『エルマおばさんの愉快な人間ウォッチング』(エルマ・ボンベック)を読みました。 著者は1996年に亡くなった女流作家。 わたしは知らなかったのですが、米国でもっとも人気のある女性ユーモア作家と著者略歴にありました。 「限りなく動物に近い”ヒト”の物語」という副題はあるけれど、動物ネタというよりは動物の生態にからめて世相を斬っている、よくあるタイプのエッセイです。 自腹を切って買うなら、まず読まないでしょうが、床屋の帰りに図書館で借りてきました。 ユーモアの切れ味がいまいちではありますが、みょうにほのぼのしているところが気に入りました。 アメリカの訴訟社会をジャングルの掟で皮肉ったり、トークショー番組に熱中する専業主婦の不毛さを動物の架空インタビューで茶化したり、旺盛な批判精神を品の良いユーモアで料理している。 頭のわるい著者なら内情暴露怒涛憤怒型や露悪趣味的(わたしってあなたと同じよ)居直り共感強制型でくるところを、理性的にユーモアでまとめている。 (いまどきの書き手って、まずこのどちらかですから......) 「毒っ気」のある挑発型コラムニストという、チョー低脳集団に汚染されている日米のコラムに飽き足りない人にはお勧めです。 お昼のトーク番組や、日曜日の時事ネタ・トークのあほさにうんざりしている身には、上等のお茶やコーヒーを飲んだような清々しい気分があじわえます。 |
花粉症で風邪をひくと、どうなるか。 鼻はつまるし、痰は出る。 咳はひっきりなし。 いったん咳をすると、喘息なみの苦しさ。まわりの人たちはうるさくて仕方ない。 −−というはた迷惑な状態を先週からずっと続けています。 本日、耳鼻科へいってアレルギーの薬といっしょに咳止めをもらって、少し楽になりました。 人間とは弱いもので、身体がよわるといらいらがつのる。 鼻がつまって、あたまが働かないから、間の抜けたことばかりして、自己嫌悪を起こして、ますますいらいらが...... こういう不毛な状態なので、まともな読書はできません。 英語辞書でワード・フィッシングしたり、漢和辞典で漢字のなりたちを調べることがせいぜいです。 ワード・フィッシングとは、外来魚ブラックバスの放流とそのキャッチアンドリリースに反対した偉大な釣り師・開高健巨匠の命名で、アームチャア・フィッシング(書斎の釣り)の一種です。 魚を釣ることとは無関係で、辞書を読みながら言葉漁りすること。 「漁り」という字をあてるあたり、まんざら「釣り」と無関係ともいえない−−というのは、もちろん冗談です。 気分がすぐれないときは、エッセイを読む手もある。 百鬼園先生こと内田百閧フ『御馳走帖』(中公文庫)や『百鬼園随筆集』『続百鬼園随筆集』を読みました。 黒澤明の「まあだだよ」は、内田百閧モデルにした映画でしたが、いろんな場面でその随筆のエピソードを取り入れていることがわかります。 百閧ヘ陸軍士官学校、海軍機関学校の教官をへて、法政大学教授を長年つとめたので、私淑する法政大OBがいっぱいいた。 毎年年賀に来る連中をひとまとめにして、ご馳走する会を開くようになったのですが、そのときに馬肉と鹿肉をいっしょに食べる鍋を出した。 映画の冒頭のエピソードに、これが登場していました。 還暦の年からは毎年「摩阿陀会」(まあだかい)という祝いの宴会をやるようになる。 映画では、OBが「まあだかい」と叫び、百閧ェ「まあだだよ」と答える。 何が「まあだかい」で、何が「まあだだよ」なのか。 こたえは、かんたんに想像がつくでしょう。 老師と中年を過ぎた弟子たちがこんなふうにつきあえるなんて、孤独癖の強い黒澤には奇蹟にみえたのでしょうね。 晩年の黒澤は老いと死にこだわった作品ばかり作っていたけれど、『まあだだよ』はそうした作品群の最高傑作だと思います。 それも百鬼園先生の魅力のしからしむるところ。 黒澤は百鬼園先生に理想の老人を見出していたのです。 |
講談社が戦後初の赤字転落というニュースがありました。 コミック部門の不振が原因とか。 そういえば、この十年間大手出版社はコミックと雑誌で食い扶持を稼いでいました。 文芸ものは娯楽を含めて丁重になる一方。 ミステリー・ブームといっても、大手出版社を養うほどパイは大きくなかった。 マンガも70年代に開花した才能群に匹敵できる作者たちはいない。 ごく少数の才能はいますが、この分野の成長をひとりで請け負えるほどではない。 仕掛ける業界がだめなのはもちろんですが、「売れればいい」という方針でやってきた流れのせいで、受け取り手(読者)の再生産もストップしてしまった悪循環が根底にある。 「ものづくり」に熱くなる人たちが戻ってこないかぎり、この国の未来は真っ暗です。 朝日新聞でジブリの代表(徳間書店の常務も兼任)鈴木某氏が、「どんな良い作品を作っても、売れなければダメ」という哲学を披露していました。 こういう人が業界の事実上の代表みたいな形になっていると、アニメ業界の将来もあぶないと思います。 なんのかんのいって、高畑・宮崎コンビが作ったお客さんの層がその子供世代を巻き込んで、ジブリの繁栄がある。それは東映動画やTVアニメの時代から営々とコンビが築いてきた信用の賜物です。 そういう「信用」の重さを忘れたところに、マンガ不振の原因がある。 利益率をとるよりも、まず信頼を取り戻さなくては、どうにもならない。 相次ぐ不祥事で崩壊に瀕している企業とおなじフェーズにいるんだと、良識ある出版関係の人々が思い定めて、ものづくりの原点に返るときが来ているんじゃないでしょうか。 |
