ふたたび『道元禅師の話』(里見ク)です。 前回で書ききれなかったことが、まだあるので、その補足をば……。 蛇足かもしれないけれど。 「春は花夏ほととぎす秋は月 冬雪さえて冷やしけり」 これは道元の歌で、タイトルは「本来面目」。 時の執権・北条時頼(先の大河で渡辺謙が演じた人)の願いに答えて、仏法の悟りを歌にしたものです。 道元は北条時頼に招かれて、生涯に一度鎌倉に滞在しますが、その時に作った和歌です。 道元の鎌倉入りについては、浄土宗第三祖・良忠もかかわっているそうです。 この良忠という人は、今に伝わる浄土宗の実質的な開祖にあたります。 法然はたしかに浄土宗第一祖ではありますが、どこの宗教でも開祖さまはカミさまであって、組織作りに汗を流した人ではない。 浄土教関係の坊さんをいろいろ調べてみると、古い時期には浄土宗の高僧に学びつつ、禅僧にも師事した人が多い。 時宗の開祖・一遍上人もそうです。 後世と違って、仏教が狭隘な専門店となっているわけでもなく、志ある人はクロスオーバーに良き師を求めて修行したからです。 そして、良忠の禅の師は、なんと道元でした。 この人は法然の孫弟子であると同時に、道元の直弟子だったのです。 道元という人は謙遜していますが、詩人としては第一級の資質を持っています。 色情のもだえでなければ「文学」ではないというこの国のブンガク関係者は納得しないでしょうが、宮沢賢治の世界がわかる人なら道元の詩情に絶対共感するはず。 余談ついでにいうと、念仏宗と禅宗はそれぞれの宗派の教理は別として、本質において違いはないようです。 「なみあみだぶつ」の他力信仰と、「教外別伝・不立文字」の自力信仰のどこが同じかといえば、どちらも絶対者に己のすべてを投げ出すこと。 断崖絶壁に突き出た三尺の竹竿の先まで這い進んで、そこから「飛び降りろ!」というのが禅です。 絶対零度の極寒の地獄と、燃え盛る火炎地獄の間の、細い白い道をアミダブツだけを信じて、勇気をもって進めというのが念仏宗。 どっちも勇気がなければできることじゃない。 念仏僧が禅を学び、黄檗宗などの中国仏教が禅宗と念仏宗をミックスさせる方向で進んだのはただの偶然ではありません。 あの一休禅師と蓮如上人が互いに認め合う親友だったというのも有名な話です。 「勇気!」 というのが、じつは念仏宗と禅宗の根本にある。 これがないと、じつはどっちもなんにもならない。 「誠心ほかより来たる跡なく、内より出づる方なし」(道元) 道元の詩情も、じつは勇気に裏打ちされた「まごころ」(誠心)にある。 これが文学になりうるのは、やっぱり超一流の人間だけなんですが……。 そこで少しばかり、道元の「文学」の引用をしてみようと思います。 「天に道あつて以って高清なり。 地に道あつて以って厚寧なり。 人に道あつて以って安穏なり。」 なんだか、じーんときますね。 ここの文章は次のような文句で終わります。 「永平道あり、大家証明せよ。 良久(ややひさ)しくして曰く、 天上天下当処永平と」 この謎のような言葉を、わたしがどこまで理解したかは自信はありませんが、これは永平寺を建立したときに、開堂供養で道元が言った言葉です。 当時、永平寺は寺の正式な名前(寺号)を「大仏寺」といった。だから、これは永平寺という寺号にひっかけたダジャレじみた禅問答ではない。 ここは文字とおり、「道は久遠で平穏であることを、師よ、証明してください」と訊かれた道元の答えとみるべきしょう。 当時、鎌倉に大地震があったり、北条氏の内紛で御家人が真っ二つに分かれて内乱寸前の物騒な世の中だったから、この問いには切迫した響きがある。 道元はしばらく考えて、こう言った。 「世界のなかで、今ここにこそ絶対の真実(道)があると」 「天上天下唯我独尊」という釈迦の言葉を踏まえた仏法の答えがこれ。 釈迦の言葉を「世界でいちばんエラいのは自分」と解釈するのが、大間違いなのと同じで、「この道元がいるお寺にしか真理はない」と言っていると解釈するのは大間違い。 「いまここで遭っているお前さんとわたしが『道』(真理)を行動に移さなくて、どこに『道』があるか」 という凄まじい言葉なんだと思います。 小説家と思想家の時空をこえたコラボレーションに、「勇気をもらった!」―― 陳腐すぎる科白ではありますが、わたしにはこれ以上感謝を表現するボキャブラリーがありません。 |
まだ『下谷叢話』(永井荷風)の読書中です。 これが読みづらいのなんのって……。 白文(つまり訓読点なしの漢文)で、江戸詩人の漢詩を引用しているせいで、どうにもリズムがつかめない。 荷風という人の文章は、高い美意識に裏打ちされたなんともいえないリズムが魅力で、痴情としかいいようがない世界を描いているくせに、卑俗とか隠微という悪臭がまったくない。 その文章のリズムがないんですね、これに限って。 荷風の色気ある文体があってこそ、『墨東綺譚』(字体がフォントにないのですが、本当は「墨」の字にサンズイが入ります)という戦前の東京でも下等な娼婦街「玉の井」を描いて、「不朽のヒロイン」雪子を誕生させた。 (『墨東綺譚』の雪子は、『雪国』の駒子と並んで、昭和日本文学が生んだ永遠のヒロイン。平成の童顔アイドルと貧相美人に飽きたら、『墨東綺譚』と『雪国』の再読をお勧めします。いまは夢の国にしかいない日本の美女に遭える!) しかし――翻って考えてみると、情痴の世界を描いて、姿勢が乱れないという荷風文学の奇蹟のバックボーンには、高踏・卑俗を超越した漢文学の伝統があったのではないか。 つまり、『下谷叢話』に登場する荷風の祖父である鷲津毅堂や、その縁者大沼枕山といった幕末の漢学者たちの「文学」に対する姿勢が、漢文と和文という垣根をこえて、生きているのです。 大沼枕山という江戸時代の漢学者を知る人はまずいない。 ただ、この人のゆかりの人物として、柳川星巌がいる。 柳川星巌の名前は、司馬遼太郎さんの幕末ものには勤皇詩人としてよく登場するから、幕末ファンなら知っている人が多いはず。 もっとも、荷風がそんな世俗のことに興味を持つわけもなく、『下谷叢話』では見物旅行に出かけたり、やたら宴席を設けて漢詩の会を開いている姿しか描かれていません。 ほんとに、江戸時代の漢学者はどうして暮らしていたんだろうと、他人事ながら心配になってくる。 でも、よくよく読んでみると、いかめしい漢字の号を名乗り、漢字ばかりの漢詩を作っている人が、大工さんだったり、お百姓さんだったり、店の旦那だったり、お坊さんだったりするので、「なんだ、そうか」と一安心。 詩人といってもカスミを喰って生きているわけじゃない。 大沼枕山氏は、当時の江戸漢詩人グループでは、それなりに有名な人だったらしいけれど、生計が立つような仕事をもたず、もっぱらお寺の居候をしたり、正業を持つ漢詩人の家にこれまた居候をしながら、漢詩の添削なんかで小遣い銭をもらっていました。 この人も荷風の祖父の親戚なのです。 荷風もこんな人生を送っているつもりだったんでしょう。 戦前の内務省官僚で高給取りだった父親の財産を、勝手に処分して兄弟たちに分与せず独り占めしたとんでもない人ではあったけれど。 荷風の日記文学の傑作『断腸亭日乗』は、大正・昭和の風俗をリアルに描きだしたルポルタージュとして読めてしまうところが凄いんですが、引用した漢詩がちりばめられたコラージュにしかみえない『下谷叢話』も、よくよく読んでみると、江戸幕末の漢学者という職業の生活史になっている。 いまや平安時代の陰陽道の大家となった漫画家さんに『ファンシーダンス』というお坊さんの世界を描いた傑作があります。 わたしのような早すぎたアニメ世代は、活字を読んでいても、頭の中でマンガやアニメに自動変換されてゆきます。 いつしか『下谷叢話』の世界が、『ファンシーダンス』の坊さんたちの世界と重なって見えてくる。 そういえば、あの漫画家さんと荷風はどこか似ているような気がします。 語るべき理念が一切なく、ドロドロな愛欲の情念を冷徹な観察に昇華して、CGを圧倒的なデータ入力で現実に無限に近づけるように、ひたすら精緻に、そして端正に世界を再構成してゆく。 書き手がそのようなアプローチするからには、こちらもお付き合いしないと。 「♪我はたたえつ、かの防備。 かれは称えつ、我が武勇。♪」 (文部省唱歌「水師宮の会見」佐々木信綱作詞) |
