お気楽読書日記: 2月

作成 工藤龍大

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2月

2月28日

へんなタイトルですね、本日の読書日記。
「CITY HUNTER」ファンなら、ごぞんじ。

もちろん警視総監のお嬢さんで、冴羽リョウ(変換ができない……くたびれているから、これで御免。許してチョ)に「一発」のツケをためている。
そう、あの「さぇこぉ」(神谷明氏の声で)さんです。

読みましたよ、「CITY HUNTER」のムック。
しかし、けっこう知らないことがあったなあ。

海坊主(別名・ファルコン)の名前が、伊集院隼人だったてのはすっかり忘れていたなあ。
美樹ちゃんとやっている喫茶店で、そんなことで笑かしてもらったシーンがあったっけ。

(それにしても、あの店。「キャッツアイ」のお姉ちゃんたちの店そっくりなような。あんまりマニアじゃないから、よくわかんないけど)。

しかし、マンガのファンじゃないことは良くわかりました。
海坊主が美樹ちゃんと結婚していたとは知らなかった。

やっぱり、わたしの冴羽リョウ(す、すびません。変換できない……)と槙村香は、アニメなんだなあ。

じつはへんなものを持ってまして、「CITY HUNTER ドラマチック・ナイト」というCDをコピったテープです。
声優さんがドラマをやって、TV初放映時の売れ筋アーチストが豪華に曲を持ち寄って、作ったアルバムです。

電車のなかで、こいつを聞いています。
神谷明、伊倉和恵はもちろん、玄田哲章、田中秀幸なんかが出ているんですよね。
もちろんアニメ版「CITY HUNTER」ファンなら、だれがどの役かはご存知のはず。

しかし、最近の健忘症のわたしはひとつ悩んでいる。
冴子さんの声優さんの名前がどうしても思い出せない。

「キャッツアイ」の長女役もやっていたのになあ。
だれか思い出したら、教えて!

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2月27日

最近、コンビニやスーパーでちょっと前の漫画を安く売ってるのがあります。
マンガも売れなくなったので、出版社が知恵をしぼった販売形態の雑誌と、単行本の中間くらいのあれです。

出版社としては、読み捨てにしてくれれば良いという思惑なのか、そんなつくりです。

ふらっとボトルのお茶を買いに入ったコンビニで、なつかしの「もっこりリョウちゃん」を見つけてしまいました。
そう「CITY Hunter」です。

わたしはどっちかというと、神谷明と伊倉和恵(漢字はこれで良かった?)のアニメのほうのファンで、ジャンプに連載していたときもマンガのほうは読んでいない。

しかし不思議なもので、マンガを広げていると、聞こえるんですよね。かれらの声が。
香のアニキの槙村の声まで聞こえてしまう。

「CITY Hunter」は「ルパン3世」なみにがんがん再放送していたからなあ。
ほとんど耳タコ状態なんだなあ。

アニメでもやった左手を緩衝材かわりにコルト・パイソンでぶち抜くところとか、懐かしい場面が出てましたよ。
ハリウッド製のアクション映画でもこういう自虐的なのはやらんでしょうなあ。

そういや、後藤久美子とジャッキー・チェンが共演した「CITY Hunter」はひどかった。
リョウと香の<パートナー>っていうきわどい恋愛関係が、中国人にはさっぱりわからなかったんでしょうか?

まあ、そんなことはどうでもいい。
ついおまけに書店へいって、「CITY Hunter」のムックを買ってしまいました。
わたしはファザコンの冴子さんなんかが好きだけど、人によっていろいろファンが分かれるところ。
でも、やっぱりみんなが一番すきなのは、美少年に間違われる槙村香に決まってる!

冴羽リョウが唯一もっこりしない女だったはずなのに、最初の頃は「りょーちゃん、もっこり!」してたんだ。
意外なことにも気づかされた日でした。

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2月24日

時計の針はすでに午前零時(26日の)を回りました。
みなさん、いかがお過ごしですか?
細川俊之です。

――なんてギャグをかまして、だれがわかるんだあ。(笑)

本日も無事メルマガを送信しました。
届かなかったら,きっとパブジン(発行元)が悪いんだ!
(責任のなすりつけはやめたいなあ、われながら)

波乱含みの幕開けと成りましたね。
今週も大変そうだなあ。

くたびれたので、あんまり長話もできませんが、最近読んだ本のご報告だけしときます。
先週読んだのは、魯迅の「野草」。
魯迅は火の人だと思いましたね。
詳しい話をいつか書きたいものです。

「狩りの語部」「続々狩りの語部」(松山義雄)
長野県伊那谷の猟師さんたちの聞き書きを、同地の高校教師だった松山氏がまとめたもの。
これ、名著ですよ。
たぶんちょっとした図書館になら必ず入っているから、ぜひ手にとってみてください。
自然と生き物が好きな人なら、絶対に夢中になります。

わたしは古本屋で二冊1400円なりで見つけたので迷わず買いました。
「続」がないのが残念。でも、そのうちなんとかなぁーるだろうっと。

「ホームページ裏技大全」(インターネット・マガジン編集部)。
同誌で連載していたHTMLのtips&Trick集をまとめたもの。
ほとんどCSSとIE5を組み合わせたものばかり。
いわゆるIE版のDynamic HTMLと思えば間違いない。

わたしのサイトは、ローエンドの環境に合わせているので、こういうタグは排除してきました。
ただ、ここに書かれたテクニックの表現力はすばらしい。
いまではホームページ作成ツールでも、CSSやDynamic HTMLをサポートしていますよね。
ネスケ(凄い言い方だな、これ……)・ユーザーの皆さん、ごめんね。
もしかしたら、IEに特化したページ作りをそのうち始めるかもしれない。

”The War of the Worlds by H. G. Wells [Herbert George]”
これなんだと思います?

