務む」(解脱房貞慶)。
これは鎌倉時代の僧、解脱上人貞慶の言葉。
あくせくと暮らしに追われる人間を戒めていますが、ふりかえってわが身をみると、まさにこれですね。
そんなことをやっていて、どうなる。
ほとけの道に従えという趣旨なのですが、わたしの気分としては「昨日は今日の為に営み、今日は明日の為に務む」でいいんじゃないかという気がします。

何かしたいことがある。
でも、まだ夢は実現しない。
だとしたら、一日一日工夫を積み重ねて、とろとろと進むしかない。

いまのわたしには疾走感のある人やお話よりも、重荷を背負って辛抱強く歩いてゆく人や、動かない手足を懸命にリハビリする人や、そのようなお話が親しみやすい。

『愚迷発心集』をたまたま開いて、そんなことを思いました。

こういう考え方が、漱石の『門』や『彼岸過迄』の根底にあると思います。
初期の英国文学かぶれというほかない「幻影の盾」や「かいろ行」(漢字が出せないのでひらがなにしています)では、さっぱりと割り切っていた漱石は次第に割り切ることをやめて人間の境地を深めていきました。
それにしたがって、作品も晦渋となり、爽快感を失ってゆく。
ただ、それは喪失なのではなく、獲得のプロセスであったといえます。

それにともなう苦闘はすさまじく、漱石の作家生活は十二年ほどでした。
享年は四十九歳。

個人的な予定ですが、残りの四十代は漱石と徹底的につきあっていこうと思っています。

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11月23日

『拝啓 漱石先生』(大岡信)を読みました。
大岡は卒業論文で漱石を取りあげて以来、漱石を読み込んでいる。
そこには多くの卓見があるのでしょうが、わたしにはぴんとこない。

漱石という人を知るには、評論を読むよりも、実際の作品を読むほかありません。

大岡によれば、『それから』や『彼岸過迄』も失敗作として分類されるべきだそうです。ただし、失敗作になぜに人をひきつけるちからがあるのかは明らかにされていない。
漱石のすごさは、日本小説の原型でありながら、どこかで「小説」というせまいくくりを飛び越えているところです。

「実作者ではないし、実作者だとしてもすぐれた実作者ではない」人々が書く小説執筆のハウツー本があります。
わたしも相当読みましたが、「こころざし」の低さにはげんなりします。
著者たちの作品が書かれない、または書かれたとしてもわたしは読まない理由は、この「こころざし」の違いにあります。

ひとことでいえば、小説なんてどのように書いてもいいのです。
だから、失敗作というのはありえない。あるのは、面白いか、面白くないかだけ。

ただし「面白い」ということがくせもので、エンターティメント小説のほとんどが陥るのが娯楽性を追及した面白さ。これは二時間ドラマの陳腐さと通じるつらさがあります。

こちらに時間つぶしという余裕がないと読めない。読んでもなんの高揚感もなければ、達成感もない。
新幹線で2時間で読めるというたぐいの小説の哀しさです。

その哀しさの正体はなんだろうと思い、漱石作品に取り組んでいます。この本もそうしたガイドになるかとおもったけれど、所詮は実作者でない人のお気楽な感じにとどまりました。

この回答は意外なところにありました。
『書きあぐねている人のための小説入門』(保阪和志 )という本をみつけて購入しました。この人は芥川賞作家です。芥川賞作家で小説の書き方について書いた人は他にもいますが、そちらは役に立たなかった。とにかく、保阪さんの本を読んで、謎をとく鍵が見つかりそうだと希望をもてました。

そして、なぜ漱石作品が人を魅惑するのかも、わかりかけたようです。

答えは自分にある−−といえば陳腐だけれど、けっきょくそういうことなんです。

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11月21日

本日は石原プロの「弟」最終日。
今週は水曜日からずっとみていました。

わかっていたこととはいえ、石原兄弟のスケールが大きくて豪快な人生に圧倒されました。

石原兄弟がのしあがるプロセスは昭和史を重ねながら楽しめました。
途中からは自分史も重なってきます。
おもしろくないはずがない。

慎太郎にしろ、裕次郎にしろ、戦後日本の象徴ですね。
芥川賞などはいまだに慎太郎のようなスターを求めて、時代錯誤の迷走を続けている。過去の成功事例に縛られた衰退産業の見本といっていいでしょう。

こういう番組をみるたびに昭和が遠くなっていくのを実感します。
話は変わるけれど、いまどき人の若手男優が昭和の男たちを演じると気持ちがいい。
平成日本が失ったのは国債の信用ではなく「おとこ気」だった−−などとどうでもよいことを考えてしまいました。