『道元禅師の話』(里見ク)を読みました。 じつは、まだ『法の精神』は読み終わっていない。 最近、ヘビーな本ばかり読んでいるので、一日一冊はもう看板ばかり。 あれだけ厚い岩波文庫三冊を一日で読んだりしたら、まず社会生活は営めない。(笑) この『道元禅師の話』も数日かけて読んだものです。 ヘビーな本に対抗するには、並行読みしかありません! この技を身につけないと、社会人が読書生活するのはまず不可能です。 ところで、以前この読書日記でも紹介したように、里見クは「立派な文章を書くには、立派な人にならなければならない」という真理を喝破した人。 里見クのおかげで、最近の芥川賞だの直木賞作家が、なぜつまらないか、びびんと分りました。 これは、その里見が道元という日本歴史上まれにみる思索家に、誠心誠意ひたむきにアプローチを試みた作品で、小説というよりも、評伝に近い。 ただし、ただの評伝ではなく、道元という実に分りにくい謎に、近づこうという試みそのものが小説であるという、ちょっと複雑な構図になっている。 普通、作家がこういうやり方をすると、対象がひどく小さく、卑俗になってしまいます。 書き手の器がそのまま出てしまうので、仕方のないことです。 しょせん、自分の人間の器以上のものは、書けないのです。 だから、対象が聖徳太子であろうが、親鸞であろうが、暁烏敏であろうが、宮沢賢治であろうが、対象とは無関係に書き手の人格がそのまま露呈する。 つまり、自分を絡めて人物を描くと、そのまま自分の程度が哀しいまでにあからさまになる。あからさまになった卑俗さに、魅力を覚える読者は確かにいます。 しかし、それは他人が冷静な目で見る限り、誉める読者の頭の程度をいよいよ暴露している。読んだ本を評する言葉ってのは、諸刃の刃です。 作家を斬っているつもりが、自分が一刀両断されている。 回転ノコに自分から抱きつくような……。 書いているうちに、われながらよくも読書日記などということをやってきたなと、笑えてきました。 こんなものを書いているわたしなんか、毎日人から切り刻まれてナマス状態になっているんですね。 でも、里見クの素敵さは、そんなことを百も承知で、のんのんずいずいと、道元に迫っている。 しかも、決して自分を卑しめない。 道元の真実に、自分の精一杯の「しんじつ」で、向き合っている。 これは簡単なようで、そうじゃない。 他人の真実に、自分の「しんじつ」で真摯に向き合うなんて、大作家にしかできないのです。 大作家とは、里見クに言わせれば超一流の人間。 超一流なんて、そこらへんに転がっているものじゃない。 道元という巨峰がなぜ巨峰なのか。 そのことに対する解答を里見クは文中では書いていないけれど、それは里見の奥ゆかしさです。言葉の本当に良い意味で坊ちゃん育ちの里見は、あからさまに主張を怒鳴ったりはしないのです。 道元の偉さ、ゆかしさは、「正法(正しい真理)に目覚めた人間が一世紀の間に『一箇半』現れれば良い」と思い定めて、一生を真理探究に捧げた――この一点につきる。 その一事をさりげなく文中に明かすために、里見はうまずたゆまず道元の足跡を年代的に追っている。 その追跡そのものが、道元の偉さ、ゆかしさの証しでもある。 お坊ちゃんであるだけに里見の説得は、手が込んでいる。 でも、わたしはこういう説得(レトリック感覚とでもいいましょうか)が、いちばん信用できると思います。 読者は里見の意見を聞いて「ふーん」と鼻毛を引き抜くかわりに、本を読み進めていくうちに、自分自身が道元の真実を発見したような気になって、「三文文士め、なにをうだうだ書いているんだ!俺には分っているぞ」と得意になる。 「賢者と水は低きを喜び、大善を為す」という意味の、中国の古い書物の言葉は、人間にとって普遍的な真理です。 「まごころ」というものがない限り、書物はただのインクと紙のかたまりにすぎない。 しかし、まごころを持って書く人と、それを受け止めようとする人が出会えば、時間も空間も、そしてテキストの言語さえ越えて、魂が触れ合う。 里見のこの本は、こんな陳腐とさえ思える言葉が、否定しようもない「真実」であることを教えてくれます。 |
いきつけの古本屋で、探していた本を発見しました。 岩波文庫版の『法の精神』(モンテスキュー)です。 このごろ岩波文庫ほど面白いものはないと思い定めて、本屋ではまず岩波文庫のコーナーに行くようになりました。 残念ながら、近年の出版業界の構造不況は岩波文庫にさえ及んでいる。 読みたいと思う本や、手に入れたい本があっという間に版元品切れになる。 岩波文庫の記念復刊で出ていても、それと知ったときにはもう品切れ。 この国では、ちょっと難しめの本は足が早い。 困ったものです。 一読者としては、復刊ドットコムや、岩波書店のサイトで復刊リクエストを出しつづけるしかない。 頼むよ、岩波書店さん。 ちくまも元気がなくなったいま、中公文庫と岩波文庫だけがビンボな読書家の希望だ! 他の文庫は過去の遺産だけでいいです。何も期待していませんから。 この『法の精神』も、しばらく品切れが続いていて、復刊を待ち焦がれていました。 自分だけ幸せになって申し訳ない! 全国のモンテスキュー男爵ファンの皆さん。 ――何人いるんでしょうね、そんな人。(笑) モンテスキューという人は、教科書では近代的な三権分立を唱えた人でお終いですけど、なかなか――そんなもんじゃない。 だからさあ、教科書なんて信じるんじゃないよ、全国の善い子のみんな。(笑) ……長年探していた本がゲットできたので、すこしハイになってます♪ モンテスキューという人の面白さは、社会や人間のあり方に<Loi>があると信じて、それを探求する姿勢です。 <Loi>とは、フランス語で「ロア」。普通は法律のことですが、モンテスキューにとっては「原則」「真理」「法則」「哲理」という意味を全て含んでいます。 だから、『法の精神』のオリジナル・タイトルも教科書的に誤読すれば、「法律の精神」としか読めないわけですが、「エスプリ・ド・ロア」という原語を厳密に解釈すると、「諸々の法則なるものの精髄」ということ。 モンテスキューの「エスプリ」は、「精神」ではなく、「精髄」「抜粋」と訳すべきだと、白水社のスタンダード仏和辞典に書いてあります。 でも、これじゃあ、なんのことか分りませんね。 やっぱり一般ピープルには、「法の精神」あたりで留めておくのが良いでしょうなあ。 どうせ、一生手も触れないんだから。 (ちょっと意地悪な言い方ですが……) 出版不況のやつあたりを、本を買わない一般ピープルにぶつけても仕方ない。 反省して、本題に戻ります。 といっても、まだ流し読みしかしていないので、まともなことは書けない。 でも、序文に書かれたモンテスキューの<Loi>に対する考察や、後書きの訳者解説を読まずに、目次だけを眺めるとたしかにこれは法律の本としか思えません。 ただそう読むと、この本は無味乾燥なアカデミックなミイラになってしまう。 訳者が断っているように、「法律」と訳されている<Loi>を物理法則から自然の掟、世界の民族の習俗まで含めるものと理解してはじめてモンテスキューの意図がわかる。 そうしないと、この本は時代遅れで間違いだらけのヨーロッパ法学概論になり果てる。 