お気楽読書日記: 3月

作成 工藤龍大

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3月

3月28日

朝、目黒川沿いを自転車で散歩しました。
まだ五分咲きでしたが、大名の墓がある近所の名刹・大円寺の桜はみごとです。ソメイヨシノではなく、大島桜か山桜のようです。

ここは七福神が祭ってあるのでついでに参詣してきました。

午後からは、小金井公園にて花見。

園内の江戸たてもの博物館を見物してから、公園で軽くビールを飲みました。
小金井に住む友人ご一家と家族ぐるみで楽しく花見ができました。

小金井公園に向かう電車(花小金井駅まで行ってあとは徒歩)で、『秦の始皇帝』(陳舜臣)を読了。
とくに目新しい情報はないけれど、楽しく読みました。
だいぶ春秋戦国時代に強くなってきたようです。

帰りの電車では、ここ数日読んでいる『カトリック要理の友』なる書物を読みました。
四谷のキリスト教専門書店サン・パウロで購入したカトリック教会のカテキズム(教理問答)の入門書です。

昼休みの散歩コースに四谷のイグナチオ教会が入ってきたせいか、最近キリスト教関係の本を買うことが多くなりました。四谷交差点に行く途中には、サン・パウロのほかにドン・ボスコやエンデルレといったキリスト教専門書店があるのです。

ただの聖書愛好者とカトリック信者の違いはなにか。
簡単に言えば、絶対者からの恵みは<司牧者>、つまり主教とその代理人である司祭(牧師)を介在してのみ与えられるということを信じるかどうかということに尽きる。

『教会ラテン語の招き』(江澤増雄)『教会ラテン語・事始』(同)を読んでみて、教会ラテン語の専門家である著者のことばに長年のなぞが解けました。

「執行された行為により」(ex opere operato)という言葉があります。
この言葉にカトリックの教義の本質があるのです。

つまり、カトリックでは「悪い神父」「人格低劣な神父」「教養のない神父」という考えはなりたたないのです。
神父とは正確に言えば司祭であり、その行為は絶対者(神)の代理人です。
したがって、その人の人格、教養、見識も、犯罪を犯したかどうかということも、神父の宗教活動の有効性にはなんら関係がない。
教会から任命された以上、罷免されない限り、司祭の祝福はすべて尊厳されるべきだ−−というのがカトリックの教えです。

それは個人の人格、教養、見識、宗教性によらない。
こう信じるのがカトリックということになる。

普遍的な宗教なるもののうさんくささ、危うさがやっとわかったように思えます。
神の絶対者が宗教指導者いがいにいないなら、何をやってもいい。
カルトもこの立場からすると、異常とはいいきれない。

伝統宗教がカルトに無力な理由がよくわかりました。
この立場を否定されると、伝統宗教は存在できない。

カトリックのカテキズムをみると、法然や親鸞のラジカリズムがよくわかります。

この二人はプロテスタントすらも超える革新的な思想家・宗教者なのです。
しかもかれらが出現したのは、泰西では中世文化が花開く十二世紀ルネッサンスの頃。ルターから三百年前のことでした。

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3月27日

本日は読書ではなく音楽について。

先週、ギリシアの世界的なメゾ・ソプラノ、アグネス・バルツァのコンサートへ行ってきました。

オペラではなく、ギリシアのフォーク・ソングを現代ギリシア語で−−というのが眼目です。

映画「日曜日はだめよ」のテオドラキス、映画「その男ゾルバ」のハジダキスという世界的な名声をもつギリシアの作曲家たちは政治抵抗運動のメッセージをこめたギリシア歌謡曲も作っています。
バルツァがうたった歌はそういうものです。

「汽車は8時に発つ」をはじめてとして、ギリシア現代史をしらないとほんとうは理解できないはずの歌でした。
ところが、字幕の訳詩つきとはいえ、バルツァの歌声を聴いているうちになぜか涙が止まらなくなる。
決して悲しい涙ではなく、いってみれば魂が浄化された涙でした。

