お気楽読書日記: 7月

作成 工藤龍大

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7月

7月27日

『対談集 東と西』(司馬遼太郎)を読みました。

いつもの事ながら、司馬さんの博識には呆然とします。
韓国の学者・李御寧(リオリョン)氏が十五世紀にいた日本の禅僧・瑞渓周鳳の著書を引き合いに出したとたんに、その著「善隣国宝記」の説明や周鳳の略歴をすらりと説明する。

故・開高健にモンゴルの犬の社会的効能まで説明するあたりは、目がくらみそうになりました。

ちなみに、1980年代のモンゴル草原において、犬は屎尿処理をになっていたそうです。つまり人間様のうんこを食べてくれる。それだけでなく、犬はうんこを食べた人間に対して愛情を抱くらしい。

当時は赤ん坊が生まれると、子犬を飼って赤ん坊の出したものをすべて始末させる。すると犬は赤ん坊を大事な仲間と思うようになるとか。

しかし、その司馬さんさえたじたじとなる迫力の対談者もいるのがすごい。
ひとりは故ライシャワー氏であり、もう一人は網野義彦氏。
ライシャワー氏には「精神の豪傑という思いがする」と司馬さん自身が書いていますが、網野さんもそのような人です。

そういえば、ライシャワー夫人のハルさんは明治の政治家・松方正義の孫だとか。
対談の前後を読んでいくと、ライシャワー氏は明治の元勲にまつわる裏話を奥さんの家系伝説を通じてかなり知っていたようです。
わたしども平民なんぞはうかがい知れない世界も、この人には自家薬籠中の物だった。この一事だけでも、また目がまわりそうになります。

とにかく目がまわりっぱなしの本でした。(笑)

ところで、もう一冊『対談集 日本人への遺言』(司馬遼太郎)は一人を除いて、いい人ばかりの対談集。
宮崎駿さんが「もののけ姫」をまだ作っているあたりの対談です。
引退した武村正義氏が滋賀県知事だとは知らなかった。対談当時は衆院議員ではなく知事だったらしい。
対談を読むと、ずい分立派な知事だという印象です。
いまはこんな人にもっと地方で仕事にしてほしいですね。

時代を変えるのは、知事時代の武村氏のような人ではないでしょうか。
中央政界からそんな人が現れる気配はまったくありませんから。

この対談集でトリを取ったのは、ライシャワー氏の弟子のロナルド・トビ教授。
奇しくも、96年のこの対談が対談好きの司馬さんの最後の仕事となった。

司馬さんは96年2月になくなっています。
タイトルになった対談「日本人への遺言」の相手は政治評論家・田中直毅氏。
週刊朝日に発表されたのが、三月一日号と三月八日号。
なくなってすぐですね。

なくなる前に活字になった対談が「日本人、世界はどこへ行くのか」。対談者は宮崎駿さん。
こちらは96年の週刊朝日一月五・十二日号。
「もののけ姫」の公開は、97年でしたね。

司馬さんの死は、ひどく象徴的なものに思えます。
この国の一時代が終わり、新しい世界が始まったといえそうな。

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7月26日

体重を早急に減らさなければならない緊急事態に立ち至りました。
食事療法で、一日1400キロカロリーのノルマを課せられ、一日一万歩も実行しています。

ほっとくと大変なことになると医師に脅かされたので、真面目に実行しています。

おかげで実に健康的な日々を送っています。

身体が不健康にならないと健康な日常が送れない仕組みはなんとかならないものでしょうか。

くたびれてもバーボンで一杯というわけにもいかず、ビールも当分は御法度。
アルコールという一番すきなストレス解消法が厳禁になったので、リラックスを求めて毛色の変った音楽に親しんでいます。

これがなんとハワイアン音楽なのです。
あのフラ・ダンスの......