日本においては、法律は「お上」=役人が勝手に作って押し付けてくるものという不幸な意識があります。 しかし、近代ヨーロッパとその子どもであるアメリカ合衆国においては、法律とは宇宙の法則(普遍的な真理)が人間社会において限定的だけれども実現したものという考えがあるのです。 それがキリスト教的に偏向しているとか、単純で偏狭な一元論だと、日本ナショナリストたちがどんなに非難しても、人間を大切にする政治という理想はこの発想からしか生まれなかった。 東洋の理想では税金不払いの刑罰を逃れるための人身売買や、強制売春を止めさせることができなかった。 近代社会の生みの親のオランダでは、たしかに自主的売春が合法化されていますが、少なくともやりたくない人に無理やり売春させても良いということにはなっていない。 ヨーロッパのものの考えには、いろんな欠点はあります。 ただヨーロッパの法律理解が、経済格差と貧困がもたらす困難に直撃されている現代国際社会にあって、北の先進国が発展途上国の人たちを支援する根幹となっていることは否定できない。 モンテスキューは、人が幸福に生きられる世の中を作るために必要な<Loi>を考えようとしている。 そんな人だからこそ、懐かしく、慕わしい。 いまのフランスはどうもいかんですが、昔のフランス人はえらかった! モンテーニュ、パスカルは、わたしにとって偉大な導師(メンター)です。 そして、また新しいメンターに出会うことができました! |
さて、今度は読書日記。 『風流武辺』(津本陽)を読みました。 これは戦国時代の武将で、茶人の上田宗箇の生涯を描いたもの。 津本陽の歴史小説は、初期の剣豪小説は別として、近作は方言の会話と、資料(参考書)の引用の切り張りみたいな感じがします。 これが有名人だと気になって読めないけれど、あまり知られていない人物だと面白く読める。小説だと思わないで、歴史読み物と思えばいい。 この小説も、物語としての体裁は最初の頃くらいで、あとは参考書のダイジェストと粗筋を並べていくだけ。 ただ、そっちの方が面白いから不思議。 小説家が枯れてゆくと、こうなるんでしょうか? 上田宗箇は、天下を狙う大物でもなければ、時代を代表する文化人でもない。 傍観者として、下から織田・豊臣・徳川を見ている。この視点が面白いけれど、なぜか物足りない。 また武人としての上田主水正(=宗箇)の研鑚は、熱心に書いてあるけれど、茶道の研鑚は通りいっぺんの描きかたでしかない。 どこに重点を置くかということなんでしょうが、どうも上田宗箇という人がみえてこない。 この人は八十八歳で、絶食して餓死します。浅野家で一万石の家老職を継いだ息子が病死したのをはかなんでという理由がつけられるのでしょうが、どうも今ひとつしっくりこない。 生に倦んで、虚無的な死を選んだ。それだけでは、どうも掘り下げが浅すぎる。 率直にいって、最近の津本作品は、人間の掘り下げが足りませんね。 大名たちの行っていた「大名茶」を極めた連中が、千利休といい古田織部といい、なぜか陰謀の臭いがする死を迎える。 このあたりをもう少し掘り下げる必要があるようです。 ちなみに、上田宗箇が創始した茶道の一派は、いまも上田宗箇流として残っているようです。 この本と並行して『下谷叢話』(永井荷風)を読んでいます。 こちらは漢学者だった母方の祖父、鷲津毅堂を中心とした江戸の漢学者たちを描いた評伝。 中身は、漢学者たちの日記と詩文のつぎはぎです。 雰囲気としては『風流武辺』と『下谷叢話』は似ていますね。 『下谷叢話』も、漢文とカタカナの入り混じった引用だらけ。 こういう作品の面白さは、史料を読む面白さに近いですね。 |
昨日は風邪で寝込んでしまいました。 日記もお休みです。 咽喉にもろにきました。 まだ痛い。久しぶりですね、こんなのは。 昨日の朝、ラジオをつけたら、ピーター・バラカンさんも鼻声で「風邪は身体の大掃除」と弁解していました。 なるほど、いいことをいう。 久しぶりの大掃除だと納得。 ところで、本日仮面ライダーアギトが無事終了。 ライダーは誰も死なず、闇の青年も人類絶滅はしばらく控えるらしい。 小沢澄子と北条透の恋の芽生えだの、尾室くんのG5ユニットのトップ就任。 一年でこれだけ変わるか、ふつう。(笑) 尾室くんの髭にも笑えたが、あんなに隊員がいて、何と戦うんだろう、いったい。 闇の青年はアギトの始末を人類にまかせたみたいだから、アンノウンはたぶん出てこないはず。氷川誠の台詞で「アギト絶滅法案」はこけたみたい。 あの白河というのは、いったいなんだったのか? ところで、どうでもいいことだけど――。 「翔一スペシャル」をお店で出しているところをみると、津上翔一はまだ沢木哲也に戻っていないのかな? 本物の津上翔一(旧・沢木哲也)は無事ご昇天だったのに。 グノーシス思想にまで踏み込んだライダー意欲作が、大団円でよかった、よかった。 アギトのグノーシス思想については、風邪が治ったら書くことにします。 |
なんだか読書日記じゃないみたいですが、本日も熱海旅行の続きです。 伊豆山神社では郷土資料館を見学した後、往復二十分の険しい山道を登って白山神社に行きました。 神社といっても、小さな祠があるだけでしたが、そこから下の森を眺めるとブナやクスノキの明るい葉陰が作り出す厳かで神秘的な雰囲気が美しい。 常緑照葉樹林のこの光景が、日本神道の原点なんですね。 山道は横がすぐ崖になっていて、杉木立の並ぶ谷底へと続いている。 樹間に陽光が差しているあたりの緑は、珊瑚礁の海底のようなエメラルド色にみえる。 あっと思ったのは、最近の復元技術で蘇った中世の絵巻物に施された絵の具の色にそっくりだったということ。 中世の絵師たちはただ綺麗な岩絵の具を塗りたくったのじゃなくて、原始の森の自然色を再現していたんだ。 これには驚きました。 下りの山道はまわりを見渡す余裕ができたので、よく見ると周囲はエメラルド色のフィルターをかけられたように空気の色が違っている。 森閑として鳥の鳴き声もない山道を歩いていると、いつしか海底にいるような幻想に浸っていました。 日本神道は山を聖地としていますが、これはモンゴルやチベットなんかの山岳信仰とはちょっと様子が違うそうです。 ご存知のように、日本の昔話には山中の泉や滝、湖が海底(いわゆる竜宮城)につながっているというものが多い。 山中という他界が、海底という他界とクラインの壷みたいにつながっているという発想が、古代から日本人にはあった。 役行者を出した鴨氏(=賀茂氏)がもともとは海から来た海人族で、日本の山岳宗教には海人族の儀礼が形を変えて取り込まれているという説があります。 海人族が山に入って山人族となったというのです。 なぜ山の神が女神で、オコゼという海の魚を好むのか。 民俗学者はこの謎に対する答えを、海人族の山人化に見出しています。 そういう話を思い出しながら、明るいブナの林を歩いていると、民俗学者の考えがすんなりと肚に入ってきます。 伊豆山神社からとてつもなく長い石段が海岸まで続いています。 これがほんとにハンパじゃない。 途中で脚がくだけるかと思ってしまった。 あんまり疲れたので、ガイドブックに出ていた蕎麦屋を見つけたのを良いことに、中に入って、穴子一匹を丸々揚げたアナゴ天ザルを食べて、お酒を飲んでしまった。(笑) 休憩して元気を取り戻して、さらに石段を降りました。 目指すは「走り湯」という横穴式温泉。 とにかくまっすぐ降りていくと、やがてちっぽけなプレートで矢印がある。 それを頼りに進んで、「走り湯」に到着です。 これは妙な温泉です。 背をかがめないと入れないようなコンクリートのトンネルから蒸気が噴出している。 眼鏡が曇って何も見えませんが、観光客らしいカップルが中から出てきたからどうやら入っても良いらしい。 