H・G・ウェルズの「宇宙戦争」ですよ。
あのタコみたいな火星人が攻めてくるやつ。

例のグーテンベルクからダウンロードしてきました。
古いエスエフっていいなあ。
古すぎます?(苦笑)

でもねぇ、熱狂的な右派SFファンだったわたしにいわせれば、SF界においてウェルズの前にウェルズなく、ウェルズのあとにウェルズなし。

右派SFファンというのは、わたしの勝手な自称で、べつに旧日本帝国海軍に地球征服をさせる類のSF愛好者ではありません。
思索的なSFや哲学的なSFを愛好し、科学と幻想のきわどさに遊びつつ、大いにお節介を発揮して宇宙の週末と人類の行く末を本気で心配しているおまぬけなSFファンです。
日本SFファン界には、ほとんどいないようです。(大笑い)

追記:
そりゃあ、いないだろう。
「宇宙の週末」を心配するやつぁ。
確かに珍しすぎる。(爆笑&腹がいたい)

正しくは「宇宙の終末」です。(恥)

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2月20日

ついに一日ずれて日記更新だ!
時計はとっくに22日の午前0時を回ったけれど、日記の日付は20日です。(笑)
とうとう、ここまで来たか……(汗)

あいかわらずオフィスで、読書してます。
勤労しているのか、遊んでいるのかわかんない?
まあ技術職の特権でありましょう。(……ほんとに良いんでしょうか。いいわきゃないけど、脳みそ疲れたら仕方ないもんな)

さてと知里幸惠さんの美しい日本語とアイヌ語で心を洗いつつ、幸田露伴の「五重塔」を再読しています。
まえに読んだときは「つまんない小説だな」と思いました。
だから読書日記にも書いていない。

ところが「連環記」を読んでから露伴が急に面白くなってきました。
てはじめに岩波文庫から復刊されたのをどしどし読んでやろうと思います。

その第一弾が「五重塔」。
ストーリーはといえば、じつは大したことはない。

江戸時代に舞台にして、冴えない容貌と世渡りがへたな職人肌の大工が、一世一代の腕を振るって谷中の感応寺に五重塔を建てるというもの。
露伴がこれを書いた頃にはこの五重塔は立派に現存していたのですが、後に心中した男女が火をつけて燃やしてしまったのだそうです。
だから谷中を散歩しても、ここに五重塔があったという目印みたいなものが残っているだけだとか。

この冴えない大工さんは名前を「のっそり十兵衛」という。もちろん「のっそり」はあだ名です。
のっそりさんは夢枕に立った霊人のお告げで、谷中感応寺の五重塔建立を自分がやらねばと思いつめる。
世話になっている親方に挑むように、仕事を奪って五重塔を建てる。

親方はのっそりさんに腹を立てるが、腕と人柄を惜しんで一緒に仕事しようと最大限の譲歩をする。ところが、のっそりさんはそれを断ってしまう。

親方はまた腹を立てるけれど、さらに思い直して自分が集めた資料や技術・工夫をも提供しようとする。

ところが、のっそりさんはそれさえもにべもなく拒絶する。
ここまで来ると、仕事を譲ってやった親方でさえ腹がたつ。
もっと収まらないのは親方の若い弟子たち。その一人がのっそりさんに刃傷沙汰を起こしてしまう。

よくある話だけれど、やっと読み解けたような気がします。
なに別に難しい話じゃない。
露伴は冴えない大工の「のっそり十兵衛」におのれを仮託していたのです。

尾崎紅葉や翻訳家時代の森鴎外なんかと同世代で活躍していた露伴ですが、明治もそろそろ終わりになってくるとだんだん前世紀の遺物みたいになってくる。
作品はますます神韻縹渺として品格あくまでも高く、内容はさらにいっそう高く、ついにはよっぽどの知識人でないと理解できないところまで行ってしまった。
こうなると、明治時代の知識レベルではついてこれない。

気の毒に、露伴は知るひとぞしる大作家になって、どんどん貧乏になっていった。
知性においても実力においても、露伴の足元にもおよばない自然主義作家たちの世の中になったのだから仕方がない。

