お気楽読書日記: 5月

作成 工藤龍大

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5月

5月29日

久しぶりに乗った自転車から転げ落ちてしまいました。
何かの拍子でバランスを崩して、路面に転がって打撲傷です。

たいした怪我ではないけれど、絆創膏としっぷ薬のお世話になっています。

しばらく忙しかったから、疲れがたまっていたせいかもしれません。

ところで、目下中国語に熱中しています。
1980年代に買ってから、一度通読した本をまた読み返しています。
東方書店発行となっていますが、もとは北京放送中国語初級講座のテキストで、『中国語初級講座テキスト』というタイトルです。
北京放送人民中国社・編とあり、「外文出版社 北京」という文字が扉に記載されている。

当然のように内容はケ小平路線以前の人民公社時代の色が濃厚です。
ここが面白い。

中国是社会主義国家.
人民是国家的主人翁.
中国人民以自力更生的精神,建設自己的国家.

−−という科白は、当今なかなかおめにかかれそうにありません。
(意味は、漢字が読める人ならわかるでしょう。本文では例の簡体字ですが、日本の当用漢字に直してみました。)

「人民公社員の生活はどうでしょう。」
「解放前よりずっとよくなっています。」
こういう会話の例文も、いまは昔の話。
レトロな教材ではありますが、基礎中国語の習得には問題ありません。
現代中国とのギャップがとにかく面白い。

当時は「ピンポン外交」といわれたように、スポーツによる交流に中国政府が力をいれていた時代です。
そのせいか卓球選手やバレーボール選手が会話にたびたび登場する。
常用語(Changyongyu)としても、このようなものがあります。
「友情第一、試合第二」
「古くからの友達を忘れず、
新しい友達を歓迎する」
「勝負は一時的なものだが、友情は永遠に続く」

以上、簡体字と当用漢字の変換が面倒なので、日本語訳だけをひろってきました。

いまでもいるのかどうか分からない「はだしのお医者さん」(赤脚医生)の説明が囲みコラムで書いてあるのも時代を感じさせる。
現代中国の一部の繁栄を、当時の人がみたらどう思うか。
時代の流れを感じて、語学書を読むのとは一味ちがった楽しみがあります。

21世紀の中国については、別の本で学ぶことにします。
ところで、いま中国の携帯電話ではインスタント・メッセージを使う場合、漢字ではなくピンインというアルファベット化された中国語を使います。

どういうものかといえば、「常用語」を Changyongyu を表記することです。
いまの二十代以下は、学校でピンインをしっかり教えられているので、これで文が書ける。

漢字が使えないのは、第一世代・第二世代とよばれる携帯電話の機能が対応していなかったせいだとか。

中国の携帯でとびかっているのは、いわば中国語のローマ字なのです。

三、四十代以上はこれができない。
この世代は、したがってインスタント・メッセージの熱心な使用者とはいえません。

ただし、G3(第三世代)とよばれる新型携帯機種からはインスタント・メッセージでも漢字が使用できるのでさらなる市場の成長がみこまれています。

携帯なんてものも含めて、最新中国語学習書ではずいぶんと違った世界をみられるだろうと楽しみにしています。

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5月23日

国立西洋美術館で「古代ローマ彫刻展」をみてきました。
ヴァチカン美術館所蔵のローマ時代の彫刻を展示したもの。
歴史の教科書でおなじみの、カエサル、アウグストゥス皇帝、カラカラ皇帝や、デモステネス、キケロの彫像がありました。

芸術としてみると、ローマ彫刻にはそれほど高い点数がつけられないというのが正直なところ。
ただし、風俗史としてみると、なかなか面白いものがあります。

政治家・弁論家デモステネスの彫像には、感銘をうけました。
この人はアレクサンドロス大王の父、フィリッポス二世とギリシア世界の自由をかけて戦った人です。
最後はこと破れて自殺しましたが、その顔をみるかぎり理想を貫いて生きた偉人の風格が感じられます。
いかにも現実政治家じみたキケロやカエサル、そしてローマ皇帝よりも存在感がありました。