眼鏡をはずして、ずんずん進むと濛々たる蒸気で前が真っ白。 それでも進むと、石棺みたいなところにお湯が湧き出している。 石棺の向こうには立ち入り禁止の柵があって、トンネルはそこで行き止まりでした。 蒸気がまわりが真っ白で、熱気がすごい。 これは蒸し風呂だ! そのとき、やっと奈良時代くらいまでの風呂はこんなものだったと思い出しました。 古代の風呂は、岩を焼いて、それに水をかける蒸し風呂だったのです。 行基が病人の治療に使い、光明皇后がハンセン氏病の患者を手当てしたという風呂は、岩屋の中で薬草をくべて焚き火をして、石を焼き、それに水をぶっかける。濛々とした蒸気のサウナが本来の風呂です。 京都の近くの八瀬というところでは釜風呂といって、今でもこの種の蒸し風呂を伝えているそうです。 どうやら、この国のお風呂の源流を実体験してしまったようです。 ただし、外に出て掲示板をみると、源泉は昭和39年に枯渇して、今あるものは新たに掘って温泉を復活させたものだとか。 単純な古代のロマンというわけにはいかないようです。 とはいえ、この列島に海を渡ってやってきた海人族のロマンに山中で浸り、奈良時代以前の風呂をいちおう実体験したわけだから、歴史好きとしてはこれに勝るものはない。 ――と、勝手に喜んでいます。 ところで、熱海に戻ってから、来宮(きのみや)神社という古社にいってきました。 ここでは伊豆山に次ぐ社格の神社です。 ここの御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、五十猛命(いそたけるのみこと)、日本武尊。 大己貴命は大国主神のこと。五十猛命は大国主神の先祖であり、あのスサノオ命の子ども。 つまり出雲の神々です。 来宮という名は、大国主神が船団を率いてこの地に上陸して、住処としたことに由来するとか。だから、先祖の五十猛命も祀っている。 古代において朝鮮半島の移住者との混血である豪族が西日本から海伝いに集落を作りながら、関東に進出したことがわかっています。 こうした事実を、この来宮神社の伝説は伝えているのでしょう。 調べてみると、伊豆半島には来宮神社という神社がやたらとあります。 日本武尊を祀っているのは、後の時代にこの地の豪族が大和朝廷に尻尾を振った証拠なんでしょうけれど。 来宮という名前には、もう一つ樹木信仰が隠れています。 五十猛命は樹木神であり、紀州(和歌山県)の守護神とされる。紀州は「木の国」という意味でもあります。 来宮には「木の宮」という意味もあるんでしょうね。 来宮神社には必ずご神木として大楠があるのはその証拠です。 この来宮神社にも、周囲を一周すると、寿命が一年延びて、願いことがかなうという樹齢2000年の大楠がありました。 十円玉をお賽銭箱に入れて、一周してみたけれど、こんなことではたしてご利益があるかどうか。(笑) その大楠の側に中曽根元総理が揮毫した徳富蘇峰の顕彰碑がありました。 うーん、ますますご利益は怪しい。(苦笑) 古代のロマンに浸っただけで満足して、寿命が一年延びたかどうかは考えないほうがいいかもしれません。 |
思い立って、熱海に日帰り旅行しました。 お目当ては、熱海の海岸で散歩することではなく、ここの古社・伊豆山神社です。 今でこそ、あまり知られていない場所ですが、古くは二所権現といい、箱根神社と伊豆山神社をお参りする風習がありました。 特に平安・鎌倉時代の坂東武者の尊崇を集めていました。 そのせいか、源頼朝と北条政子が恋を語ったという口碑があり、神社には政子と頼朝の腰掛け石というのが残っています。 鎌倉時代を知るには、一度行かなければと思い、やっと重い腰をあげて出かけてきました。 ここの御神体は、実は海岸の近くにある「走り湯」という横穴式の温泉です。 ですから、「走湯権現」という神像が、神社の隣に建てられた郷土資料館にある。ただし、伊豆山権現という神像もあります。 権現というのは、仏教の「仏」と日本古来の「神」が実は同じものという発想で作られた呼び名なので、ちょっとくらい呼び方が違っても大したことはないんでしょう。 いってみれば、プロレスラーの初代と二代目タイガーマスクや、獣神サンダーライガーが誰かってことはプロレス・ファンには周知の事実だったのと同じです。 もっと古いことをいえば、ミルマスカラスのマスクの一つみたいなもの。 「権現」という日本的な神格にとって、名前なんかはどうでも良かったのです。 郷土資料館でもらったパンフレットには、御祭神は火牟須比命、伊邪那岐命、伊邪那美命とあります。 ただし、こういう神々を御祭神とする例は、歴史が古く由緒有る地方の神社で、日本書紀のパンテオンに入らない地方固有の神を祀る場合にしばしばあるので、あまり意味があるとは思えない。 ただし、火牟須比命(ひむすびのみこと)とあるから、はしなくも熱、つまり火山活動や温泉などに関係していることを暗示しているのです。 この権現さまの姿がちょっと面白い。 資料館の掲示では、恵比寿様の格好と同じとある。 みればまさにそのとおり。 ただ右手に、四天王の広目天や増長天みたいな鉾をもっているところが違う。 物騒な恵比寿様というか……やっぱり武士たちが信仰した神さまだからでしょうね。 (追記: 後で思い出しましたが、権現様は恵比寿様の格好で、鉾をもっているだけでなく、坊さんの袈裟をつけていました。 聖徳太子の供養像が飛鳥時代の装束の上に、袈裟をつけているのと同じです。 太子の理想は伊豆の山の中まで及んでいた!) しかし古い時代には、蔵王権現というか、不動明王みたいな伊豆山権現の肖像や像もありました。末社の白山神社の鳥居にあった掲示板を読むと、聖武天皇の天平元年に疫病が流行り、白山神社を勧請して疫病が止んだとあります。 どうやら奈良時代には修験道の前身の山岳信仰が浸透していたようです。 伊豆山神社と関係が深い箱根神社は、関東における天台系修験道や唱導の中心ですから、山岳宗教やのちにそれを吸収した密教が受容されるのは当然といえる。 ただし、明治の神仏分離令以後に伊豆山神社から分離した元の別当寺・伊豆山般若院は真言宗でした。 寺社の歴史は複雑すぎて、素人にはよくわかりませんね。 ちなみに、日本の神社とお寺は奈良時代くらいから一体となって共存していました。神社を境内から追い出したのは浄土宗系統だけです。 なぜかというと、浄土宗は阿弥陀如来の他の神仏を認めないラジカルな原理主義的傾向が強いからです。 ともかく、神社とお寺が共存する体制を「神仏習合」といい、神社の経営・維持はお寺の仕事となった。そのお寺を「別当寺」といいます。 神像の話ばかりで退屈だろうけれど、室町時代に作られた木製の男女神像で、面白いものがありました。 この神像は男神は衣冠をつけ差貫(さしぬき)を穿いた平安貴族のスタイル。一方、女神は中国風の髪を結い、唐時代の衣服をつけている。 同時代の中国は元朝か明朝ですから、同時代の中国を真似たとは思えない。 もしかしたら、道教の神さまじゃないかと、わたしは想像しています。 なんで、そんなものがここにあるのか。 この郷土資料館には、北条政子の髪で作った「頭髪曼荼羅」とか、後奈良天皇真筆の般若心経、藤原清衡が中尊寺に奉納した中尊寺経の一部が展示されています。 北条政子の曼荼羅は実物は保存して、複製を展示していましたが、他は本物でした。 後奈良天皇が書いた般若心経は戦国時代を嘆いて、この天皇が全国の主要神社に奉納したもの。そして、中尊寺経は奥州平泉の中尊寺から鎌倉幕府が奪って高野山に寄進したもの。 こういう大切なものが伊豆山神社に奉納されたのは、鎌倉幕府の保護や、武士たちの信仰によるものと考える他はありません。 しかし、一方で伊豆山神社は戦国時代に入るまで、伊豆の水軍を従え、海上交易を管理する特権を与えられていました。