「五重塔」を書いたときは、露伴の全盛時代でまさか本人も後年自分がそんな運命になるとは夢にも思っていなかったでしょう。

自分の運命を予見したわけでもないけれど、結果的にはそうなっている。
作家という人種は不思議なもので、そういうことをやってのけるのですね。

「われは塔を建つるものなり」
という言葉があります。
たぶん日蓮が言ったように記憶しています。

「五重塔」が話題だから、日蓮の言葉を持ち出したわけじゃありません。
この言葉は「真理をめざして精進努力するぞ」という決意です。
「塔を建つる」とはもともとは仏に供養するために、仏塔を建てることです。
それが北インドで法華経が成立すると、仏塔を建てるなんてできっこない貧乏人たちが物質的にはできないかわりに、精神的に努力することで仏を供養しようと考えるようになった。
法華経が仏塔を建てるかわりに、この経を読むことのほうが大切だと力説しているのはそのせいです。

まあ露伴のことだ。わたしでも知っているくらいのことはとっくにご存知だったに違いない。
「我は塔を建つるものなり」
という所信表明をやってのけたのが「五重塔」です。

親切な親方の気持ちを踏みにじり、謎の霊人には夢枕で頭蓋を叩き割られ、親方の弟子には耳をそがれ……そうまでして建てた五重塔。
露伴が何を言いたかったかは、わかんないほうがどうかしてる。
わたしはアホでした。

これは文学のデーモン(精霊)に憑かれた露伴そのものじゃありませんか。

この物語のクライマックスは、家々の屋根さえ吹き飛ぶ台風に、五重塔が立ち向かう(?)ところ。
まるで糸のようにゆり動きながら、五重塔は風と戦い続ける。

わかりやすいアナロジーだよなあ……。
なんで、わかんなかったんだろ。

こういう覚悟で生涯作品を書きつづけた露伴です。
男として、読まずばなりますまい。

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2月19日

結局、日曜日はメルマガを書いたところで、タイムアウト。
タオルを投げてしまいました。

それにしても、慌てて書いたせいでメルマガにはヘンな文章が多かった。
こんなんで、日本語のプロといえるか!(涙)
ショックで寝込んで、18日は日記を書けなかった……。
なんてのは、冗談。

予告しておいて、なんなんですが、鑑真和上の話はウィークデイには書けないようです。
アタマが死んでいて、ただでさえまとまらない話がいよいよとりとめがなくなる。

いつか機会を見て書きます。
たぶん自分しか覚えていないようになって、やっと書けるかも?
そうなったら、もう笑うしかないですね。

ところで、つい先日掲示板にも書いたとおり「アイヌ神謡集」(知里幸惠)を本屋で見つけました。
もっているはずなのに、どうしても見つからなかったのです。

久しぶりに重版したみたいだから買っておきました。

この訳詩集のはじめが、シマフクロウの神様がうたう有名な歌です。
「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」
ではじまる美しい詩なんです。

よく読んでいくと、これが秀逸な構造をもったメルヘンだとわかります。
神話をメルヘンと言うのも変な話ですけど。

知里幸惠さんの抜群の詩心が、民族の魂を謳いあげた名編です。
もし本屋で見かけたら、ぜひ手元におくことをお薦めします。
こんな綺麗な日本語は他にはない。

ところで「アイヌ神謡集」を読みたかったのは、それだけじゃない。
ひとつ気になったことがあったので、確かめたかったのです。

本をひもといてみて「やっぱり、思ったとおりだった」とわかりました。
それは……
この本は左右のページが英語の対訳本みたいな対になっています。

左側にローマ字でアイヌ語が、右側に知里さんの訳詩が並んでいます。
言い忘れたけれど、この本はアイヌ民族の「神謡」を知里さんが翻訳したもので、創作文芸じゃない。ホメーロスやカレワラなんかを、日本語訳したようなものです。

これを完成したとき、知里さんは二十一歳だった。
天才と言うほかはない。

話がずれましたけれど、知里さんの天才ぶりを改めて思い知ったのです。
いいですか?

エラい日本史の先生さまには常識かもしれないけれど、わたしはこれを自分で発見して戦慄しました。
文字通り「鳥肌が立つ」という感じです。

それはですね、この対訳本の右側と左側は完全な逐語訳なんです!

うそだろーと言われても、ホントだから仕方がない。

なんで、そんなことがわかるかといえば、ワタシには強い味方がいる。
「アイヌ神謡集」の後書きに知里真志保という学者が難しげな解説を書いています。
この人は東大を出て北海道大学で教鞭をとったエラい学者さんです。
専門はアイヌ語学。

かの有名な金田一(探偵じゃない)京助先生の弟子です。
京助先生は金田一少年のお爺さんじゃなくて、春彦先生のお父さんで、石川啄木の親友です。ちょっとしつこかった……(笑)

ところで、真志保さんはエラい学者であるだけじゃなくて、幸惠さんの実弟でもあります。

(言い忘れたけれど、知里さん姉弟はアイヌ民族の人です。酋長の家柄だそうです)。

この人が北海道企画出版センターという地方出版社から「アイヌ語入門」「地名アイヌ語小辞典」という小さな本を出しました。
(念のために書いておきますが、知里さんはすでに亡くなっています)。