デモステネスの胸像をみただけでも、十二分に価値があります。

それにしても、ローマの彫像をみて思うのは、ローマの人々は外面や物質的なものにしか値打ちを認めなかったのではないかということです。
紀元後3世紀ともなると、キリスト教の国教化、西ローマ帝国の衰退にともなって彫像技術も急速に衰えてゆくのですが、むしろ魂の豊かさはかえってこの時代の方が著しい。

紀元後2世紀あたりでは、亡き妻の全裸像を自慢げに疲労する富裕層の空虚な彫像が主流ですが、3世紀ともなると庶民の稚拙な墓碑銘に心惹かれるものがあります。

たとえば、若くして死んだパン屋の墓碑銘には、「彼は23歳と7か月生きた。彼はみんなの友だち」とあります。
稚拙な文字で彫られたラテン語には、庶民たちの死者への哀悼の念がよくあらわれていると思います。

ローマ文明は霊性よりも物質性を重んじた世界でした。
金持ちや美形でなければ生きていても仕方のない世界。彼岸のない空虚な繁栄。がんばりによる物質的富の獲得と蓄積。それが本質です。

その世界にキリスト教が入ってくることによって、祈りと内面が人間の価値に加わった。

ローマが永遠なのは、遺跡や彫刻のせいではなく、属国だった中東の地から生まれた一宗教によるのだと納得しました。

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5月22日

『ヘーゲル』(城塚登)を読んでいます。

ヘーゲルは面白い。
人間と人間が作り出した社会を総合的にとらえて分析する力業が、哲学・思想の分野から消えて久しい現代だからこそ、ヘーゲルは新しいと思います。
マルクスはヘーゲルを批判的に乗り越えたとされますが、本書を読むとマルクスの仕事はヘーゲルの豊穣さを切り捨てたところに成立しているところがわかる。
フォイエルバッハ〜マルクスという路線の行き詰まりはどうしようもないけれど、上流のヘーゲルにはいまだ生命が脈打っています。

もう忘れられた実存主義哲学は、ハイデッガーの「存在と時間」、キルケゴールの「死にいたる病」に源を発しています。それぞれヘーゲルに対する現代的継承と、批判的継承 になるわけですが、どちらの立場も思想の現場から放棄されている。

そうなると、ヘーゲルに帰って考え直そうと思うようになるのは無理もない。

ヘーゲルの発想の非凡さは、「疎外」という現象を発見したことです。「疎外」は概念なのですが、あえて現象とよびたい。

人間というのは、自分の本質の一部を外部に投影して、初めて旺盛な活動が可能になる生き物です。
恋愛しかり、宗教しかり、そして最悪の例ではファシズムとカルト宗教も。

普通に考えたらできないことをしてしまう力が「疎外」です。
ヘーゲルの思想を学んだマルクスは経済や労働も「疎外」であることに気づきました。

さらにマルクスは疎外して投影され、物質化されたものは「物神化」すると考えた。

この論理はマルクスの独創ですが、実はヘーゲルの「精神現象学」をそのまま裏読みすると、そのような結論になるようです。

「物神化」とは実体を失い、価値がひとり歩きする状態。いってみれば、ひろい意味でのバブル、過大評価です。

ヘーゲル+マルクスの思考を、わたし流に敷衍してゆくと、現代世界がなんとなくみえてきたような気がします。

人間から労働や資源が疎外され、次に労働や資源から貨幣が疎外される。
貨幣が現代金融システムを介してさらに疎外されて「通貨」となる。
「通貨」と貨幣は同じものじゃないかといわれそうですが、わたしの見方では違う。
貨幣は発行される金属硬貨や紙幣という物質的要素をもつけれど、「通貨」となると為替操作でどうにでもなる実態のない数字=ただの情報となる。

現代金融は実体性の希薄な情報をやりとりしているにすぎない。

この情報であるということが有利に働いて、バブルという形で特定の業種に資金が集まりやすい。通貨がそのまま資金に化けるのですね。実体的にいえば、世界中のお金がアメリカに投資されるということです。