これも鎌倉幕府の庇護のおかげですが、それを考えると中国との貿易にもなんらかのつながりがあったんでしょう。 鎌倉には宋の商船が出入りしていましたから、伊豆山の直下にある港に中国の船がやってきたことは十分考えられる。 伊豆山神社とは、中世ではそれほど大きな政治・経済力を持っていたのです。 それが鎌倉幕府の滅亡、南北朝の争乱、室町幕府と鎌倉公方の対立と、関東の政治・経済力の衰退とともに、ちからを失い、戦国時代には社殿も壊れ、伽藍もなくなった。 現在の社殿は徳川家康が復興したものを、近年さらに修復したものということです。 平安時代や鎌倉時代を調べていると、当時の建物の規模がまるでわかりません。 いちばん残っていそうな京都も数多くの戦乱で焼失し、今の建築はほとんど江戸時代以降に再建したもの。鎌倉は江戸時代に観光ブーム(!)にのって新しく復元された観光都市なんです。 今に残る鎌倉のお寺から往時の規模を想像するのは大間違い。 鎌倉の真の姿は土の中の遺跡と文書記録にしかないのです。 伊豆山神社も例外ではなく、ここを訪れても鎌倉時代の遺構はゼロです。 頼朝ファンだった徳川家康の熱意で蘇ったものしかない。 ただ、それでも、歴史の現場に立つことは無意味ではありません。 この地に立ってみて、今から800年ほど前にここにいたある人を、血の通った人間として理解することができました。 今回の旅行は、ほんとはそれが目的だったのです。 その人は頼朝や北条政子のような有名人ではありません。 だから、語り出すと長くなって収拾がつかなくなりそうです。 その人については――いつか書く機会があるでしょう。 しばし、お待ちください。 |
本日は「ハプスグルクの華」「バイエルンの薔薇」と呼ばれた19世紀最高の美女について。 もちろん、その美女とは、黄昏ゆくハプスブルク帝国の皇妃エリーザベト。 読んだ本は、『皇妃エリザベートの真実』(G・ブラッシェル=ビッヒラー)と『皇妃エリザベートの生涯』(マルタ・シャート)。 どちらも、集英社文庫で訳者はマリールイゼ・フォン・インゲンハイム女史の著作と同じ西川賢一氏です。 掲示板でも書きましたが、なんでドイツ語では絶対に「エリザベート」とならない読みがこうなるのかという理由は、宝塚にあったのです。 こうなると、もう何にも言う気はありません。(笑) 「ををっ、ヲスカル。君はうんたらかんたら」の世界に、中年のおっさんが何をいえましょう。 「まりーあんとわねっとはふらんすの女王なのです!!」 ああ、そうですか……。 いかん、気をとりなおして話を続けます。(笑) この本でエリーザベトの私生活はかなり詳しくわかりました。 ついでに、彼女の側近やヘアメイクの女性との、「渡る世間は鬼ばかり」的な関係も。 そういうワイドショー的な興味よりも、不思議なのは、エリーザベトの人気です。 この人は、同時代のドイツ、オーストリアやハンガリーの女性には絶大な人気があった。 エリーザベトを暗殺したイタリア人テロリストには、オーストリア中の女性から呪いの手紙が届いたそうです。 それかあらぬか、犯人は獄中で首吊り自殺しました。 なぜかなぁというと、歴史家なら簡単に答えるでしょうね。 当時の抑圧され、教育の機会さえなかった女性たちには、数ヶ国語をあやつり、男も及ばぬ古典の教養をもち、サーカスの曲馬さえこなすエリーザベトを、スーパーレディーとして憧れの眼でみていたと。 政治と家庭生活と子どもの教育については、エリーザベトは皇妃失格、主婦失格、母親はなおのこと失格――といわざるをえない。 しかし、それ以外では、エリーザベトはオリンピック選手並みの運動神経と、一流の知性、それに当時のヨーロッパ最高の美貌とスタイルという、女性ならだれしも憧れるものをすべてもっていた。 それでいて、不幸であてのない放浪の旅に出る。 家庭に縛られ、夫からは鞭でしばかれるヨーロッパ女性にとって、アイドルであるのは間違いない。 ヨーロッパというのは、20世紀初めまで夫が妻を鞭でしばいて、出来の悪い子どものようにしつけるという世界だったのです。 19世紀までのヨーロッパで、オンナの人が男と対等にやりあう世界を書いている歴史小説は、すべてウソだと思ったほうが良い。 オンナは獣と同じで鞭でしつけるもの。少々、せっかんがすぎて死んでも、まあ仕方ない。ウソみたい話ですが、これがヨーロッパ文化の真実。 こんな文化と戦うためにこそ、欧米のフェミニズム文化は生まれたのです。 日本の女の人の女性解放とは、血生臭さの次元が違う。 19世紀末から20世紀初頭のウィーンやパリ、ロンドンでは、女性同性愛がひそかに広まっていた。 ただし、これはアダルト・ビデオの定番みたいな綺麗な若い娘同士じゃないんです。 四十過ぎの行かず後家と、三十代半ば以降の子持ちの離婚女性という組み合わせが圧倒的に多かった。 これは、知性豊かで社会的に活動する女性が夫の奴隷である妻の座をきらい、独身を選んだこと。そしてその女性たちが、結婚に失敗して経済的にも心理的にも不安定な女性を被保護者として、パートーナーにするという構造だったということです。 四十歳くらいになってくると、そろそろ心身ともに結ばれるパートナーが、女性には必要なんでしょうね。たとえ、それが同性であろうとも。 どうやらエリーザベトの熱狂的なファンには、そういう女性が多かったようです。 ジークムント・フロイトの家庭でも、同居していた行かず後家のフロイトの妻の妹ミンナと、生涯未婚だったお手伝いの女性が、エリーザベト・ファンだった。 他の件では喧嘩ばかりしていた二人も、この一点だけは気があったそうです。 そうしたことを思い合わせると、ハプスブルク王室の美貌の皇妃は、ヨーロッパの女性にとって永遠のアイドルたる宿命を背負っていたのだと改めて感じます。 それにしても、イタリア女だけは生前も死後も、この皇妃には冷たい。 しかも、エリーザベトを殺したのは、イタリア人。 こんなことをいうのは、ヘンな話だけど、なんかイタリアと聞くと気分が悪い。(笑) 中田も、イタリアなんか捨ててイングランドへ行けばいいのに。 こうなってくると、わたしもただのアブないシシー(=エリーザベト)・ファンの仲間入りですね。(苦笑) |
まとめ書きの、読書日記第三弾! 本日のお題は『イワン・イリッチの死』(トルストイ)。 このところ読んでいるのがあまりにも有名な本ばかりなので、読書日記というより世界名作劇場(?)と改題した方がいいんじゃないだろうか。 ――なんていう疑問がいよいよ重く頭にのしかかっています。 でも、タイトルを変えても読んでいる本が変わるわけじゃなし。 国産ミステリー読書日記やベストセラー本読書日記なら他にいくらでもあるから、一つぐらいは物好きな読書日記があってもいいだろう! 不敵に居直って、このまま読書日記を続けます。(笑) しかし、さすがに『幼年時代』『少年時代』のような、本好きなら高校生くらいで読み上げている本のストーリーを紹介するのは、恥ずかしかった。 「恥ずかしい」って科白は、SM小説やAVなら絵になりますが、他ではちょっと。(笑) < 例がひどすぎるか……。(反省) だから、名作『イワン・イリッチの死』のストーリーを紹介するのはやめておきます。 だってねぇ、読書好きならよくよく知っているこの小説。そのストーリーをダイジェストするなんて、『坊ちゃん』のあらすじをダイジェストするくらいカッチョ悪すぎ! ところで、『幼年時代』『少年時代』と読んできて、『イワン・イリッチの〜』を手にとると、この作品が一連の自伝的作品の「きょうだい」だということがわかります。 もし、トルストイの巨大な文学の才能がなく、世間とうまく折り合って生きていけたら……。 有能な官僚であるイワン・イリッチは、トルストイ自身の姿だったかもしれない。 