お気楽読書日記:11月

作成 工藤龍大

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11月

11月29日

旧アドレスのページに自動ジャンプを設定しました。

トップページや読書日記の目次を表示すると、30秒後には新アドレス(つまりこちらのアドレス)にジャンプします。

いろいろご迷惑をかけるかもしれないけれど、大目にみてやってください。

旧ページは来年1月にはアクセスできなくなります。
リピーターも多くない当ホームページとしては大打撃(笑)だけど、仕方ありませんね。

それにしても、「ドラゴニア通信」で使っていたPubjinまで廃止とは驚いた。
こちらはもう新規購読申し込みはできなくなっています。
解除はできるようです。ただ、こちらと当分発行できるようなので、そのうちまた発行します。
とはいえ、あたらしい発行先も探さないと。

ネットの世界は、変化が激しくて大変です。

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11月28日

本日は『夢の女・恐怖のベッド』(ウィルキー・コリンズ)を読みました。

ウィルキー・コリンズはディッケンズと同じヴィクトリア朝の人気小説家であるだけでなく、推理小説・ミステリー小説の開祖としてエドガー・アラン・ポーと肩を並べる存在でもあります。

本書はコリンズの数ある短編から選んだ一冊版の選集といっていいでしょう。
推理小説マニアならおなじみのストーリーが多いけれど、この人が元祖だから仕方ない。みんなこの人を真似て推理小説の古典を書き、さらにその古典が読み捨てミステリーの種本になっているのだから。

もともとSF愛好者だったので、推理小説、ミステリーには暖かい目を向けられないため読書家として致命的な欠陥をいだいている筆者ではありますが、コリンズは文句なしに面白かった。

ストーリー・テリングの妙を堪能させてもらいました。

いまどきの暗黒小説からみれば「ぬるい」のですが、あんなものと比べては失礼です。
ヴィクトリア朝という偽善の時代とはいえ、人間の品性にまだ信仰があった古き良き頃をしのびつつ、コリンズを読むのはほのぼのしていてよい。

モンスターや猟奇殺人の話よりも、登場人物に感情移入してよめるのも根底に人間性への素朴な信頼があるからです。

コリンズのように小説的な企みに富んでいながら、どこか素朴な清新さを感じる物語。
そんなものは現代にはないのでしょうか。

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11月27日

本日のお題は『東京に暮らす』(キャサリン・サンソム)。

著者は、1928年から1938年に日本に滞在した英国外交官ジョージ・サンソム卿の奥さん。

夫は知日派で学究でもある。

昭和の初め頃から太平洋戦争の少し前までの、日本人にとっては憂鬱な時代に外国人でありながら著者ほど日本の人々に愛情のこもった目を向けた人がいたとは奇蹟のような気がします。

岩波文庫におさめられた本書には、微笑ましい挿絵があります。
これは詩人西脇順三郎の別れた英国人妻マジョリー西脇の手になるもの。
日本のなかの英国人コミュニティーの存在がを感じられるあたりが、歴史好きとしては面白い。

写真でみるキャサリン・サンソムは、知的な風貌のハンサム・ウーマン(きりっとして頭がよさそうな美人)ではありますが、繊細でシャイでありすぎるために外国人たちがあまり好意的にみない日本人の態度にも大いに共感する感性の持ち主です。

シャイであるために、ぶっきらぼうで粗暴、陰険とさえ外国人がみる日本人の態度のうらにある高貴な心と善意を感じ取っている。

「相手を知るには相手を好きならなければならない」という根本がわかっているキャサリン・サンソムは稀有な観察者です。

ひるがえってみれば、現代のわたしどもは外国人をこのような目で見ているのか。
いまだに尊大と卑下の上下運動を繰り返しつつ、異文化と接しているのではないか−−という気がしないでもありません。

アジア諸国には露骨な優越感をさらけだし、欧米に対しては劣等感とその裏返しのおごりがいりまじった二重思考から抜け出せない。
意外なことに帰国子女だからといって、その例外ではないのです。
(彼らの場合は、二重思考の相手が外国人だけでなく、日本人でさえあるという意味で二重に不幸であるともいえますが。)