それを参考にしながら、読んでそう思ったわけで、間違っていたらごめんなさい。(笑)
なんだ、急に弱気になっちゃったな。

脱線ついでにアイヌ語学習志望者に耳よりの情報を。
とっくに知っていると思うけれど、北海道の二風谷に住んでいるアイヌ民族の人で、元参議院議員だった萱野茂さんが出した「アイヌ語辞典」。
三省堂から出ていて、とにかく文例が多い。

わたしは図書館でしばらく読んでいたが、あまりの文例の多さにたまげました。
バチュラーのアイヌ語/英語辞書を見たことがある程度の人間なら、頭痛がするはず。
自分がなんにも知らないことをしたたかに思い知らされます。

でも、ぎゃくにいえばそれだけ面白い。
いつか必ず読破してやるぞと、心に誓いつつ裸足で逃げ出しましたね、わたしは。

ああ、また話がずれてしまった。
久しぶりに書くと、これだから。(苦笑)

でもまあ、そんなことあ、ホントはどうでもいいことです。
自分で長々と書いてきて、こんなことを言うのも無責任だけど。

とにかく知里幸惠さんの「言霊」に陶然としつつ、昼休みに新宿御苑を散歩しながら、この本を音読してみたのです。
そーとーアブないかもしれないけれど。

大きなヒマラヤ杉や、まだ蕾もつけていない桜の巨木の側で、そんな真似をしていると、鳥や動物の肉体をまとったアイヌの神さんがひょっこり現れそうな気がします。
いや、園内でやたら見かけた馬鹿でっかいハシブトカラスや、オナガなんかはもしかして、神様だったのかも。(笑)

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2月17日

ついに疲労困憊して、更新を休んでしまいました。
まあ、体力の限界ってやつでしょうか。(笑)

本日(18日)やっと復活して更新します。
まずは復活のご挨拶。

心配してくださった皆さん、ありがとう。
これからもよろしくね。

読書日記はあとでアップします。
お題は「鑑真が日本の恩人である理由」の最終回。

それに、今日はメルマガを書く日です。

本日も<まにあっく>な熱いメルマガをお届けします。(笑)

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2月14日

おおっと、更新できた。(感激)

桜庭が新必殺技「イグアナダンス」をラッキー池田に教えてもらって、ヒクソン引退が噂される今日この頃。
みなさん、いかがお過ごしですか?

いきなりハイになっちゃいましたね。
すまんです。

あいかわらず、仕事は忙しいけれど、こっそり昼休みなんかに本を読んでいます。
もちろん仕事のあいまにも。

これが社会人のやることでしょうか?

「いいいーんですぅ」
――って、かびら・じぇいの真似でもするっきゃない。(笑)

仕事のあいまに読んでいるのは例の「三日で覚えるアラビア語」。
すこし癖になったようです。
今日は「そのジュウタンいくら?」という言葉を覚えたつもりが、これを書いているうちにすっかり忘れていることに気づきました。
どうやら、エジプトでジュウタンを買うのはまだ無理みたい。

いまもいえる言葉はただひとつ。
「貴女は月のように美しい」

まんがいちアラブ圏にいくようなことがあったら、これっきゃないですね。
たぶん、水かパンくらいは恵んでくれるかもしれない。
親切な女の人に出会ったらの話ですけど。

ところで以前にちょっと触れた佐藤春夫の「わんぱく時代」を読み終わりました。
途中であきちゃって、読み終わってなかったのです。

しかし、子どもたちが戦争ゴッコをする微笑ましいところはワタシには退屈でした。
それよりも、初恋の少女との別れや、中学校へ進学した主人公が思想犯にされかかったりするあたりが面白かった。
このあたりになると、ほとんど佐藤春夫の自伝めいた内容になって、与謝野鉄幹に会ったり、慶応大学教授だった永井荷風に会ったりと話が明治文学史になっている。

どうやら、わたしは明治文学のフリークにもなりつつあるのだなと、このあたりを楽しく読んでいるうちに気がつきました。(笑)

ところで、幸徳秋水の大逆事件で子供時代の親友を失うことになるのですが、そのあたりは権力の欺瞞と陰謀に対する怒りがふつふつと出ていて、こちらも熱くなってきました。
あれは明治政府が見せしめにでっちあげた政治事件で、当時のひとはうすうすそのことに気がついていました。

わたしがここ数年熱中している徳富蘆花も「謀反論」なんて本で無理やり犯人にされた人々を救おうと努力しました。
ただし、蘆花は犯人とされた人々がとっくに処刑されていたことは知らなかったのです。
裁判と処刑は国民の知らないところで行われていたからです。

しかし根が詩人の佐藤春夫の本領はそういうところではない。
昌ちゃんと呼ぶ親友の異母姉への初恋が、泣かせるんですよ。

三つ年上の昌ちゃんは薄幸な美少女で、十八歳のときに芸者に売られてしまいます。
そのことを隠して、主人公にさりげなく別れを告げる場面は「せつなさ」なんて手垢にまみれた言葉じゃ表現しきれません。

どうやら主人公も年上の美少女にとっては、初恋の相手だったらしく後に作家・詩人として世に出た主人公は、人づてに昌ちゃんの消息を知ります。芸者をへて、お寺の内儀(大黒さんと言うんです)におさまったのです。