子音が七つしかなく、母音が八つのハワイ語はヌクヌクとプフプフのように単純な音の繰り返しが多い。なんとなく安らぎますね。

アフリカのスワヒリ語には「ポレポレ」という言葉があります。
意味はよくわからないけれど、「のんびりいこう」というようなことらしい。

「ポレポレ」と言われて、凶悪な感じを受ける人はまずいない。
音だけでも、なんとなくほのぼのします。

ハワイ語はほとんどこんな音感の言葉でできている。
「ありがとう」がマハロ。
「良い」がマイカイ。

「働く」がハナハナ。「遊ぶ」がホロホロ。
「怒る」のが「フウフウ」だったりすると、怒る気にもなれません。

意味不明のハワイ語を聞きながら、ひたすらリラックスに努めています。

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7月20日

対談集『中世の風景』(中公新書)を再読しました。
以前読んだのは、少なくとも二十年以上も前のはず。
時間の流れを感じました。

日本史の網野善彦・石井進、西洋史の阿部謹也・樺山絋一といった対談者たちももう大御所。石井進氏は先ごろ亡くなっている。

この本を読んだ頃は西洋史の学生だったから、阿部・樺山氏のいうことはある程度知っていることが多かったけれど、網野・石井氏の日本史関連はひたすら驚くことばかり。

いま読んでみると、紹介されている日本の荘園の名前に「ああ」と見当がつくのが時間の賜物というべきでしょう。

考えてみれば、ここに書かれていることは今時の日本史の常識です。
網野史学の網野氏と、日本中世史の大黒柱・石井氏の見解だから、当然すぎる結論ではありますが。

あれから二十年たったいま、日本史が考古学の助けもあって今だにめざましい再発見の洪水にあるのに比べて、西洋史が読書界にあたえるインパクトは往時とは比較にならないくらい弱くなっている観があります。

「西洋」がさほど魅力的な対象ではなくなっているのが最大の理由でしょうね。

ワインとか料理とかガーデニングとか、個別・趣味的な分野の知識が深まった代わりに「教養」と称せざるをえないオールラウンドな関心の持ち方が衰退してしまっているのが現状です。

出版界がアカデミズムと知的大衆を結合する「場(トポス)」を提供できた幸運な時代が終わったという人もいますが。

そんなことを思いながら、網野さんと石井さんのするどい突っ込みにたじたじの西洋史陣営の奮闘を読んでいると、「これぞ青春」という感じがします。

とはいえ、対談者たちは樺山氏の四十歳を除けば、みな五十代。
あのころの五十代は熱かった。

クリエイティブな仕事をしている人は、何歳になっても熱いですね。

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7月19日

愛読書『俳風動物記』(宮地伝三郎)を再読しました。

はたしてタニシは鳴くのか。
タニシとはもちろん田んぼや池にいる巻貝の田螺です。

芭蕉や蕪村をはじめ俳諧師たちはみなタニシの鳴き声を聞いたらしい。
そのことに疑問を持ったのが、魚類学者で俳句もやる宮地さん。

調べたところ、タニシには発声器官がない。
しかし、田んぼでは明らかにトノサマガエルと違うタニシの鳴き声が聞こえたという句もある。また台所の水桶に入れた置いたタニシが鳴いたという俳諧もある。

結論をいうと、タニシの鳴き声は別の犯人のものらしい。
しかも、犯人は二人いや二種類いる。

ひとつは水田脇の土中に穴を掘ってなく、シュレーゲルアオガエルというカエル。
この低音の鳴き声がトノサマカエルなどと耳に親しいお仲間と区別されてタニシの鳴き声とされたらしい。
そしてもうひとつは、マツモムシなどの水生昆虫。
羽をすり合わせて鳴く水生昆虫が台所の水桶に飛び込んで、タニシの代役を務めたとか。

『俳諧動物記』には、江戸時代の俳諧と動物の面白い習性がたくみに組み合わされて、楽しめる。
俳句の歳時記を読むという究極の暇つぶしは、この国の読書家が最後にたどりつく一方の極北ですが、『俳諧動物記』には歳時記読みの面白さに通じる「かるみ」があります。

それにしても−−と思うのは、食文化の奥深さです。
タニシは食べたことがないし、アユを珍重する文化圏で育ったこともないので、意外なとりあわせに唸ってしまいます。

タニシは甘辛く煮付けるほかは、ニラと酢味噌和えにするとか。
丹波笹山では、「丹波だこ」と読んで、桃の節句に白酒やひしもちと一緒に食べるらしい。
可愛い着物をきた女の子がタニシを食べるのも「日本の美しい風景」として残しておいてほしいものです。

アユは塩焼きのほかに、タデと一緒に蓼酢(たです)にして食うものらしい。
タデはスーパーやデパートで売っているのは見たことはあるけれど、食べたことがない。アユと酢の物にするとは知らなかった。