「二十世紀の人類は、東洋人も西洋人も、一緒に笑い、語り、学ぶことで、先輩たち、半世紀前に出会って親しくなった進取の気性に富んだ先輩たちの努力の仕上げをしなくてはならないのです。」
(キャサリン・サンソム:大久保美春訳)


人類にとって暗黒の時代だった第二次世界大戦が始まる前に、発せられたサンソム夫人の言葉は二十一世紀のいまもまだ課題として残っています。

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11月24日

来年ですが、このページの URL が変更になります。
コンテンツだけはいちおう移転しました。
ただカウンタが使えなかったり、いろいろ不具合があって目下調査中です。

旧プロバイダが OCN に統合されたので、URL も統一するようです。
新しい URL は下記になります。

../../

しかし−−新サービスの具合がいまいちなので、しばらくこのURLでも更新しようかと思います。

これからもよろしくお願いします。

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11月23日

今回は二冊ほど紹介します。
『かぶき大名』(海音寺潮五郎)と『戦国風流武士 前田慶次郎』(海音寺潮五郎)です。

前田慶次郎といえば、現在では『一夢庵風流記』(隆慶一郎)のイメージが強い。
漫画でいえば、これを原作にした『花の慶次』。

隆慶一郎版前田慶次郎が出現する前は、南条範夫の短編ぐらいしかなかったと思っていたけれど、海音寺潮五郎も書いていた!

ただし隆版慶次郎に比べると、いまいち野性味に欠ける。
たぶん隆慶一郎は、海音寺版を知っていて、それを乗り越える造形を行ったのではないか−−という気がします。

さもなければ、両作品の資料が同じせいかもしれません。

金沢藩士の「可観小説」、米沢藩士の「松原彦左衛門覚書条条」というのが史料のように思われます。
隆慶一郎版には海音寺作品と意図的に同じ材料を使ってまったく別の解釈にしているようにみえる節もある。
個人的には、そういう不適さが隆慶一郎という作家にはふさわしいように思えます。
当て推量にすぎないけれど。

『かぶき大名』は、隆慶一郎の『傾いて候』の主人公牧野成貞の父、水野勝成が主人公。
これについても、隆作品になにがしかの関わりがあるような感じが否めない。
直感ですが、海音寺潮五郎に挑戦するような気分が隆慶一郎にあったのではないか。

先行作家を学びつつ、それを凌駕するべく戦いを挑む。
一流作家とはそういうもの。

『かぶき大名』と『戦国風流武士 前田慶次郎』を読みながら、わたしは海音寺潮五郎と隆慶一郎の息詰まるような戦いの場に居合わせたような気分でした。
それは一流の格闘家の戦いをみるような、爽快で熱い時間でした。

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11月22日

本日は二冊ほど紹介します。
いよいよさしせまった検査にそなえて、血糖値を下げるべく、毎日運動に励んでいます。(謎)
おかげで読書日記を書く時間がとれない!
−−というわけで、簡単に書きます。

本日のお題は『イローナの四人の父親』(A.J. クイネル)と『イギリス美術』(高橋裕子)。

クイネルの長編は、あいかわらず泣かせます。
1956年のハンガリー革命のとき、生活に困った未婚の若いハンガリー娘が四人の男に身体を売った。
そして妊娠。出産を決意した娘に四人の男は援助と父親となることを申し出る。
生まれた娘には男たちが相談して決めた名前がつけられ、養育料が支払われ続ける。

その運命の子がイローナ。

ただ父親たちは普通の男ではなかった。
アメリカ、イギリス、ドイツの一流スパイと、ソ連特殊部隊のエリート軍人だった。

そのイローナが十四歳になったとき、謎の組織が彼女を誘拐する。そして父親たちの必死の捜索が始まる……。

後は謀略と裏切り、男のロマンの定石が怒涛のように続いて一気に読ませます。

ところで、この作品は原題を ”Shadow”といいますが、邦題の『四人の父親』が泣かせる伏線になっている。
ネタばれになるから書かないけれど、「父親が四人」というところが勘所なのです。

