お気楽読書日記: 1月

作成 工藤龍大

日記目次へ戻る | ホームへ戻る

1月

1月11日

なんだかどんどん株が安くなっています。
こうなってくると、暢気なわたしもちょっと不安になります。

けっきょく日本経済の先行き不安から、外国人投資家がどんどん売りに入っているせいだそうです。

ただ理由はそれだけじゃない。
いま外国人投資家たちはコンピュータのソフトウェアで株価を自動分析させています。
していない人はよっぽどの変わり者か、自他ともに認める株の天才だけでしょう。

ところが、このソフトウェアに問題があるそうです。
相場に先安感があらわれると、自動的に売り注文を出したり、売るようにユーザーにアドバイスする。
すると、どうなるか。

このソフトウェアの基本的な動きは、金融工学にもとづいているから、だれが作ろうとそんなに変わらない。
ヘッジファンドみたいに、ソフトウェアを自前で作る集団もいれば、アウトソーシングして作らせた投資家たちもいますが、動きはだいたいおんなじらしい。
いわゆるバカの一つ覚えと申しましょうか(笑)、全世界のコンピュータがいっせいに日本市場で株を売るように指示しているようです。

これじゃあ、下がらないほうがおかしい。
(笑うに笑えませんね、こんな冗談みたいな現実には)

膨大なデータを瞬時に解析して決断してくれるソフトウェアなのですが、投資家たちはどうやらそれに振り回されているようです。

ことに、アメリカでヤフーのQ4の決算が低迷したおかげで、ネット株がどんと下がった。その損をとりもどすためにも、投資家たちは日本市場で売り急いでいます。

しかも、もっと可笑しいのは、今回の株安の仕掛け人が大手投資集団なんかではないこと。
小口な商いをしている個人投資家たちが売り注文を出しつづけているので、株価が下がる一方という観測もあるのです。

そんなことになったのは、個人投資家の2割はネット取引をしていて手数料が安くなっている。一日に何度売り買いしても手数料が変わらない場合もあるそうです。
パソコンを活用している外国人個人投資家の、問題ありソフトウェアのおかげで日本国の含み資産がどんどん消えている!

これは、パソコンを見捨てて、iモードとモバイルに走った日本国民に、パソコンが祟っているのでしょうか!(笑)
同類のデスクトップが売れずに、ノートが少し伸びただけの日本市場に、世界のパソコンが恨みをこめて祟っている。
いま世界のパソコンと部品は半導体をのぞけば、ほとんど台湾製ですよね。
OEMを含めると、実体はほぼ100パーセント台湾製かもしれない。

今回の株安は「台湾製パソコンの祟り」だと、わたしは云いたい!(大笑い)

もうこうなると、助かる道はただひとつ。
目の前のデスクトップや、ノートブックに手を合わせて懺悔するしかありませんね。
ただし、モバイルやハンドヘルドPCは駄目!
PDAやiモード、au、Jフォンはパソコン様の目に入らないように隠してね。

皆さんの祈りが、日本経済を救う!(かもしれない)。

三月決算期にむけて、金融機関が持ち合い解消のために積極的に売りに出ているのも、株安の原因だという妄説(!)にひっかかってはいけません。
お祈りしましょう、パソコン大明神さまに!(笑)

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

1月10日(その二)

読書日記です。
少しはまじめなことも書かないと、あせるばかりのこの頃です。(汗)

ところで、カズオ・イシグロにどっぷりはまっている現在、新しい日本語の本には手が出ないんですね。
これにけりとつけないと、他のものを読む気にはなれません。

そういうわけで、本屋さんに行っても立ち読みばかり。
「週刊モーニング」なんか立ち読みしています。

そういやあ「カバチタレ」がドラマになるそうですね。
でも主人公がなぜ深津絵里と常盤貴子なのか。
いまは男の主人公じゃいかんのでしょうか?
よくわからんです。(笑)

ドラマは観ないでしょうね、きっと。
「ショムニ」は原作が好きだったけれど、江角だと違うんだよなあ、イメージが。
中身も原作とまったく別物だったし……。

だから観ないというのは、ガンコすぎるかな?
でも時代劇ファンとしては「暴れん坊将軍」800回記念を観てしまうかもしれない。
けっこうミーハーな読書家です。(笑)

ところで原作「カバチタレ」の主人公たちは、「行政書士」さんなんですね。
『街の法律屋』というフレーズがばんばん出てくる。

行政書士試験の本なんかを立ち読みしてみたら、その業務範囲はあんまり広くないようです。
しかし、ちゃんと業務とからめてドラマになっている。
この原作者の凄さでしょうねぇ。

お恥ずかしいことに、本日は立ち読み読書日記になってしまいました。(笑)
カズオ・イシグロを早いとこ、読み終えないと日記のタイトルを変えなければいけないかも。
もちろん、新しいタイトルは「立ち読み読書日記」(!)です。(汗)