動物の不思議な生態は面白いけれど、「食べたらどうだろう」という視点はあまりありませんね。

ものを認識する五感には、味覚も含まれている。
「食う」という視点はとっても大切だと思いませんか。

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7月13日

昨日、今日とビデオで「ハリー・ポッター」をみました。
「ハリー〜と賢者の石」は以前にもみましたが、今度はこれとあわせて「〜と秘密の部屋」をみました。

先々週は「ロード・オブ・ザ・リング 旅の仲間」を観た。
遅れに遅れてやっと−−という気分です。

「旅の仲間」は原作に忠実な印象です。20年前に原書で通読したきりなので、自信はないですが、記憶にある場面が忠実に映像化されていました。

ただ気になるのが、「旅の仲間」に出ているはずのキャラクターが一人足りないように、思えるのですが、どうなんだろう。
目下、調べる時間と体力と気力がないので、疑問としてかかえておくことにします。

ところで、本日もとりとめのない読書をしています。
ざっと紹介すると−−

『座禅要典』(大法輪閣編集部)
『ラテン音楽パラダイス』(竹村淳)
『イギリス王室物語』(小林章夫)

『座禅要典』は仏教雑誌「大法輪」編集部がつくった本で、座禅の作法だけでなく禅宗寺院でよむお経が数多く載っています。
わたしは斉藤孝教授が提唱する前からお経を音読する趣味があるので、こういう本には目がない。

陀羅尼(おまじない)とか、入浴・食事・洗顔・用便のときに禅僧がとなえる「偈(げ)」があるのがうれしい。真似して唱えてみようかと思います。

『ラテン音楽パラダイス』は、中南米音楽評論家・竹村淳さんの労作。
わたしなんぞが知らない名前が出てくるので、目が白黒です。竹村さんの造詣の深さには頭がさがります。この人がDJをしていたNHK・FMの中南米音楽の番組は大ファンですが、ここ数年聞いていない。いまもやっているんでしょうか。

(後日、確認したら今も放送していました。)

竹村さんとは無関係ですが、J-Wave で「サウジ・サウダージ」というブラジル音楽の紹介番組があります。こちらも最近聞いていない。どうなっているのかと思い、チャンネルをあわせてみたら健在でした。

そういえば、坂本竜一とアルバムをつくっているジョアン・ジルベルトが今年来日するといううわさがあるけれど、実現するんでしょうかね。

個人的趣味でいうと、ボサノバ(竹村さんはボサ・ノーヴァと表記しています)とサンバが一番好きです。

このところイギリス関係の翻訳を業務でやっているせいか、イギリスが面白い。
『イギリス王室物語』はそんな興味もあって読みました。
小林章夫教授もそうだけど、大学の先生たちはずいぶんイギリスで儲けているようです。

国語の書誌学者だったはずのリンボー先生までいつのまにやら、カルチャー小母さんたちのアイドルになっていた!

こと日本人にとって、イギリスは観光大国です。アイルランド狂も含めると、おそらくこの国の知的人種(と自分で思っている人!)はイギリスが大好きらしい。

わたしもたぶんにそうしたイヤラシさを持ち合わせているらしく、伝説のアーサー王宮廷のゴシップを初めとして、アングロ・サクソン七王国(ヘプターキー)、イングランドの歴代王朝の王様たちのゴシップにはやたら関心があります。

ついでに、ビクトリア朝以来の英国紳士たちの悪徳には惹かれますね。

シェークスピアを原語で眺めたり、トールキン経由でアングロ・サクソン語に興味をもったり、最近ますますいやらしさに拍車がかかっているようです。(笑)

そういえば、トールキン関係でエルフ語やドワーフ語の参考書があることはご存知でしょうか。
知っている人にはトールキンが文法と語彙を創作したエルフ語に雅語と俗語があることは常識ですが、そんなところまでカバーしているらしい。

アマゾンで調べて分ったのですが、こうなるとどうしても欲しくなる。

さらに調べると、エルフ語の実体はウェールズ語とアングロ・サクソン語からトールキン教授が考案したもののようです。

そんなことを書かれるとますますそっちにはまりたくなる。(笑)
仕事が忙しくて、本を読む時間がとれないおかげで、ケルト語やアングロ・サクソン語の誘惑に陥らずにすんでいます。
ただし、いつまで抑えていられることやら。