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11月20日

上野で「フィレンツェ展」(東京都美術館)と「マティス展」(国立西洋美術館)をみてきました。

「フィレンツェ展」は芸術というより、工芸品が主体でした。
わたしのような歴史好きにはこのほうが街のいのちがわかっておもしろい。

イタリア旅行なんて今では珍しくもないけれど、活字による空想旅行の楽しさをしると実地にいくより歴史書を読みたくなります。
作品を書く計画がなければ現地にいくより本を読んで、タイムトラベルしたほうが楽しい。
空想でタイムトラベルできる知識と「思い」をつみあげてから現地入りする。こういう手順で旅行することにしているので、わたしは海外旅行に腰が重くなっています。

これも性分なんだから、仕方ないですね。

ところで、羊皮紙に書かれた写本やインクナブラ(初期印刷本)なんかをみていると、周囲のイタリア語まじりの街の音が聞こえるようです。

イタリア語ができるわけではありませんが、耳から入った映画や語学番組のインプットが引き起こした現象でしょうか。
こういう幻想にひたりこめるのは、書物というメディアの宝です。

そのように楽しいフィレンツェ展ではあるけれど、アートによる感動はない。
感動に飢えたいきおいで、マティス展をはしごしました。

マティスの絵にはあまり惹かれていなかったので、よいという評判は聞いていても行こうとは思いませんでした。
それが別の展示会をみたせいで、足を向けることになる。
仕組まれた運命といえばおおげさですが、本人としては大真面目にそのように考えています。

初期の絵やデッサンには感銘を受けなかったのですが、後期の「ルーマニアのブラウス」と「夢」には視線が釘づけになりました。

マティスは「存在」そのもの(ザイン・アンズィッヒ)を捉えることをめざした芸術家です。
東洋的にいえば「気」を描く。精緻なデッサンの簡略化、抽象化、様式化のはてにできあがったマティスの世界は、根底において東洋芸術の真髄と一致するものでした。
マティスの後期作品には、禅画や書にみる宗教性を感じます。
いっけん現代の商業アート(イラストやコピー)そっくりでありながら崇高なたたずまい。空虚な精神性に飛翔せず、禅と同じく食事や作務の日常に即した「幸い」の気配。

素粒子レベルまで分解された現実が、光粒子として再構成された「祝福の空間」−−それがマティスの到達点だったと、いまではわかります。

晩年筆がもてなくなったマティスは切り紙で作品を作りました。
この作品群も内容において、晩年の油絵の傑作に劣るものではありません。

とても稀有な幸いに相伴させてもらった。
いまではマティス展をみることができた偶然を感謝するばかりです。

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11月 7日

このところ、夏目漱石の「それから」と「門」を読んでいます。
なんとなく自分の書くものに力量不足を感じて、漱石をじっくり読んでみようと思い立ったのです。

これは失敗だったかもしれない。
漱石の作品を創作家の目で改めてみると、その凄さにあらためて打ちのめされます。たゆとうような気分と知性の惑いを書かせたら、この人に匹敵する作家はいない。

漱石がこれらの名作を書いたのは、四十二歳と四十三歳。
こころの病気が可能にした描写力という一面もあるけれど、それ以上に何かが違う。
その何かが漱石の一見たいした事件のない小説を、比類ない名作にしている。

漱石を読みながら、えらいものに首をつっこんでしまったと頭を抱えています。
あぁ、小説家への道はとおい。

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11月 6日

上野の国立博物館の「中国国宝展」へ行きました。

先週と続けて上野詣で。
楽しかったけれど、少々疲労気味です。

風邪もようやく治りかけているものの、本調子ではありません。
体力温存という感じでみてきました。
それでも閉館間近までいました。

中国はなんとなくなじみますね。
外国だけど、ひりひりするような違和感がない。

ないというのは言いすぎかもしれないけれど、美意識に通じるものがあります。

中国の文物というのは、新石器時代からデザインが良い。
のちの時代のデザインや意匠が石器時代にもう出てきている。
今回の展示でも、新石器時代に彫られた龍の飾りがありました。

だれがどうみても立派な龍です。
説明がなければ現代の工芸デザイナーが作ったといっても通用するような「作品」でした。

民族のデザインというのは高度な金属文明が発達するより先に、石器や木製品しかない時代ですでに決定してるんじゃないかという気がします。

感覚は知識よりも根源的で、叡知的な「智」なのではないか。
そういう目で、中国の工芸品や仏像・神像をみると、なんだかとても利口になったような気がします。

中国に限らず、東洋の工芸品や美術品はそれをみていると、人間が上等になった気分にしてくれます。
これも美術館詣での功徳です。

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