バルツァが歌いだしたとき、ふと顔に微細な氷片が飛んできたような感覚を感じました。ドライアイスでも撒いたのかと思いました。

しかも、そのうち前の客席がかすんでみえた。
きっとドライアイスのせいで眼鏡がくもったのだろうとその時は考えていました。

しかし、連れにきくとそんな事実はなかったそうです。

もしかしたら−−あれはバルツァの「気」(オーラ)だったのかもしれない。
強烈なオーラは視界をかすませることがあるという話を霊能者の本で読んだことがあります。
バルツァの歌を聴いた人なら、こんな話もホラだとは思えないでしょうね、きっと。

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3月14日

『竹沢先生という人』(長与善郎)を読みました。
退屈というわけではないけれど、はかどらない読書でした。

大正教養主義の高等遊民、竹沢先生とその弟子の交流を描いた作品です。
永遠のモラトリアム(死語?)というほかない竹沢先生と語り手の弟子の生活は、豊かな時代の産物です。
(竹沢先生はどうやって食っているのかわからない無名作家で、弟子の方は大学に入ったものの卒業せずに義兄の仕送りで文学している。)

四十九歳で竹沢先生が自分なりの悟りを得て死んでしまうのも無理はありません。
当時三十歳そこそこの長与善郎には、主観的で心情的な世界観しかもてなかっただろうから。
竹沢先生がその思想なるものをそれ以上発展させるのは不可能でしょう。

若々しく清潔といえばそれまでで、戦前の昭和を経験しないで彼岸に行った竹沢先生では、二〇世紀をこえた現代人にはものたりないのは無理もない。

とはいえ、それなりに厚いこの本を読み続けられた理由は、青年っぽい人生論を追いかけたからではありません。

あまりにも理想化されているとはいえ、八十年近く前の日本にいた知的生活者の姿に惹かれたのです。
今から三十年前に書かれた池波正太郎さんのエッセイに、戦後の女権家庭で居場所をなくして失踪した旧友の話があります。
妻に無視され、子どもに居場所を追われ、50代の旧友は、ある夜屋台のおでん屋のそばから池波さんに公衆電話をかけてきた。
「つらい、さびしい」と言い残して、電話は突然切れた。
その夜から旧友は行方不明になった。

池波さんと同世代の旧友は大正生れ。
父を失踪に追い詰めた子どもは、わたしより十数歳年長だろうから、今だと六十過ぎかもしれない。

その子の子どもはもう三十代。
崩壊した家庭がまた再生産されてゆく。
いったい、なんて国になってしまったのだろう。

竹沢先生とその弟子たちの交流にひたっていたいと願ったのは、いまの時代に対するわたしの絶望のしわざです。
なんとかしたい。
どうにかなりたい。
−−という願いに引きずられて、おとぎ話にも似たこの物語を読み続けた。
いくつになっても、人間は手探りして生き方を探すほかないのです。

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3月 7日

『支那通史』(那珂通世)のせいではかどらない読書が続いています。
漢文の読み下し文はたしかに読みにくい。
やっと上巻の後半に達したくらいで、息があがって一休み。

あまり頭が休まりませんね。

すこし脳細胞を使わない本が読みたくなって、『決定版!!大人の酒・男の飲み方』(別冊宝島編集部編)や『カラー版極上の純米酒ガイド』(上原浩監修)をひもといています。

いつのまにか世は焼酎ブーム。
そして守勢の日本酒は冷でワインのように楽しむ端麗辛口から、燗をつける芳醇旨口へと流れを変えようとしている。

ただ、飽きのこない端麗辛口になれた飲み手が、自己主張の強い芳醇旨口へいくかどうかは疑問ですね。

端麗辛口で満足したら、次はスピリッツへゆくはず。
モルトウイスキーや麦焼酎がいいですね。

このごろ七面倒な本にばかりひっかかって『竹沢先生という人』(長与善郎)と『人生論・愛について』(武者小路実篤)も読んでいます。
「はかどらないなあ」と毎日ぼやきながら。

いよいよ日本語の本に絶望して、"Three Men IN A Boat" (Jarome K.Jarome)をぽつぽつと読んでいます。
こちらは通読するというより、ぱらぱら眺めてうさを晴らすという感じ。
ほのぼのとした笑いですね。
丸谷才一の翻訳(「ボートの三人男」)よりも、これは原書を読むべきでしょう。

なんだか気の重いことばかりが身の回りにあって、読書も超低空飛行。
こんなときもあるんだよと独言しつつ、活字を眺めています。

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