『イギリス美術』を読んで、ひとつ謎が解けました。
なぜイギリスではドイツ、フランスと違って、中世美術の傑作がないのか。

理由は内乱と宗教改革でした。

百年戦争、薔薇戦争で封建諸侯が没落した直後に、宗教改革でカトリック教会と修道院を破壊してしまった。
かつての封建諸侯の城郭も、中央集権国家の誕生と共に破棄される。
おかげで、中世の建築、美術が壊滅した。

さらにいえば、イギリス美術で城郭や修道院の廃墟が美となるのは、この歴史的事実のおかげだった。

イギリス美術の幻想性は、国民性ということもあるけれど、遺物の亡失によって空想の翼が制限もなく大きくなったせいのようにも思えます。

廃墟趣味がかえって自然愛好を育て、それがインテリアや家具ひいてはインダストリアル・デザインにまで浸透する。

ウィリアム・モリスから現代の工業デザインにまでつながる系譜は、歴史の偶然がよんだ逆説的な必然だった。

イギリス美術は、芸術史ではあまり注目されていないけれど、現代のデザインの嚆矢だったことがわかるのは、『イギリス美術』のありがたさです。

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11月 21日

先週の休日出勤の代休で、お休みをもらって「大英博物館の至宝展」と「レンブラントとレンブラント派展」に行ってきました。

平日なのに、東京都美術館の「大英博物館の至宝展」はすごい人出でした。
金曜の昼だというのに、たっぷり一時間は並んだ。
とにかくゆっくり見るどころじゃない。
人の頭を掻き分けてやっと見たら、押されてすぐにも移動。ほとんど見物でした。

なんとか見終わったら、ぐったりです。

疲れていたけれど、感動に飢えた感じでたまらず「レンブラントとレンブラント派展」をはしごしました。
出来はまあまあだったけれど、心は豊かになったような気がします。
30万人の入場はめでたいけれど、混みすぎた展覧会は厳しいものがあります。

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11月 8日

本日は、久しぶりにワインを飲みながら、二冊を読み上げました。

自転車で三時間走り回ったおかげで、体重が中学以来はじめて60キロ代を達成!
これは、やっぱり祝杯しないわけにはいかない。

自転車さまさまです。

本日の一冊めは、『日本仏教十三宗ここが違う』(大法輪閣編集部)。
日本仏教十三宗のえらい人や教学の研究者が執筆した記事を雑誌「大法輪」編集部がまとめたもの。薬師寺執事長、東大寺別当、唐招提寺長老をはじめ、仏教系大学の教授(もちろん住職の有資格者)などきらびやかな肩書きが執筆陣に並んでいます。

同じ仏教の名で呼ばれながら、差異をあげればきりがない−−という感じは否めませんが、面白いのは執筆した人々がみな常識として仏教学を学んでいるため、偏狭な護教主義にはなかなかなれない。

「あっちのいうこともわかるんだけど、うちはこれで行くことになっているから」という雰囲気がそこはかとなく感じられて、なんだかこそばゆい。

「ここが違う」というより、似ているほうが多いような気がします。

仏教僧の戒律を重んずる律宗ですら、タイやスリランカの上座部仏教よりも、真言宗や天台宗にはるかに近い。
あとは押してしるべし−−です。

ただ、理屈はそうだとしても、「清規」という生活ルールは各宗派によって当然のことながら相当違う。
たとえば、黄檗宗では儀式にとなえる仏教音楽(声明:しょうみょう)は、福建語だそうです。北京官話(いわゆる標準中国語)とはまるで違う音を、日本人が覚えなければならないのが大変らしい。

政治的な理由で分かれた例としては、浄土真宗本願寺派(西本願寺)と真宗大谷派(東本願寺)はもちろん、浄土真宗の「真宗十派」、浄土宗の鎮西派と西山三派などなどおびただしい。