これだけは手をだすまいと思っていたアイヌ語にまで、足を踏み入れてしまった。
禁欲のたががはずれるのは時間の問題かもしれません。

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7月12日

東京国立博物館で、「鎌倉−禅の源流」展をみてきました。

今回のおめあては、中国道教の神々を寺院にまつった鎌倉の禅寺院特有の「伽藍神(がらんしん)」です。

鎌倉時代の禅は、産地直送で日本的に咀嚼されていないせいか、同時代の宋の文化を色濃く残しているようです。
平安時代初期に密教寺院がそうだったように、禅寺院は中国文化のショーウィンドウでした。道教の神々を寺院の守護者としてまつった宋代の風習を真似するのは当たり前の話。

しかも、寺のトップは中国から招聘した禅僧だから、中国風でないのが不思議なくらいです。

土地神(つちしん)をよばれる道教の神々の像をながめていると、見物人の頭越しに中国語がとびかっているような気がします。
それほど生身のチャイニーズっぽい顔つきの神さまたちです。

それ以外の展示のみどころは、禅僧の書いた字や、頂相(ちんぞう)。
蘭渓道隆、無学祖元、夢想疎石といった有名な彫像は、まるで肉身のようにリアルなできです。

こんな像が堂内にあれば、亡き師がいつも厳しくそして優しく見守ってくれているような気になったに違いない。
これも一種の仏像なんだと納得できます。

こんなリアルな像があれば、即身仏なんていらないかもしれないと、ふと考えてしまいました。

墨跡といえば、有名な「破れ虚堂(きどう)」がありました。虚堂智愚(きどうちぐ)という高僧の墨跡です。江戸時代にこれを入手した豪商の家で丁稚がこの墨跡を切り裂き、他の茶器を壊して自殺したという事件があり、いらい「破れ虚堂」と称されるようになったとか。

そのような悲話とは別になかなか良い言葉があります。
「信天行直道」
天を信じて、直き道を行く......

含蓄がありますね。人間、こうでなければと背筋がのびる思いです。

蘭渓道隆の墨跡にも、いい言葉があります。
「鞭の影を見なければ走らないようなのは良馬ではない」

なまけものには痛い言葉です。
印刷したリプリントがあったので、思わず買ってしまいました。
しっかり眺めて、怠け心に鞭をくれてやるつもりです。

最後にもうひとつ。

室町時代の画僧・賢江祥啓(けんこうしょうけい)の作とされる観音図はなんともいえない気品とお色気があってよかったです。
アダルトな東洋美人の観音さまがなぜか滝の側で、渓流を眺めたり、空を仰いでいる。

足を小さな滝に打たせて涼んでいる観音さまが、かわいい。

図像的には法華経に出てくる三十三観音をかたどっていると説明があるけれど、そんなのはどうでもいい。

オリエンタルな大人の女の魅力にうっとりするのが正しい鑑賞というべきでしょう。

観音さまは、本当は男です。
女だとは経典には書いていない。だから京都の有名な楊貴妃観音(泉涌寺)には立派な髭があります。この寺は口元の皺だと説明していますが。

しかし中国では早くから女神として扱われ、日本もその例にならったようです。
そのおかげで、気品あるオリエンタル美女を鑑賞できる−−アジアの男どもは幸せです。

こんなことばかり書いていると、ポスターに載っているミスター・サムライ、北条時頼に怒られそうなので、このへんでやめておきます。

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7月 6日

Colins の一巻本シェークスピア全集をひもときながら、昼寝。
名場面を探しながら、ぱらぱらと頁をめくる優雅な読書です。

ふだん一日12時間も PC 画面上でドキュメントをみているので、せっかくの休日も読書がはかどりません。

散歩に出かけて、川岸のカルガモの親子を眺めたり、遊歩道わきの野草の名前を思い出したり……というのが楽しみです。

「自然にまさる書物はない」というのが実感ですね。

本日も昼寝のあとは、のんびりと散歩してきました。

帰化植物のワルナスビというのをやたらと見かけますが、これは名前に似合わず白くて小さな可憐な花を咲かせます。
夏の盛りが近いせいで、ムクゲの白い花やノウゼンカズラのオレンジの花が鮮やかなのもうれしい。