その結果、情報産業が爆発的に発達して、情報処理能力が人力をはるかにこえたレベルで行えるようになりました。

すると、ますます通貨の自立性、ダイナミズムが高まる結果となる。

あげくのはては、投資家の思惑や見込み、投機欲、ひいては「引っ掛け」で、通貨の流れが左右される。それも、ほとんど思考のスピードで。

これが現代なのではないでしょうか。

もちろん、実体との乖離はどこかで破綻として顕在化せざるをえない。
それが南北問題であり、先進国内の貧困問題・開発途上国の経済破綻としてあらわれ、テロや麻薬犯罪(究極の裏経済)として問題化する。

この状態を解決する方法があるのかどうか。
ヘーゲル本人もマルクスがのちに独自に発展させるアイデアを提出しかけた時点で、ペストで死んでいる。

手がかりは、ヘーゲルやマルクスをそのままなぞるのではなく、彼らの分析のやり方を学びつつ、事態の推移を探求し続けることにあるように思えます。

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5月16日

このごろ心理学がまたぞろ気になっています。
それとともにカード占いや気学に何かを感じるようになってきました。

うまく説明できないのですが、タロットや気学のような一見荒唐無稽な道具立てから何かがみえそうな予感があります。

書店でタロットカード付きの入門書を一冊買ってきました。
タイトルがすごい。
『愛と神秘のタロット占い』(ムーンプリンセス・妃弥子)なんて、普通なら買えませんね。

なぜこれを選んだかというと、イラストレーター笠井あゆみの描くデッキ(タロットカードのセット)に惹かれたから。

エキゾチックで神秘的。
禍々しいとさえいう人もいる美しさ。

アマゾンでも評判がいいデッキです。

ところで、タロット・カードは素人でもそこそこ当たる占いだそうです。
身辺雑事日記「Solon の日記」でも書いたように、小泉首相と小沢党首の今後を占ったら、なかなか面白いカードがでました。
それが現実になるかどうかは別にして、自分の予想とおりに結果が出たことは面白い。

じつはここがタロットをしてみようと思った理由です。
タロットによって、自分やひとの深層心理と会話することができるのではないか。
−−と考えているのです。

占い師たちのやっていることも、ほんとうはカードを媒介にして目の前のクライアントの無意識と自分の無意識が交感させることではないか。
そして、無意識の交感こそが人を癒すのではないか。

あまり深入りすると、えらいことになりそうですが、少しずつ自分の無意識を世界と交流させることができれば、なにかが開けてくるのではないかという気がします。

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5月15日

国立劇場にて前進座歌舞伎をみてきました。
ほんとうは歌舞伎座のほうを狙っていたのですが、さすがに海老蔵襲名はとれませんでした。

しかし国立劇場もなかなかのものでした。
女形の河原崎国太郎が福助・玉三郎からおそわった「奴の小万」を好演。すがたのいい女形の魅力を堪能しました。

京都の芸者から盗賊の首領、長唄の師匠と変転する運命にもてあそばれる「小万」(こまん)というキャラクターは、実在の女性をモデルにした鶴屋南北の人気キャラです。

ガイドブックによると、小万という女性は京都の富豪の娘で生涯結婚せず、武芸にたけて無頼漢を手玉に取った快女だそうです。

その評判に便乗して戯作者たちが「小万」という女性キャラを次々と芝居に登場させました。

今回の「小万」の恋人は、浜島幸兵衛。こちらは江戸時代に実在した大盗賊・浜島庄兵衛のもじり。
男勝りのスーパーヒロイン小万は、なぜか悪の親玉・浜島庄兵衛とセットになるのが梨園の決まりとなっています。

盗まれた名刀・暁丸をめぐる争奪戦は、あらかじめガイドブックで筋を読んでおかないとついていけないほどシュールレアリズムな展開ですが、国太郎の美形をみていると納得してしまうから不思議です。