細かいことをいえば、宗としては十三だけれど、派まで入れるとそんなものではすまない。

そういうことを考えると、宗教を理論や教学だけで片付けるのは無理だと改めて感じ入ります。
そこのところがまた面白いのですが……。

もう一冊は「花森安治の仕事」(酒井寛)。
花森安治は、「暮らしの手帖」の名編集長だった人。
池島信平(「文藝春秋」)、扇谷正造(「週間朝日」)、岩堀喜之助(「平凡」)といった人々とともに、戦後の大衆ジャーナリズムを作ったとされています。

花森は扇谷と東大の帝国大学新聞社(学生新聞)で一緒だった。帝国大学新聞は、東大OBや全国の大学生、一般市民まで読者にする情報誌の側面ももっていて、部数は六万部くらいだったとか。
東大OBの人事消息や各旧制高校にいる通信員からのニュースを掲載し、東大合格者の氏名発表や高校別合格率を独占的に行っていたそうです。
また東大の五月祭の命名も、この大学新聞だったとか。

当時のエリートの情報誌をてがけた花森は、学生ながらコピーライターとなり、卒業後に兵役をへてあの大政翼賛会に就職し、名(?)コピーやポスターを作成した。

「欲しがりません、勝つまでは」という標語は「東京市麻布区」の小学校五年生の女の子が作ったものです。
この標語は花森が作ったという伝説がありますが、事実は違う。
大政翼賛会、読売新聞、東京日日新聞、朝日新聞が行った「大東亜戦争一周年記念、国民決意の標語募集」というコンクールに入賞した作品です。

ところが児童文学者の山中恒が本人にインタビューしたところ、女の子の父親が作って子どもの名前で応募したとの事実が判明したそうです。

ただし、この標語を毛筆で書き、ポスターを作ったのは花森だった。
大政翼賛会の仕事でがんばった花森には、戦後仕事がなくなった。
そのとき、二十五歳の女性編集者大橋鎮子が現れ、花森が編集長で大橋が社長となり「暮らしの手帖」の原型となる「スタイルブック」を創刊する。

この「スタイルブック」が「美しい暮らしの手帖」となり、やがて「暮らしの手帖」と改名する。

「暮らしの手帖」の商品テストが日本企業ーの品質向上意識を高め、ひいては当時としては高品質の輸出製品を開発させたという「暮らしの手帖」伝説は、かなり説得力があります。

伝説としたのは、やはりメーカー側のプロジェクトXめいた努力もあったわけだから、「暮らしの手帖」の功績だけではないという留保をつけたいだけで、他意はありません。

大政翼賛会で活躍した花森を、戦争協力という立場からみて、批判する声がないわけでなかったそうです。
ただ当時の花森は二十九歳から三十三歳。大学卒業した年には兵役に行っている。
あの時代に社会人だった若者を、戦争協力者と責める資格はだれにもないでしょう。

花森はしかし、そのことを生涯荷物として背負っていった人だった。
そのことには、はるかに大きな意味がある。

花森といえば、長髪でスカートをはいたヘンなおじいさん−−というのが、わたしのイメージでした。
しかし本書を読んで知ったのは「ここにもおとこがいた」という感動です。

洗濯機を回したり、裁縫したり、サカナを焼くという、マッチョな男には不似合いな地道な商品テストの仕事。
しかし、そこにこめられた「熱さ」は、英雄的です。
そして、一緒に仕事した女たち(社長の大橋をはじめとして)が熱い。

思わずほろりとしたのは、ワインのせいだけではありません。

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11月 3日

いきなり自転車が欲しくなり、シティ・サイクルを買ってしまった。
突然というわけでもなく、自転車で歴史散歩をする人のページをみたり、なぎら健壱のエッセーを読んだりして、「中年の自転車っていいな」と思ったのが伏線だったようです。

自転車に乗ったのは、中学生が最後だったような、遠い過去の記憶なので乗れるかどうか不安でしたが、なんとかこなせることを発見しました。
本日は自転車リハビリの一日でした。

自転車を買いにいったついでに、いつもはいかない図書館で『義経記』(東洋文庫)上下二巻を借りてきました。
現代訳なので、ちょっとものたりないけれど、読み物としてはちょうどいい。