もちろん、そんな<IF>はなりたちません。 トルストイは若き思想家、行動的社会改良主義者をへて、作家(物語る人)になったわけだから、文学賞をとって世に出た作家とは訳が違う。 どうしたって、イワン・イリッチにはなりようがない。 ただイワン・イリッチの姿には、遊び人だったトルストイ自身の父や、世間とそつなく折り合って生きていった兄ボロージャが二重写しに見えてきます。 官僚としてのイワンのささやかな挫折と、成功。 それを描き出すところは、むしろ平板ですね。 文豪の興味がそんなところにないから当然ともいえるし、そもそも現実で成功したためしがない人だから、どうしたら出世できるか根本的にわからなかったというのが正解でしょう。 しょせん分らないことは、いくら文豪だって書けはしないのです。(笑) この本の見所は、つまらないちっぽけな事故が、逃れ難い死へと連鎖して行くあたりです。神経を病んでいる人なら、いよいよ神経が痛くなりそう。 心がカゼ気味の人にはおすすめできない辛さです。 この本は、「死の心理学・生理学」なんです。 なによりもつらいのは、肉体の死そのものよりも、社会的な人格としての自分が死んで行くのを見なければならないこと。 寝たきりになる末期の床につく前に、社会的生活や家庭生活のなかですでに死が始まっている。 つまり、だれもが自分の死後のポストを計算し、妻や子どもたちは遺産分配にやっきになる。 肉体の死よりも先に、社会的な自分が同僚・家族の中で死んで行く。 これを勤務先で、トランプ遊びの席で、そして家庭で味わわなければならない。 このつらさは、どうにも表現しようがない。 身体の痛みでうめきつづけて死んだと家族がいうイワンは、じつは肉体の苦痛で心の痛みを紛らわせていたのではないでしょうか。 それを考えれば、肉体の苦痛は心の苦痛を救ってくれたといえないこともない。 イワンを苦しめたのは、肉体の苦痛とないまぜになった家族への憎悪です。 自分の生きてきた過去、それが形づくった現在の生活、そうしたもの全てが厭わしく、空々しく、醜く、ウソっぱちだった。 そう感じるほどに、憎しみがこみあげてくる。 映画『オール・ザッツ・ジャズ』で、ロイ・シェーダー演じる主人公に、美女の死神が教えていましたよね。 「死」に直面した人間が必ず通る四つのステップ。 怒り、悲しみ、取引、諦め。 それを描くのに、映画は2時間ほどかかったけれど、小説は百頁に満たないで、この辛酸を描き尽くす。 それも残酷なまでに克明に。 しかし、イワンにトルストイは救いを用意してあります。 それはひょっとしたら、現代人には救いと見えないかもしれないけれど。 柳宗悦という人は「救い」とは、苦痛がないことではないと書いています。 苦痛があるゆえに、救いはある。 苦痛のさなかですでに「救い」は完成されているのだと。 仏教思想を研究しぬいた柳宗悦ならではの言葉ですが、『イワン・イリッチの死』にも同じ思想が貫徹している。 真理というものは、それが心理学的・生理学的なものであっても、洋の東西を問わず、普遍的なものだと改めて思いました。 |
まとめ書きの、読書日記第二弾! 『少年時代』(トルストイ)。 これはモスクワの母方の祖母の家で暮らす主人公の物語です。 ストーリーそのものは前作と同じで単純そのもの。 母の思い出が残る田舎の屋敷からモスクワへの旅。 家庭教師の老ドイツ人との別れ。フランス人家庭教師とのいさかい。 祖母の死。年上の友人との友情。 煎じ詰めれば、これだけの話で読ませるのだから、文豪はやっぱり凄い!(笑) それにしても、『幼年時代』『少年時代』に登場する召使たちの運命は、帝政ロシアの暗く重い現実を鮮やかに切り取っています。 わたしのような歴史好きは、主人公の子どもらしい感情生活よりも、そっちの方が面白かった。特に、お払い箱になるカルル・イワーヌイチという家庭教師の老ドイツ人の運命には、「人間の尊厳」ということについて考えさせられました。 母が未婚のとき宿したカルルは、戸籍上の父にうとまれ、腹違いの弟のために兵役を代わったために、苦労に満ちた生涯を送る。 しかもやっと見つけた「じいや」の仕事を二十年間まじめに勤め上げた挙句に、老人の身でお屋敷を放り出されて、路頭で職を探さなければならない。 専制国家では幸運に生きることは、僥倖いがいの何ものでもないことが痛いほど分ります。どんなひどくみえても、民主主義と資本主義ほどに人類全般に幸せをもたらす仕組みはないじゃないでしょうか。 しかし、それであっても、人は誇りをもって生きることができる。 哀れなカルル・イワーヌイチは、そのことを主人公に教えてくれたのです。 カルルが追い出された後の、主人公がしてのけるイタズラや悪さの数々は、善良なカルルのような人を認めない世間そのものに対する復讐のように思えます。 ことに、フランス人家庭教師サン・ジェロームに対する反抗は。 『少年時代』の終わりが、信頼できる年上の友人ネフリュードフとの友情の芽生えであったことは、そうやって考えてみると、物語の必然なんですね。 いったん喪失した人間への信頼を、取り戻すこと。 さもなければ、主人公は傷ついた獣のように破綻したまま大人にならざるをえない。 将来には、なんの成長もありえない。 すぐれた文学は、最高の人間学の指導書でもあります。 文学というものに存在価値があるのは、「人間学」というひとにとって必須の「学問」を教えてくれるから。 心理学でも社会学でも、「人間学」をカバーすることはできない。 そもそも「人間学」は机の上やパソコンの画面で学習するものじゃありませんからね。 涙と汗と、ひょっとしたら若干の血だけが、「人間学」を学ぶ授業料。 他のものは、受け付けてくれないところが、厳しいところです。 |
14日にまとめ書きした読書日記の第一弾です! 一週間以上、読書日記はごぶさただったんですね。 われながら、がっくり。 雑談日記もいいんですが(もしかして只の自己満足?)、読書日記の方が書いていて楽しいからです。 そこで、日頃の欲求不満を解消するために、ごく手短に読んだ本の感想などを。 最初は、『幼年時代』(トルストイ)。 このごろロシアの文豪がマイブームです。 『幼年時代』『少年時代』『青年時代』というトルストイの自伝三部作を読もうなんて気になったのもそのせい。 ところで、十年も前なら、どこの本屋にもあった岩波文庫版や新潮文庫版の文豪の本も今はネットで注文しなければならない。 出版文化の崩壊をあらためて実感しますね。 さてごく手短に……。 トルストイの『幼年時代』は、「子どものための文学」というジャンルがあるとしたら、おそらく最高傑作の数えられるでしょう。 いや、すでに文豪の古典なんだから当然といえば当然かもしれないけれど、子どもの視点が「子ども」という現象を書ききるなんてのは、大作家でも難しい。 「至福な子ども時代」というのは幻想にすぎないとは良くいいますが、世界と自分がまだ分離せずに、一体のものとして感じられるのが「子ども」という黄金時代の宝。 ひとは成長するにつれて、この一体感を失い、世界がいよいよよそよそしいものになる。 ひとの成長とは、ふたたびこの一体感を取り戻す旅といえないこともない。 『幼年時代』を乱暴にくくれば、母親の病死によって、主人公(トルストイが己を仮託した存在であって、本当の実像とはちょっと違うようですけど)が幸福な幼年時代を失うまでのお話。いってみれば、言葉の本当の意味での「失楽園」です。 文豪の鋭い目は、楽園にしのびよる不穏な影を描きださずにはいられないけれど(例えば父親の情事、浪費癖)、まだ母親の財産と愛情によって、パラダイスは滅びていない。 この一体感がなんともいえない魅力ですね。 母親の死によって、主人公の一家はモスクワの祖母の家に引き取られる。 楽園を喪失した主人公がどう変化(または成長)するかと、文豪は期待をもたせて、次の『少年時代』を取り出してくるのです。 |