それから二人は手紙をかわすことになったけれど、主人公はどうしても会う気にはなれなかったのです。
心に焼きついた面影を消すことを恐れたから。

こういうところが、男の繊細さであり、かわゆいところ。
年下の男の初恋の相手になるには、そういうのを理解しないとね。

まあ考えてみれば、こういう愛情ってのは、女という生き物にはあんまり分からないんじゃないかな。
年をとって、すこし世の中が見えるようになったときに初めてわかるんじゃないかと思いますね。

例がちょっとヘンだけど、「ウルトラセブン」のアンヌ隊員をやった女優さんは、そのころのおチビさんたちが30・40歳にもなっていまだに「アンヌ隊員」に思い入れをしていることを知って愕然としたそうです。

愕然としたっていうのもヘンな話だけど、自分にとってはただのキャリアの一ページでしかないものが、大勢の人たちの一生の宝物になっている。
自分の値打ちを人から教えてもらう。これはたまげるしかない。

女は「愛する生き物」だっていうけれど、どうもその「愛」はギブ・アンド・テイクのようです。
勝手に舞い上がった「思いつめ」型の愛とは、男の子のものかもしれない。
へたをすれば、ストーカーまがいになるけれど。

「男の子の純情って、いいな」とひねこびた中年のおっさんは思うわけであります。

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2月12日

あと15分で、本日(13日)も終わり。
やっぱり更新は無理でした。

気を取り直して、明日書きます。
どうぞ、よろしく。(笑)

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2月11日(その二)

昨日は出かける間際にメールマガジンの配送予約をしたのですが、どういうわけか配送されなかったようです。
本日(12日)即時配送しました。

むこうのサーバーが悪いのか、わたしがあわてて操作を間違えたのか。
たぶん後者だと思います。
なんにせよ、昨日がんばって書いたのに配送が遅れて残念でした。

さて、昨日は「国宝 鑑真和上展」にいってきました。
派手な宣伝もないから、そんなに混まないと思ったけれど甘かった。

入場するまで40分間以上待たされました。
それほどの大人数とも思えないけれど、中に入って理由がわかりました。

展示物自体はそんなに多くありません。
見栄えのする仏像もあんまりない。

唐招提寺というところは、財力にあかせて出来た寺ではないから、そういうものは少ないようです。
国宝とされるもののほとんどは、経文でした。

そうした展示物をじっくり読ませるためでしょうか、館内の間仕切りを狭くして、壁に沿って行列しながらそうしたものを見る仕掛けになっています。

これでは主催者側の予想を少しでも越えたら、身動きがとれなくなります。
入場制限しないと、部屋から部屋へ移動することさえ難しい。
とくに東京都博物館の地階のあたりが混雑してどうにもならない。

パネルに書いてある字をおじいちゃん、おばあちゃんが悠久の時をかけて、はたまた舐めるように一字一字読んでいるから絶望的でした。

でも――この展覧会はお薦めです。
なにがいいって、鑑真和上の像がすばらしい。
まるで生きている人間のようにさえ見えます。

ほとんどの人の目が釘づけです。
あまり宣伝もしていないこの展覧会に大勢の人がきたのは、電車のポスターに載っている鑑真和上の穏やかな横顔に惹かれたのかもしれない。

ところで、昨日書きかけた謎についてそろそろ書かないと。
あんまり余談が長すぎると、大事なことが書けなくなる。

さて、鑑真和上がなぜ日本の恩人なのか?
眼が潰れるほど苦労して、日本に来てくれたから――ということでは答えにはなりません。

なぜ、それほど苦労してまで日本へ来たのか――あるいは、そこまでして鑑真和上をなぜ日本人が招きたかったのか。
そこに答えがあるのです。

利口な高校生なら、すぐ答えはわかるでしょう。
「日本に『戒壇』を作るため」
答えはこれにつきます。

なあーんだ、そんなことか。
宗教になんぞ、興味はない。
――という人は、ぜんぜん分かっていない。

鑑真さんに感謝する気なんぞ起きるはずがない。
「良い人そうだけど、物好きだったんだあ」と肩のひとつもすくめて終わり。
そんなんじゃ、ぜんぜん駄目なんだよ。

「戒壇」というのは、僧侶に受戒をさずける儀式を行う場所です。
いまどきの坊さんをみていると信じられないかも知れけれど、「受戒」を受けていない人は唐代の中国では僧侶とはみなされないのです。
だから、鑑真和上が日本の東大寺に戒壇院という施設を作るまで、日本の僧はもぐりだったんです。
つまり、本人は自分を坊さんだと思っているけれど、中国の人々から見たら自称しているだけ。

遅れた野蛮国から中華の徳を慕って、はるばるやってきたわけだから「大目にみてやろうじゃないの」という、一種見下した向こうの好意のおかげで日本人を唐の文物を学ぶことができた。

翻ってみると、これは初等教育すら受けていないと見なされているわけだから、もし大学レベルの勉強がしたい、大学院レベルで研究したい、研究機関で研究したいと思ったら、中国でゼロからやりなおさなければならない。