ところで、この公演で観客一同がほんとうに堪能し、感動したのは実は本編の芝居ではなかったのでした。

本編で小悪党の盗人を好演した中村梅雀が一転して、衣装を改め長唄をバックコーラスにして、奴(やっこ)に扮した舞踊「供奴(ともやっこ)」。

足で拍子をとるのがいつのまにかタップに思えて、観客一同ため息とともに舞台といったいになってリズムをとりだす。

梅雀の踊りをみただけでも、ものすごく得した気分です。

芸のちからはすばらしい。
梅雀の踊りには役者の血筋と精進の華があります。
ジャズ好きの梅雀の好みが伝統芸能のなかで昇華されたようにも思えます。

踊りがこれほど感動的だとは。
たぐいまれな舞台をみられた幸運にこれ以上ことばがでてきません。

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5月 9日

昨日、大泉学園にある「BAR レモンハート」に行ってきました。
ここは、漫画家古谷三敏氏がオーナーのバー。
出かけた理由はもちろん漫画『BAR レモン・ハート』です。

苦労人のマスター、フリーライターの松ちゃん、そして謎の人メガネさんが繰り広げる人情話に、酒をめぐる話題の数々。
このところ、すっかりこの漫画にはまっています。

現実のBARでは、漫画のマスターとは似ていない三十代くらいの太目のマスターと二人の若いバーテンダーさんがいます。
棚に並んでいるモルトのボトルが壮観でした。

さっそくミーハーぶりを発揮して、ドライではないマティーニを注文。
かなりいけましたね、これが。

二杯目に店名の由来となったラム「レモン・ハート」のロックを頼みました。
これが実にうまい。
ところで、これは度数が 75.5 度ある「レモンハート 151」。
ウォッカの「スピリタス」みたいに薬品みたいな感じでなくするするいけるけれど、なにせ 75.5 度です。
漫画では、松ちゃんが一気飲みしてダウンしたしろもの。
「強い酒ほどうまい」という文句がぴったりでした。

これいっぱいでかなりもうろうとしてきました。

最後に、ダイキリを頼んでおしまい。
マスターが作ってくれたこれもかなり旨かった。

連れが飲んだカクテルはどれもこれも、相当においしかった。
バーテンダーさんたちは若いけれど、かなりの腕前とお見受けしました。

ところで、店は漫画と違ってビルの地下にあります。
そのかわり、シックでおしゃれなつくりになっています。

漫画に登場するカントリーっぽい人情話のキャラクターにはあまり似合わないような感じですが、とにかく雰囲気がよい。

ところでさすがに 75.5 度です。
家に帰るまでは平気だったけれど、いつのまにか寝込んで朝になっていました。

今度は 40 度くらいのレモンハートにしておいて、もっとカクテルを楽しもうと思います。

二日酔いというわけではないけれど、酔いが残って外出する気になりません。
雨が降っていることでもあるし、今年の神田祭は断念しました。
でも、一日幸せな気分ですごせました。
レモンハートのおかげです。
ありがとう、レモンハート!

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5月 5日

身辺日記でも書いたように、さっぱり頭が働かない今回の連休。
読書もぜんぜんです。

蔵書の整理をしながら、過去の本をひっぱりだして眺めています。

考えてみれば、この数年昔の本を読む余裕もなくあくせく働いてきたようです。

そのあいだにも、どしどし新しい本を買い込み、本は増えるいっぽう。
ここらで、すこし前後をみまわしてみたいと思います。

それにしても、わが蔵書はなかなか面白い。
もし記憶喪失になったら、きっとおなじコレクションをするでしょうね。

久しぶりにフロイトの原書版『夢判断』をとりだしてみました。
数年前に翻訳されたフロイト全集を読破し、主著をドイツ語で読んでいたんだなあと懐かしく思い出しました。

フロイト派の精神分析についてかなりつっこんで調べたので、その他の精神療法にもかなり見通しがつきました。
最近はやりの心理療法士といった職業は、たいへんだと思います。
精神療法の世界は、死屍累々の死のロード。
自己実現や自己解放、本当の自分探しの行き着く果ては、脱出不可能な死の迷路だけ。青木が原の樹海にも似た不毛な世界しかない。