本日のお題は『人はなんで生きるか』(トルストイ)です。 表題の短編は、じつによく出来た話です。 大勢の人が読んでいる本なので、紹介するのも気がひけるけれど、殺伐とした新世紀にいよいよふさわしい内容です。 ミステリー風の謎解きというわけではないのですが、この短編の柱は三つの謎。 曰く、 ・第一の謎は「人の中にあるものは何か」 ・第二の謎は「人に与えられていないものは何か」 ・第三の謎は「人はなんで生きているのか」 答えは、ロシアの文豪が広義のキリスト教神秘主義者であることを思い出せば、かんたんに分る。 ただし、構成がみごとですね。 地上に堕とされた天使の眼が見つけた人間の真実。 このプロットを使えば、TVドラマや映画で、名作がぞろぞろできそうな気がする。 いや、とっくに使っているんでしょうけれど。それと分らないようにして。 第二の謎はちょっと難しいかもしれないので、答えを明かしてしまいます。 「人間に与えられていないもの」とは、運命を見通す洞察力。いいかえれば、叡智です。 叡智のある天使には、「第一の謎」が簡単に解けた。 これがなくなると、人間には死んでしまう。そして、これを無くしかけた人間には死相がうかぶ。 この手の話は、道教の国中国でもよくありますね。 観相の名人が、通行人の死相をみてとり、延命の秘法を教える。 といっても、神秘的な呪術を行うのではなく、「陰徳を積む」というのが中国的な解答です。 トルストイのロシア版だって、じつはおんなじことをいっている。キリスト教くさいけれど、本質は同じ。 「運命」ということに思い至ると、けっきょく同じ結論しかないんでしょうね。 水に落ちたら、泳ぐしかないのと同じことです。 「人はなんで生きるのか」 答えは万国共通、そして宗教の違いも関係ない。 精神世界であれ、アニミズムであれ、呼び方が違っても、この法則が分っていないと、運命は味方になってくれない。 別に宗教の宣伝をしているわけじゃありませんが、「徳」とか「スピリチュアルなもの」を自分の生き方に組み込んでいかないと、これからは生きて行くのが難しくなる一方だと思います。 |
トルストイの『イワンのばか』を、ほぼ三十年ぶりに再読しました。 中学校の読書感想文にふさわしい本ではありますが、本当の味は四十歳をこえなければ分らないでしょうね。 といっても、書いてある内容を百字以内にまとめるのは簡単。 よほどおバカか、ひねくれた子どもでなければ、器用にまとめられるはず。 ただし、これを書いた頃、レフ・トルストイは57歳。 人生知の苦さを知るのは、いたいけな青少年には無理な話です。 内容はすっかり忘れていました。 たまたま『光あるうちに光の中を歩め』を読んだから、手にとったまでのことです。 読んでみて驚いたことに、これが21世紀のいま、まことにタイムリーな寓話なんです。 もし、2001年9月11日の翌日か、11月のラマダン開始後にこんな寓話をアメリカで発表したら、袋叩きになったでしょう。 文明の衝突とはいうけれど、衝突しているのは、地球的観点からいえば同腹の兄弟といえるアメリカ文明と現代イスラム文明(というより、イスラム原理主義者)。 どちらも現代軍事技術と後期資本主義型経済システムを採用しているから、異質といってもたかがしれている。 そういう文明群とは違った理想を語るものがいたら、それこそ本物の異文明の衝突というべきでしょう。 「イワンのばか」は、旧ソ連型の軍事覇権主義、アメリカのグローバリニズム、「ならず者国家」のミリタリズムと、いま地球ではびこっている政治・経済システムに対する黒い笑いとして読めないこともない。 じじつ、ここに登場するイワンの兄たち、王様たち、兵隊、悪魔たちに、ニューズウィークやタイムの表紙を飾る人々の顔を連想して、ついつい笑ってしまいました。 無抵抗主義だの、共産主義だの、ロシア農本主義だの、いろいろ古臭い思想の墓場と読むことも不可能ではありません。 ただし、それがそっくりそのまま現代の最先端の問題と位相変換して通用しているのが可笑しい。 トルストイの名作も、意地の悪いおじさんの目でみれば、人権派もテロリストも経済至上主義者も笑い飛ばす爆弾となってしまう。 いや、トルストイ本人こそが、いわゆる良識と革新と反動をすべて笑い飛ばす仕掛けを、こさえたのだから、そう読むのが当たり前。 古狸をみくびってはいけません。しかも、この古狸は世界有数の化けタヌキなんですから。 今回読んだのは、岩波文庫版の『トルストイ民話集 イワンのばか』です。 ここに入っている短編は、子どもには甘ったるいショートケーキに見えるけれど、大人にはこの上なくビターなスコッチの味がする。 これがショートケーキにみえるうちは、なんにも見えていないのです。なあんにも、わかっちゃいないんです。 身に覚えの旧悪にぐさりぐさりと胸の奥を突かれながら、きつい酒をしみじみ飲む。 そういう風情が良く似合う本なのです。 ここに出てくる悪魔や悪党や人でなしどもが、他でもない自分の姿だと分らないわけにはいきませんからね。 自分が善良なイワンやお百姓さんだと思うやつは、どうかしている。(笑) おのれが悪人だと知っているものだけが、ばかなイワンのほんとうの偉さがわかる。 これは、人生の午後の時間を生きる人にとって、必読の書物です。 |
目下、ハリーポッターの原書第四巻目を読んでいます。 休み中に読みきれるかと思ったけれど、飲んじゃ寝てるし(恥!)、TVも忙しい。 それにしても、<Harry Potter and the Goblet of Fire>は分厚い。 はじめて本を手にしたときにはぎょっとしました。 ただし、普通のPBに比べるとやや活字が大きいようなので、それほど中身が多いわけではない。 個人的な感想をいえば、薄い一巻目のほうが内容もイマジネーションも濃いようです。 巻数を重ねるにつれて、冗長で味が薄くなる。 この調子でいくと、今夏以降に出る五巻目はどうなるんでしょうかね。 昨年、四巻目を読む予定だったのですが、PBと間違えて英語(つまり、イギリス人にとっては国語)の学校用指導テキストを買ってしまいました。 これはストーリーをまるまる紹介して、児童に読解指導する教師用の本なのです。 書店でオンライン注文した本を受け取ったまま、帰りの電車でつい全部読んでしまった。 おかげで、原書を読む気が失せたのでした。 ただ忘却とはありがたいもので、いまはすっかり内容を忘れている。 おかげで、楽しく読書できています。 それについては、近々ご報告できると思います。 著者ローリング女史は先ごろ再婚したそうですね。 映画の大ヒットといい、このごろはいいことづくめのようです。 あんまり関係ない話題ですが、ハリーポッター第一巻目が11月ころにラテン語訳されました。 イギリスにはまだギリシア語・ラテン語の古典語教育があるのです。 その副読本として、『ハリーポッターと賢者の石』が使われるそうです。 なにもそんなことなら、無理してラテン語を勉強することもないように思いますが……(笑)。 ちなみに、古典ギリシア語のほうは、翻訳者がみつからず、まだ募集しているらしい。 ご苦労さんと、言いたくなるのは、わたしが日本人だからでしょうか? |