人生三十年の時代に、二十代三十代でやっと留学生の資格をえたひとが中国でゼロからやり直す。
こんなバカな話はない。
でも、実際にそうだったんです。

日本人が自前で戒壇を持ちたいと思ったのは、大学・大学院・研究機関で勉強・研究するための入学・就労許可証を手に入れたかったからです。

しかし、それだけの戒壇を作るためには、唐の高僧を招聘しなければ話にならない。

この時代の高僧とは宗教家であるだけでなく、仏教国家・唐の高級官僚でもあった。
唐という国は国内に張り巡らした寺院のネットワークで、国土の繁栄を霊的だけでなく物理的にも保証しようとしていました。
魏晋南北朝時代の北朝の系譜を継ぐ唐は、国家仏教を採用していました。
これは一言で言えば、仏教で国家を守護するシステムです。
仏教は、国土防衛のための最高機密とさえいえるのです。

各地の官寺の住職にある高僧は、霊的な国家防衛システムの地方司令官であり、どうじにシステムそのものでもあります。
だから、喩えは悪いけれど、鑑真和上のような高僧を日本へ連れてくるということは、アメリカから防空レーダー・システムの一部をハードだけでなく、ソフトウェア、システム要員ごとごっそり盗み取ってくるのと同じだったのです。
ついでに、大陸間弾道弾を装備する原潜もおまけにつけて。

なぜ、鑑真和上が国を出る許しを簡単に貰えなかったかという理由は、これです。
高僧の祈りが天候を動かし、反乱さえ留める力があるとまともに信じられていた時代ですから、この喩えもそれほど的外れじゃない。

唐が鑑真和上の出国を邪魔したのは、国家機構からいえば当然のことでした。

ずいぶん長くなったので、続きはまた後でアップします。
どうぞ、お楽しみに。
(本日中にアップしておきます)。

追記:
「鑑真和上展」の次に、ある場所に行くことになっていると、昨日の日記に書きました。
タネをあかせば、家人が通っている邦楽教室の発表会でした!

場所は日暮里の駅前にある「和音」という邦楽関係の小ホールです。
会が終わる頃に着いて、打ち上げパーティーで酒を飲んで帰ってきました。

しかし、邦楽というのは習得するのに時間がかかるようです。
だいたい尺八をやっている人は十代からはじめて二十年もやっている。

みんなから勧められたけれど、道の遠さを考えると、いまからやるのもなんだなーと思います。
老後の楽しみにとっておいた方がいいような……

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2月11日

本日は、上野の東京都美術館でやっている「国宝 鑑真和上展」へ行こうと思います。
その足で、もうひとつ寄らなければいけないところがあるので、読書日記を書いている暇がありません。

だって、メルマガ書いてるんだもん!

(なんだ、この幼児言葉は!)

ふーっ、われながら不気味。

なんで、鑑真和上が日本の恩人なのか、ついでにわたしはどこによるのか?
そうした謎については「じっちゃんの名誉にかけて!」明日のこころだ。(笑)

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2月 8日

本日(9日)、頼んだ魯迅の本が届きました。
はやいーっ!
驚きましたね。

頼んだのは、東京都三鷹市にある「書虫」というネット書店。
支払いは郵便局に振込みです。

買ったのは、魯迅の第一短編集「吶喊」です。
「阿Q世伝・狂人日記」というタイトルで、岩波文庫でも出ています。

さっそくごく短い短編「孔乙己」という短編を読んでみました。
ずいぶん前に翻訳で読んだものだけど、ストーリーがしっかり焼きついていたので、辞書もひかずになんとか意味がわかった。
感動ものです。

ろくに読めない中国語の本を買ったのは、「吶喊」にはいっている「故郷」という短編を読みたかったからです。
なに意味なんてどうでもいい。
原文を眺めるだけでよかったのです。

魯迅という人の作品のなかで、わたしはこれと「藤野先生」というのが好きです。
どっちも有名だから、ストーリーを知らない人はいないでしょうね。

なぜ好きかというと、このニ作品のテーマがずばり「人間の尊厳」だからです。
こういうのに痺れない人には、もう何をいっても仕方がない。

魯迅の作品はするどく人間を峻別します。
鋭い切っ先を喉元まで突きつけてくる。
そういう迫力ある作家が好きですね、わたしは。

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2月 7日

本日(8日)、この日記も一万ヒット達成しました。
ばふばふばふっ。どんどんどん

人間がネズミと親戚だとDNA判定でわかった日に、この快挙。
めでたい。
うれしい。

と、ここまででやめておけば、立派な三行日記なんですが、もう少し続けます。

今日も忙しかったので、ろくに本を読めません。
そこで、ツン読みしていた古い英語版ニューズウィークなんかをこっそり拾い読みしました。
日本語ならカバー・ツー・カバーで10分もしないで読めるものを、英語でとろとろ読むのは、倒錯した快感がありますね。(苦笑)

ひとつ気になった記事をみつけました。
<ハート・オブ・ダークネス>というタイトルで、アマゾンの首狩り族が善意のハシカ・ワクチンのおかげで疫病が蔓延して大量死したというもの。