それがわかっただけでも、数年間をフロイト研究に費やした価値はありました。

また宮沢賢治関連の本をとりだしてみました。
賢治の生涯はわかっているようで、実は謎が多い。

だいたい誕生日さえ、賢治ご本人がまちがえていたらしい。
自筆の手紙でも八月一日に生まれたと書き、公文書にもそのように記載されています。

また実弟で初期の宮沢賢治全集の編集者でもあった宮沢清六氏が研究者の自著に提供した年譜でも、八月一日に誕生としています。

しかし、戦後になって遺族が実際の誕生日は八月二十七日だったと言い出した。
いまでは、こちらが定説になっています。

誕生日がいつかという課題は、賢治研究家のかかえている宿題なのです。

賢治という人には、いろんな魅力があります。
異言語、東北、蝦夷(えみし)、法華経、生態学、植物学、天文学......

賢治はエスペラントを学んでいますが、ほんとうに達者だったのは農学研究書を多読したドイツ語と原書を読みこなした英語でした。
エスペラントについては初級の知識しかなかったそうです。もっとも高度なエスペラント運用知識がどういうものか、わたしにはよくわかりません。

今はインターネット・ラジオのおかげで、エスペラント放送も簡単に聞けます。
http://www.bongo.ne.jp/~teg/radio.htm

日本エスペラント学会の「インターネットによるエスペラント語放送」で各国のエスペラント語放送があります。リンクをクリックすれば、Windows Media Player か Real Player が自動的に受信してくれます。

宮沢家は真宗大谷派(東本願寺)でした。
小学生時代の賢治は、大谷派の理論的指導者・暁烏敏(あけがらす はや)と出会っています。
十歳のころに、父・政次郎が主催した講演会に呼ばれてきた暁烏敏の身のまわりの世話をしたと記録にあります。
また浄土真宗西本願寺派の仏教学者・島地大等が十五歳から二十歳くらいの賢治に大きな影響をあたえていました。
この人は、賢治が信仰の書として熟読した『漢和対照 妙法蓮華経』の編著者として知られていますが、賢治は夏の仏教研修会で本人から講話をきいて大いに感動したそうです。

賢治が本格的に法華経信仰にのめりこんだのは、兵役忌避と職業選択という問題に直面して、良心の呵責とモラトリアム青年としての不安に苦しんだ二十二歳以後と思われます。

賢治は星や自然をみて、楽しく暮らしただけの人ではなかったのです。
第一次世界大戦の時期に徴兵にあいかけ、嫌った家業を継がねばならない苦悩。
さらに、父・政次郎は古着屋・質屋という商売にみきりをつけ、高等教育を受けた賢治の才覚で新商売にのりだそうとして期待していた。

世間知に乏しい賢治にそんな才覚があるはずもなく、期待にこたえられない苦悩と焦りは、本来高等遊民として暮らしたかった賢治をさいなむ。

法華経信仰は、追い詰められたモラトリアム青年がとびこんだ逃避場所といえなくもない。

だから、後年成熟するとともにそこにとどまれず、中学生時代に通ったキリスト教会、実家の宗教だった浄土真宗を包含した自分流の信仰をつくることになった。

賢治の一生は、70年代から以後のわたしたちの生き方の先駆けです。
超人化された側面をはぎとるほどに、いとおしい友の顔があらわれてくる。

賢治は、不器用に生きる世界中の人間にとって、永遠の友だちなんですね。

・・・・・・
ジョバンニが云いました。
「僕もうあんな大きな暗(やみ)の中だってこわくない。きっとみんなほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう」
                                            『銀河鉄道の夜』より

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5月 4日

蔵書を探訪する旅の第三日目。
今日は雑誌「歴史読本」のバックナンバーを発掘しました。

「よみがえる神道の謎」(臨時増刊)
「世界 謎の秘密結社」(臨時増刊)
「おもしろたのし大江戸名物大名」
「江戸おもしろかなし大名読本」(別冊)