『太公望』の背景には、巨大な宗教革命があります。 羌族のリーダー「望」が、倒す相手の「殷」は、神人合一の神政政治国家です。 この「神」は普遍的なGODではなく、氏族の守護神であり、生け贄と祭祀で霊力を増強する必要がある。 だから、他の氏族のものを戦争で捕虜にして、生け贄として捧げ、「神」を祭らないと国家がたちいかない。 殷の王は、平和主義の羌族に目をつけて、たびたび「羌」狩りをして「神」に捧げる慣わしがあった。 異なる民族のものなど、人間のかたちをした家畜か下等動物にすぎないと殷人は考えていた。 悪王として有名な殷の紂王が行ったという妊婦の腹裂きや、人間の丸焼きは、この王だけの悪逆というより歴代殷王の宗教行事だったらしい。 人間供犠と呪術を支配の根源とする「殷」の宗教に対して、もっと普遍的な霊的存在であり、人を家畜同然に扱わない宗教をもった集団が現れた。 それが、「天」を崇拝する「周」族です。 このあたり、キリスト教のGODと神道の天神地祇と仏教のホトケをごちゃごちゃにしている現代日本人にはわかりにくい。 もっと単純化すれば、呪術的アニミズムの「殷」対倫理宗教的な「周」の対決ともいえる。 細かい定義をいいだすときりがないので、このくらいで分かったことにして、次に進みます。 殷の「神」は、殷人のものでしかないけれど、「天」は異なる民族さえ包含する可能性を秘めていました。 中華という世界は、はるか後代の宋時代に民族主義にこりかたる以前において、異民族の共存と文化的融合こそを骨子としていた。 異民族同士の共存と融合の過程が、「中国人」という民族を作り上げた。 もしも、周の「天」という思想が中華世界の覇者とならなければ、あの大陸はいまでも群小の異民族国家同士が衝突を繰り返すことになっていたはず。 それを考えれば、「殷」の呪術的な「神」を倒した「周」の歴史的意味はすごいものがある。 このビジョンは、『王家の風日』以来、宮城谷さんが得意とするものです。 宮城谷作品には、中国史いや世界史に対する眼を変えるちからがあります。 |
本日(2月16日)から、読書日記を再開します。 最初は、『太公望』(宮城谷昌光)の続きから。 太公望といえば、釣り針なしの竿を垂れて一日中川とみらめっこしていた暇なお年寄りを連想します。 それが、周の文王にスカウトされて、殷王朝を滅ぼす大軍師になる。 他に思い出すことといえば、長年の貧乏暮らしで夫を見限って離婚した妻に、出生したあとで「覆水盆に還らず」と復縁を断ったくらい。 もちろん、『封神演義』のいささか間の抜けた魔法使いというイメージもあるけれど、これはごくごく最近のもの。 とにかく長い間勉強ばかりして、妻にまで見放された不遇で孤独な老人だったというイメージを強く刷り込まれている。 ところが、宮城谷さんによると、実際にはそういう人ではなかったらしい。 「羌」という氏族の首長だったそうです。 わたしが知っている世界史では、「羌」とは五胡十六国という時代に登場するチベット系の異民族の名前なので、あれっと思いました。 時代からいえば、殷周革命から去ること一三〇〇年以上。 五胡十六国は、司馬忠達の子孫が建てた西晋の後ですから。 太公望の「羌」族と上の異民族との関係はよくわかりませんが、「羌」族は羊を飼う遊牧民だったらしい。 のちに「羌」は中国の姓となり、太公望の子孫が建てた国「斉」王室とそれにつながる貴族の姓となりました。 謎はひとまず置くとして、太公望が今から三千年前に「羌」という氏族の首長であったことはどうやら中国文学・東洋史学では常識のようです。 寂しい老釣り師というのは、たいへんな誤解でした。 また太公望とは、周の「太公」が「望」んだ大軍師という尊称で、本名は呂尚(りょしょう)という−−これも、昔は常識でした。司馬遷の史記にそう書いているので、中高生時代に漢文を勉強した人はみなそう信じている。 ところが、宮城谷さんによると、そうではないらしい。 この人の名前は、「望」だった。 周の「太公」が「望」んだ人ではなく、斉国の「太公」の「望」さんというのが、本当の意味だというのです。 あまりにもギャップがあるので、宮城谷さんのオリジナルかと思い、本棚にある幸田露伴の考証本『太公望』をひもといてみました。 これはもともと昭和六年に出版された本です。詳細は省きますが、「望」が名前だったと結論している。また「羌」族の首長であることも論証している。 露伴は、漢学者、国文学者としても大変な学識の持ち主でした。 この大先生が、昭和の初めにそういうことを考証していた。 昭和生まれとしては、学生時代の漢文の授業や参考書・辞書はなんだったんだと呆れるばかり。 露伴の考証は説得力に満ち満ちているので、カルチャー・ショックにも似た衝撃第一弾はクリアできました。 あとはめくるめく殷周革命の物語に、ひきこまれるばかりです。 「覆水盆に還らず」の故事も、どうやらウソだったらしいと宮城谷さんはいうのですが、すでに学校時代の漢文の知識に懐疑的になっているのでそんな気がしてきました。 だいたい、もう学校のテストなんか気にしなくていいのだから、通説にこだわる必要はない。 学校教師のけちな了見から解放されるのが、大人の読書の楽しさというもの。 いい年した成人が「漢字検定」や「歴史検定」を受けたがるメンタリティは、わたしには永遠の謎です。 |
© 工藤龍大