そのほかに、人類学者が傍若無人にかれらの社会に入り込み、タブーを次々と破壊して、社会にとんでもない危機と緊張をもたらしている。

コンラッドの小説「闇の奥」(原題:Heart of Darkness)は、アフリカのジャングルでおのれの独裁王国を作った白人の物語ですが、あまりにもシチュエーションが似すぎています。
記者がこんなタイトルをつけたのも無理はない。

ところで、コンラッドの小説は映画「地獄の黙示録」の原作として有名です。
わたしが読んだのも、映画がヒットしているついでに(?)岩波書店が翻訳を出したときでした。

記事には、緩慢なジェノサイドが進行していると表現しています。
元凶は善意の意志と、独善的な人類学者。
この人類学者は、学会から総スカンをくって、現地に入れないようにされているそうです。
それなりに密林の奥で生き長らえてきた社会を、根絶しようとしているのだから、当然の処置でしょう。
しかし、善意も智慧がないとろくなことにならないなあと思いますね。

ワクチンを受けた人間がキャリアとなって、病原菌に免疫のない仲間に病気を移してゆく。
近代医学の悪夢でしょう。

もっとも、そういうことを気にかける繊細の心根の人間は、たぶん医師という職業は絶対に選ばないのかもしれない。
このごろの若いお医者さんをみていると、そんな気がしないでもないのですが。

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2月 6日

ずいぶん尻切れトンボな日記が続いてますね。
そのうち、エッセイでまとめてリベンジ(死語?)してやるぞと思いつつ、ほとんど三行日記の世界に突入しつつあります。(泣)

とにかく電車がとまる前に帰って来れました。う、うれしい。(泣)

今日はよく泣く日だなあ。

ところで、ろくに本を読まないくせに、オンライン書店で本を買いました。
ハリーポッターの四巻目(最新刊)がペーパーバックになったので、スカイソフトで注文。

ついでに、中国語の書籍をあつかうネット書店を発見したので、魯迅の「吶喊」を注文しました。もちろん、中国語。

じつは、わたしは現代中国語なら、ちょこっと読めるのです。
岩波文庫で読んだ作品を原語で読む。

かいかんだなあ。

――などと、とりとめないところで本日もすべり込みセーフ更新だ!
あ、あと数分で十二時だ。
急げ、急げ。

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2月 5日

目下、オンサイトでソフトウェアのローカリゼーション・プロジェクトをやっているので、昼間日記が更新できないのです。
そこで、やむをえず夜中に更新してます。

あんまり長い内容も書けません。
これが一段落するまで、この状態が続くけれど、どうぞよろしく。

ところで、いま通っている会社は、四谷三丁目にあります。
なんと、お岩さんを祭る神社のすぐ近くです。

通り道の丸正スーパーの脇に、お岩さんを慰霊する観音さまがあります。
そこに書かれたお岩さんの話を読むと、なんか腹が立ちますね。

良い人だったのに、歌舞伎役者たちのおかげですっかり化け物にされてしまった。
鶴屋南北なんぞ、くたばれ!

ところが、みていると、年配の紳士然とした人々が朝夕その観音像にお参りしている。

なんか、いい風景だなあ。
すっかり良い気分になりました。

ところで、ここから20分も歩くと四谷です。
近くに上智大学があるせいか、キリスト教専門の書店がけっこうあります。

そこで、みかけたのが、21世紀に読み継ぎたい作家「山本七平」さんのガン闘病記でした。
「山本七平ガンとかく戦かえり」(山本れい子・良樹 山本書店)というのが、その本です。

奥さんと一人息子が書いた本です。いぜん三浦光世さんがこの本の推薦文を書いたと、三浦さんが著書のなかで書いておられました。
それで、たまたま存在だけは知っていた。

この本に呼ばれて、四谷まで行ったのかな?
なんて、いう気になってます。

ちょっと感動というか、心乱れて言葉が出てきませんね。
もし書けたら、あしたもう少し詳しく書きます。

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2月 4日

本日も遅い更新です。
いきなり読書日記です。

いま雑誌「しにか」二月号を読んでます。
今月の特集は「『論語』はいかに読まれてきたか」というもの。

しかし、この雑誌はちょっと食い足りない。
目次をみると、錚々たる大論文が並んでいるようにみえるけれど、割り当てられたページ数が全然少ないので、きちんと説明になっていない。

しかも執筆者が文筆のプロとは言いがたい(苦笑)大学の先生たちだから、中身がすかすかです。
ただ中には優れた学識を感じさせる方もいて、そういう人は短いページでも鋭く考え、ぎっしりと情報を書き込んでいる。

学者の肩書きじゃわかりませんね、ほんと。

しかし、総じていえば、雑誌「しにか」のいちばん効率良い使い方はバックナンバーの宣伝を読んで、執筆者の名前を調べて、例えば「本の検索」なんかでチェックしてみることかもしれない。
……なんて、わたしがやっていることですけど。