−−というところに読みふけってしまいました。

そして、本日は散歩のついでに街路樹をデジカメで撮影。
風が強くて思うような写真がとれなかったのが残念。
なかなかご披露できる写真はとれませんね。

書店で歴史読本「日本史有名人105人の名字とルーツ」、『仮面ライダー Spirits 受け継がれる魂』を購入。

加山雄三が岩倉具視の子孫という話は聞いたことがありますが、今月の歴史読本によると女優だった母親が岩倉の曾孫だったとか。

ところで『仮面ライダー Spirits 受け継がれる魂』は、村枝賢一2001年バージョンの仮面ライダーの公式ファンブック。
−−とはいうものの、目玉は東映生田スタジオ所長・内田有作、大野剣友会創始者・大野幸太郎、造形作家・八木巧、大野剣友会代表・岡田勝といった裏方の大物たちのインタビューです。

八木巧という人は、ガメラ、ウルトラマン、東映戦隊シリーズなどなど特撮ファンならおなじめの作品で美術デザインを担当していたそうです。

一号、二号ライダーの頃のロケ地を紹介してあるコーナーもいい。
意外なほど当時の映像が鮮明によみがえるのがなんともいえません。

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5月 3日

蔵書を探訪する旅の第二日目。
(昨日の作業についてまた別の機会に書くことにします。)
日ごろ忘れていた古代ギリシア史関連の本を発掘しました。

名著 "A History of Greek City States ca.700 - 338 B.C."(Raphael Sealey) が見つかったのは嬉しい。
この本は古代ギリシア史を選考していた頃の青春の書なのです。

蛇足ではありますが、紀元前 338 年とはマケドニア王フィリッポス二世がカイロネイアの戦いでテーベ・アテナイ連合軍に勝利した年。
これをもって、ギリシア都市国家は独立国家から大国の領土になります。

「現代ギリシア語会話」(大井一徹:大学書林)、"New Tastament Greek" (D.F.Hudson,Teach yourself Books) も再発見しました。
我が家の倉庫(=わたしの自室)には、何が埋まっているかわからない。
宝の山というか、知のジャンク屋というべきか、なかなか面白い場所です。
なにせわたしが好きなもののみ(当たり前だけど!)が忘却のなかに埋没しているわけだから。

ところで復旧した別のマシンのデータをいま使っている Windows XP マシンに移そうと、USB フラッシュ・メモリを購入しました。
ところが、復旧した マシンは Windwos ME なのに、USB メモリを認識しない!
「なぜだーっ!」

マイクロソフトの OS はほんとうにわけがわからない。(涙)
こちらの解決はまたも持ち越しです。

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5月 2日

来客あり。
ワインを調達したり、いろいろとおもてなしのお手伝いをしました。
ロワールの白(ヴァランセ・ブラン)なんてあまり聞かないけれど、これがなかなか。

そういえば、このあいだ飲んだ南アフリカ特産のピノタージュというのもよかったです。

せこい話だけれど、値段はほんとうに安い。
なのに、味わいがわたしにはぴったりでした。
そこそこの値段でも十分楽しめるのがワインというもの。

南アフリカ産ワインは一部でこっそり注目されているそうです。
この値段でこの味なら、それも納得。

本代に身代をつぎこむ読書家には、有名どころではない銘柄が狙い目です。(笑)

話をロワールの白に戻すと、ワインのせいばかりではないですが、話もはずんでお客様には満足していただけたようです。

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5月 1日

連休初日。

もうろうとしたまま、Windows システムがおかしくなった 家のパソコンを復旧しました。

OEM の Windows 版なのでデータの復旧が心配でいろいろ手を尽くしているうちに、夜中までかかってしまった。
データはまめに別のメディアに保存しておくべきで、HD だけというのは問題ありと改めて思い知らされました。

あーっ、つかれた。

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