家に帰って、『野生との対話』(C.W.ニコル)を再読しました。
ニコルさんが住む黒姫山と野尻湖は、いつかはいってみたいものです。

このあいだ長野へ旅行したときには、野沢菜で有名な野沢温泉と、蕎麦で有名な戸隠温泉にはいったけれど、ルートからはずれていたので野尻湖と黒姫山はみそこなった。
この国には魅惑的なスポットがたくさんある。
元気なうちに歩きまわりたいものです。

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7月 5日

本棚に埋もれていた『アコロ・イタク アイヌ語テキスト1』をつらつらと眺めています。

生活にかかわる基礎語彙が充実しているのは、さすがにアイヌ語復活をめざす教科書だと思います。

ところで、ここには伝統儀式の祭文まで収められています。
日本語の学習書に祝詞が入っているような違和感があります。

ただし違和感は、元国会議員の萱野茂さんが提供した火の神にささげる祈りの言葉「カムイノミ」をよめば、雲散霧消してしまうことでしょう。

少しばかり引用させていただきます。



「カムイノミの言葉」(萱野茂)

「火の神への祈り」

今はもう和人の風習を多く真似させられ
長い間私共が用いていたアイヌ語であったけれども
すっかり薄められてしまったけれど
なんとかしてアイヌの風習を私共は行いたいのです。

(中略)

先祖たちのようにアイヌ語を
上手に言うことができないけれども
ごく簡単に尊い神へ
私はお祈り申し上げるのです
−−−−−−−−『アコロ・イタク アイヌ語テキスト1』より

和人であるわたしは、この祈りに胸をつかれるばかりです。
北海道のカムイたちに、この言葉が届くことを祈ってやみません。

ところで、『アコロ・イタク 』とは「わたしたちの言葉」という意味です。
アイヌ語ということなら、「アイヌ・イタク」になるはず。
現に引用した上記の祭文では、アイヌ語は「アイヌ・イタク」となっていました。

アイヌ語には「四人称」というものがあります。
これは「話し相手を含むわたしたち」をしめす人称です。

「アコロ」という言葉は、「話し相手を含む『わたしたちの』」ということを意味する所有表現です。

「話し相手を含まない『わたしたちの』」ということなら、「チコロ」という言葉になるはずです。
これは生齧りのアイヌ語文法なので、間違えているかもしれませんが。

アイヌ語の所有表現はなかなか厄介で、品物のように他人に渡したら他人のものになるものと、自分の手足や親族関係のように他人に譲渡できないもので表現がまったく違います。

後者は「所属形」という独特の語形変化をします。

ところが、言語=「イタク」は、前者の用法で使用されます。
つまり品物のように他人に譲渡されるものと同じ扱いです。

言葉というものが、本来自分から他人に渡されるものであるから、当然のことでしょう。

翻って考えれば、この言葉を学ぼうとする人は、発話者と仲間である「わたしたち」の一員とならざるをえないのも、アイヌ語文法の生理からすると必然となります。

「アコロ・イタク」をひもとくことは、発行者の意図をこえて、「わたしたちの言葉」を第三者が共有する行為に他ならない。

つまり、和人であるわたしがこの本を読むことは、民族をこえて大いなる遺産にあずかることを意味します。

民族語の教科書に「アコロ・イタク」といいうタイトルをつけたことで、一民族の文化闘争をこえて、この言語が地球的な遺産に変ってしまった−−と私には思えてならない。

初学者の夢想ではありますが、この本のタイトルにはそのような大いなる志を感じました。

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7月 2日

ついに『アイヌ語法概説』(金田一京助・知里真志保)を入手しました。

昭和十一年発行の本を、1999年にゆまに書房が復刻したものです。
「世界言語学名著選集」というシリーズの一つでした。

まとまったアイヌ語文法書では、これが唯一のもののようです。
知里真志保さんご本人自薦の参考書が手に入ったのはうれしい。

すでに『エクスプレス アイヌ語』(中川裕・中本ムツ子)は入手。
北海道ウタリ協会の『アコロ・イタク アイヌ語テキスト1』も入手済み。
アイヌ語学習環境がそろってきました。
ここしばらくアイヌ語にはまりそうです。

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