詳しい話はまた明日。

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2月 3日

なんか本日も朝いちばんでバスで20分はかかる図書館へいってしまいました。
20世紀から借りてる本を返さないと、良心が痛みますから。(苦笑)

そんでもって、本を更新してきました。
なにせ借りているのが、「法然全集第一巻」「同第二巻」「吾妻鏡全訳版第一巻」「同第二巻」「日本思想体系・中世政治社会思想上巻」。
ほかの人のリクエストはまずありません。(笑)

まあ、こんなものを借りるのは卒論を書いている史学科の大学生か、ひまな歴史作家(苦笑)ぐらいなもんでしょう。

まだまだ読み込んでいないので、もう少し借りるつもりです。
といっても、もう一ヶ月以上借りている。
なかなか読みこなせませんわ。

こんなことをやってるおかげで、かなりくたびております。
今日のメルマガはごく短いやつでお茶を濁すしかない。
体力の限界って感じかな、やっぱり。

しかし、このところの日記を読み返すと、予告と違うことをばんばんやってるし、だいいち完結していない!
仕事が一段落して、落ち着きをとりもどしてからきちんとやることにして、それまではとにかく日記だけは毎日更新しようと思います。
最近はどうも更新時間が遅くなってますね。
午後11時前くらいには更新するように努力します。

どうぞ、よろしく。

ところで、昨日書いていた「梵字手帖」(徳山暉純)。
「木耳社」という書道の専門出版社から出ています。

わたしはもともと西洋古代史をやっていて、ギリシアが専門だったのですが、このごろではフィールドが完全に鎌倉時代へシフトしています。
鎌倉をやると、平安を知らないといけない。
しかも、日本文化の根っこは平安朝なんですね。

とくに仏教教学なんて、後発の浄土真宗はいざしらず、めぼしいのはほとんど平安時代に出尽くしている。
だから土台となる知識として、平安時代の仏教文化だの漢文学などを消化していないと、ほんとは鎌倉仏教なんてわかるはずないんです。

大学の先生なら、専門にとじこもって論文を書いていれば問題はないのですが、なにせ歴史作家は専門知識を調べぬいたうえで世界を描き出すのが仕事。
なかなか難しいものがありますね。(笑)

脳みその疲労状況をいいことに、難しい本を読まずに「梵字手帖」の梵字を眺めている言い訳ですけど。

しかし、この本はすぐれもんですよ。

うちの宗派は「真言宗新義派(智山派)」なんです。
本山が京都の智積院です。

法事のときなんか、お坊さんがわけのわからない真言を唱えるのがいつも不思議でした。
あれ、なんていってるのかな?

わたしは物好きなんで、「般若心経」と「観音経」(法華経巻第八観世音菩薩普門品喝)がそらで唱えられます。
しかし真言まではわかりません。

ところが……です。
「梵字手帖」をながめていて、長年の疑問が氷解しました。

これは「光明真言」というマントラなんですね。
「おん あぼきゃ べいろしゃなぅ まかぼだら まに はんどま ぢんばら はらばりたや うん」

つい嬉しくなって、書いてしまいました。
「梵字手帖」によると、これを「三回、七回、二十一回受持諷誦するものは生死の重罪を滅し、宿業病障を除き、智慧弁才福楽長寿を得る」そうです。
えーっ、そんないいもんだったのか!
教えてくれれば、学生時代に唱えていたのにぃぃ。
――というのは、冗談。

梵字一字ごとがホトケさまをあらわすそうで、阿弥陀如来は「キリーク」という文字であらわします。
ご存知のひとも多いだろうけれど、十二支ごとに守護神となるホトケさまがいて、わたしは戌年なんで阿弥陀さま。

興味がある人がいれば、本屋で売ってる高島占断の暦がありますよね。
あれをみれば書いています。

それでもし守護神のホトケさんの梵字(主尊または種子といいます)が知りたいなんて、物好きな人がいれば空メールに書いて出してくれれば、こっそり返信しますよ。(笑)

ところで、この「梵字手帖」は携帯してお墓や史跡を調べるためのものだそうです。
歴史散歩が好きなわたしには、格好のアイテムと申せましょう。

さあ、この本をもって、お墓めぐりだあ。
(ゲゲゲの鬼太郎じゃないって……おっさん)

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2月 2日

本日は仕事が忙しくて出来なかった雑用で、一日潰れてしまいました。
くたびれたので、さすがに読書日記を書く余裕はなし。(苦笑)

明日に備えて「とにかく寝る!」だけです。

本日は、リンク集を更新しただけ。
「あーあ」
――であります。

あと妙な本を買いました。
その名も「梵字手帖」

グロンギ語にはまってから、どうも語学に走りがちですね。
詳しい話はまた明日。

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2月 1日

あーあ、もう11時過ぎだ。
いま出先から帰ってきました。

これじゃあ、更新なんて無理だあ。(苦)
というより、もうアタマが働かない。
なら、書くなって……(笑)

限りなく、空更新に近いけれど、どなたさまもご勘弁なすって!

いきなり「エセ江戸っこ」になったところで、体力切れでした。
明日また書きます。
それでは、お休みなさいまし。

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