岩波文庫で『おくのほそ道』を再読しました。 ただし、芭蕉翁の本文はざっと流し読みです。清泉という「夏子の酒」のモデルになった亀翁酒造の酒を飲みながら。 酒が美味いときは、日本古典を眺めるのがよろしい! ――この偉そうな口調は、故・開高健さんの真似です。(笑) 今回、本文よりも面白かったのは、付録の『曽良旅日記』と『俳諧書留』。著者は両方とも河合曽良(そら)。奥の細道に同行した芭蕉の高弟です。 そしてもうひとつ付録の『奥細道菅菰抄』(おくのほそみち すがこもしょう)。 著者は十八世紀の俳人・高橋高(干)啓(1714-1783)。 蓑笠庵梨一(さりゅうあん りいち)という方が、国文学では名が通っているそうです。 詳しいことはわかりませんが、編者荻原恭男氏の解題に経歴が略述されています。 埼玉県児玉郡で生まれ、地方役として三十年ほど勤めて引退。 六十歳ころから、和漢仏の百二十二の古典を参考にして、『奥の細道』の註釈を書いたそうです。 まだ公務についていたころから、芭蕉の足跡を踏破して実地調査もしていたとあります。 引用された文献には、その人柄をこのように記してある。 「清貧寡欲、家事を修めず、会計総て人に委ね、性来酒を好み、行遊散歩を事とす」 俳句とか芭蕉が好きな人には、この手の気の良い人が多い。 ただし、外見は柔和だけれど、中身は頑固一徹なんですね。 蓑笠庵せんせいも例外ではない。 『奥細道菅菰抄』には付録として、『奥細道附録 菅菰後考』として「文章論」なる一文があります。 これは「俳文」という新しい日本語のスタイルをなんとか確立しようとした苦闘の書でもあります。 漢文の論理性と、和文の叙情性をそなえ、なおかつ読者の意識をそらさない文章のスタイル。 それが蓑笠庵梨一にとって、芭蕉の俳文でした。 感情に溺れず、知の冷たさに凍死しない知情意そろった日本語を、芭蕉の文に求めたのです。六十歳から膨大な古典をリサーチしながら、現代においてさえ一級と認められる注釈書をかきあげた情熱の秘密はそこにある。 現代日本語の書き言葉を確立したのが、芭蕉の再発見者である俳人正岡子規とその友人で俳人でもある夏目漱石だったという事実は、歴史の偶然じゃない。 わたしたちが使っている文章語としての日本語は、芭蕉のDNAを受け継いでいるのです。 漱石がいまの売れっ子小説家たちの手本でありつづけていることは有名ですが、蓑笠庵梨一の「文章論」にも現代に通じる卓見があふれている。 文章書きに興味がある人なら、必読かもしれません。 ところで、余談ながらいまひとつ面白いことがある。 『奥細道菅菰抄』には、源義経=ジンギスカン説の先駆ともいえそうな記述があります。 あの奥州平泉で義経は死なずに、弁慶たちともども身代わりをたてて、本物たちは蝦夷へ逃亡した。 そこで、義経はアイヌ民族の英雄神オキクルミ(ギクルミ)となり、さらに中国に渡って諸侯に列せられ、義行と名をあらため「義行王」となった。 また、当時の清朝の「清」は、清和源氏からきているもので、先祖は「源義経」である。そのことは清朝が撰述した「図書大成」なる書物にあると。 義経伝説は、18世紀後半にもう出来ていたんですね。 (ただし、義経=ジンギスカン説は明治時代の産物ですけど) こんなことを知るのも、古典を読む楽しさです。 |
10時間ドラマ「壬生義士伝」を観ました。 原作者の小説を読むとき、いつも思うのですが、どうも騙されているよう気がしてならない。 ドラマになると、そうした感じが一層強くなる。 「壬生義士伝」に限って言えば、主演の渡辺謙をはじめ、竹中直人ほか出演者が好きなので最後までみてしまいましたが、どうもヘンだなという気がします。 なんども涙ぐんだことは間違いないのだけれど、口上のうまい騙り屋にしてやられているような……。 主演の渡辺謙でさえ、主人公の行動(というか内面・動機)を理解するのに苦しんだと某新聞のインタビューで答えています。 いったり、どういうことなんでしょうか。 新撰組に興味がある人なら、南部藩を脱藩して、新撰組に入隊し、同藩の大阪屋敷で惨たらしい自殺をとげた隊士の名前を知っているはず。 あれは詰め腹などというしろものじゃない。あまりにも凄惨な死に方なので、書くのはやめておきます。 「あれって、こういう話だったっけ?」 大衆文学というやつは、歴史とは仲が悪いんでしょう、きっと。 |
新春第一弾の読書は、文豪トルストイの『光あるうちに光の中を歩め』。 大昔に読んだけれど、再読しました。 20年前なら高校生が読むのでしょうが、活字離れの現代ではおじさんが読みます。(笑) トルストイの本は、本来若者にはあんまり面白くないんじゃないでしょうか。 禁欲的な理想主義とは、若さの特権のようにみえますが、じつは現実とさんざんお付き合いをしてきた大人じゃないと、有難味がわからないところがあります。 世の中にはいろいろ楽しいことがありそうだけれど、実際やってみると、それほど大したものじゃない。 こういう苦い味を知っている人じゃないと、欲望を捨てるという主張の意味はわからない。 けっきょく、やってもやらなくても同じなら、何も苦労することはない――そう思ってしまうのが大人。 とにかく、暴れたいのが、若さ。 知恵が静謐なものだとすると、若さと知恵は水と油ですから。 『光あるうちに光の中を歩め』の主人公ユリウスが晩年に到達した境地は、中年でも無理だと思います。 岩波文庫で正味九十ページもない短い小説に、さりげなく描かれたエピソードの数々は、簡潔な描写でありながら、大人にはぎくりとするところだらけ。 たった一つの単語にぎくり、ぎくりとしながら読むのは、わが身が他人になしたさまざまな事柄に思い当たる節がしこたまあるからです。 わが身が背負う後ろめたさなくして、この本を読めば退屈なだけ。 あるいは、オメデタイ理想主義にしかみえない。 でもね、こういう葛藤を意識化できないと、中年以降の人間はあぶない。 中年以降という「人生の午後の時間」(ユンク)は、自分の真実を発見する時間でもあります。 これから目をそむけると、自己処罰というかたちで無意識は「死」と「病」(精神的・肉体的な)を自我に送ってくる。 人間なんて、自分自身のうちに、自分にとって最も恐ろしい死刑執行人を抱えているようなものです。 この死刑執行人は、ときには暴力衝動や自殺衝動というかたちで中年以降の人間を襲うこともある。 有史以来、これから逃れられた人間はいない。 なにせ人間という存在そのものに根ざしたターミネーターですから。 トルストイのこの本は、わたしにとっては原始キリスト教にかぶれた文豪のおめでたい理想主義とは到底思えません。 これは「人生の午後の時間」を生きる人間の惑いそのものです。 小説のラストで、主人公ユリウスは不和な息子を殺しかけ、今までの生き方そのものに絶望し、家族・財産・地位の一切を捨てて、原始キリスト教団の共産的生活に入ります。 しかし、そこでユリウスが味わったのは、すでに老人となった身には、もはや働くことで教団の活動に益することができない無力感でした。 「おれはもう何の役にもたたない。今さら何もすることはできない」 己の生涯そのものの意味に絶望するユリウスの苦悩は、ほとんどの現代日本人と共通のものでしょう。 ユリウスの救いは、自分よりはるかに無力な老人との出会いにありました。 すでに腰も曲がり、歩くのがやっとの老人の言葉で、ユリウスは生きるちからを取り戻します。 老人が何を語ったのかは、書かないでおきます。 引用するには、あまりにもキリスト教臭いから。 でも、知る必要がある人は、必要なとき、いちばんいい形で、それと同じ意味の言葉と出会うはず。 不幸なことに、魂というか生き方の問題は、過去において宗教用語で説明されることが多く、またその伝統が長いので仕方ないのですが、現代人にとってはアレルギー誘引物質でしかない。 ユンクやフロイトは、その問題を宗教用語と無関係に扱おうとしたのですが、どうしても宗教用語の便利さには勝てなかった。 トルストイのこの本のメッセージは、そうやって読み替えなければ、意味がない。 ただもう21世紀なんで、この種の話題がどうにも分らないタイプの人は、北京原人やネアンデルタール人のように消えるしかない。 このことも、厳しいながら事実なのです。 |
© 工藤龍大