自転車のおかげで、いい本を借りられたと感謝です。

新刊とは縁のない三連休。
本日はひさしぶりに岩波文庫の『歴史』(ヘロドトス)をひもとき、Loeb の "Anabasis" を読みました。
下手の横好きを通り越した妄執のギリシア語は快感です。(謎)

古代ギリシア語は素敵な言葉です。
翻訳を読むと、ものすごく回りくどい日本語になっていますが、もともと理屈っぽい民族なので原文そのものがスマートじゃない。

短くぴりりっとした味わいということになると、中国語には及ばない。
しかし−−それをいえば、日本語もかったるいというほかはない。
シナ・チベット語族の言語的美意識を、インドヨーロッパ語族やウラル・アルタイ語族に求めるのは無理でしょう。

とはいえ、ヘロドトスは面白い。
そして、『アナバシス』のクセノフォンも。

同じ人間の使った言葉だ。
そのうち、なんとかなるだろう。
−−と思いながら、ギリシア語と付き合っています。

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11月 2日

我が家に自家用車が来た!

受け取りと試運転がてらのドライブ。
敬虔なシントーイスト(神道信仰者)として、神社でお払い−−。
忙しかったせいで、読書はほとんどなし。

ところで、先週から図書館で借りてきた『水彩初級LESSON』(視覚デザイン研究所編)と『はじめての風景画』(大戸真)を眺めています。
下手の横好きの絵を、はじめようかと計画しています。
図工の成績は悪かったけれど、好きなんですね、絵を描くのが。

本日、水性顔彩の水彩画セットを買いこんでしまいました。
あの絵手紙に使うやつです。

子ども時代、図工の時間に使った不透明水彩は手軽とはいいがたい。
もっと楽に描けるのがいい−−という本音でこちらを選択しました。

「さあ絵を描くぞ」という気分で、『日曜日の万年筆』(池波正太郎)をひもとく。

至福の時間!
幸福ってやつは、月並ですね。
これがいいんです。

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11月 1日

『死の蔵書』(ジョン・ダニング)を読みました。

古本屋の元刑事クリフ・ジェーンウェイを主人公とする傑作ミステリー−−というのは誰もが知るところ。

正直なところ、謎解きにはあまり興味をもてません。
むしろ、古書取り扱い業者である著者の、愛書趣味に共感して読み進めた感があります。

殺人事件よりも、本の掘り出しのほうにわくわくする。
この本を楽しんで読めたのはそういう人です。(わたしもお仲間ですが……)。

古本屋で買ったこの文庫本がなんとなく粗末にできないような気がして、うやうやしく扱った読者は多いはず。
そういう人には、ただのミステリーとは思えなかったのでは。

著者はデンヴァーで古書店を経営しながら、作家再デビューを飾った元作家。
警官をやめて古本屋店主になる主人公の境遇には、なみなみならぬリアリティがあります。

話は横道にそれますが、アメリカにはブック・クラブという名作をハードカバーで毎月配本販売する本の販売形態があることは聞いていました。
その本をカタログをみる限り、なかなか装丁も立派なので、古書になればそれなりの値段がつくのだろうと思っていました。

ところが、本書を読むと、こと文学書(娯楽であれ、純文学であれ)に関する限り、ブッククラブから買った本は紙くず同然の値段にしかならないらしい。
このことが、本書の重要な背景知識になるのですが、そんなことはどうでもいい。

ブッククラブで購入した本を大事に保管してこつこつ読んでいる文学愛好者の老人が、本書には登場します。

現代の名作ばかり集めたその蔵書を古書店主である主人公がみつもると、気の毒なくらいの金額にしかならない。

いわゆる「お宝」と、精神的価値は多くの場合、相反するという、よくある話です。

ただ、著者がさりげなく書いている一言が気にかかる。

「愚か者とは、ものの値段を知っていて、本当の価値を知らない人間のことだ」

本の世界に関するかぎり、「お宝」なんて意味がない−−
そう思うわたしの蔵書も、古書業界からみれば紙くずぐらいの価値しかありません。

でも、それでいいじゃないかと思います。
だって、本は読むためにあるんだから。

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