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

1月10日

いよいよ日本の教育システムも変わるようですね。
来春には17歳からの大学への飛び級が認められることになるそうです。

いままでは物理・数学だけと専攻分野も限定していたけれど、今度からはそれも撤廃してどんな分野でもOK。
かなり画期的なことになりましたね。早熟な人間もいるから、いつまでも高校でくすぶっているのは不幸なことです。
高校生の起業家だって出て欲しい人材不足の世の中。
この決定は遅すぎたくらいです。

もし17歳からの大学進学者が多くなれば、中学卒業段階で大学へ進学することも許可することも計画しているとか。
ただ、それだけ勉強好きな子がバイトしかしない大学生と一緒にいるのは時間の無駄じゃないんでしょうか?
社会勉強だけ早くなってもねー。健康に悪いかな?(笑)
怠惰な人たちをみていれば、あんなことをしていちゃいけないなと自分で悟るから、心配は無用でしょうけれど。

知らなかったけれど、今春の大学入学者から所定の単位をとっていれば、3年生で卒業もできることになったようです。
この分だと、大学に4年間通うのは<ナマケ者>のあかしということになるんでしょうかね?(笑)

大学院も、社会人の入学に配慮したものに変わるらしい。

日本はある局面にくると、ドラスティックに状況を変えますね。
物理学でいう<相転移>という現象によく似ている。

国際競争力の低下という外圧と不況が、日本を変える時期が来たようです。
こうなると「不況もまた良し」ということになる。

大手マスコミみたいに、この国の悪口をいえば人が納得する時期は終わった。
そろそろ目を覚まして、できることをする季節が来ました!

小川直也じゃないけれど、「目を覚ましてくださぁーい!」というところかな。
もうすぐ春……ですね?(笑)

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

1月 9日(その二)

クウガにはまって、いらざる考察を重ねたばかりにまともな読書の世界に戻れない読書家です。
本屋でも眺めるのは、外国語の入門書ばかり。
タイ語か、インドネシア語の入門書を買おうかどうか。
よけいなことを悩んでしまった。(笑)

今年はNHK大河「北条時宗」もあることだし、モンゴル語もいいかな?
――なんて、時間もないくせに余計なことを夢想しています。

しかしなあ、モンゴル語なんて使い道ないしなあ。
タイや、インドネシアだって、いまのところ出かける気はない。
暑いところと、激辛のエスニック料理は苦手なんです。

まあ、大人しく英語でも読んでいるのが無難ですね。
もし新しい外国語をするなら、朝鮮語がいいと思います。

サッカーのワールド・カップということには全然興味はありませんが、なんとなく興味のある外国語ですね、あれは。
いまのところはハングル文字を少しずつ覚えているだけですから、あんまり大きなことは言えません。

そういえば「北条時宗」の漢字ロゴが少し変わっていると思ったんですが、第一回の放送をみて、わけがわかりました。
あれはたぶんモンゴルのパスパ文字あたりを意識してデザインしたんですね。

NHKの取材力には、いつも感心しちゃいますね、ほんと。
よく、そんなことを思いついたという意味で。

しかし、それもこれも視聴者からの視聴料金のおかげ。
潤沢な資金がない零細読書家が真似をしてはいけない。(笑)

やっぱりモンゴル語の学習はやめておきます。
前にアラビア語に挑戦したときはあっけなく挫折してしまいました。
こんどもおんなじことになりそうだ。

言語学者千野栄一氏によると、使用目的がはっきりしていない外国語を学ぶのは有害無益だそうです。
へたに途中で放り出すと、次にとりかかるとき、ゼロからやる場合よりも記憶への定着が悪くなるのです。

外国語をやるからには挫折しないように、「やらねばならぬ」というプレッシャーを高めないと駄目だとか。
だとすると、わたしのモンゴル語ははじめから挫折が運命づけられている。

いかん、いかん。(笑)

とにかく、いま読んでいるカズオ・イシグロの<When we were orphans>を読み終わってからですね、次の野望にとりかかるのは。

いま読んでいるところでは、主人公クリストファーの父だけでなく、母も謎の失踪をとげてしまう。どうやら誘拐されたようです。
ふたりの失踪事件の背後には、20世紀初めの上海の麻薬取引が絡んでいるようです。
主人公は9歳まで上海で育ち、それから英国へ行ったという設定です。

そして、いまの職業が探偵。なんだか大時代なこの物語はいったいどうなるのか?
映画「日々の名残」の雰囲気があって、英国紳士の世界に浸れて楽しいのですが、ストーリーそのものはまだ本格的に動き出していない。もう半分まで行っているのですが。

たぶん、イシグロ・ワールドにまだ私が不案内ということもあるのかもしれません。
もう少し読み進めたら、何かが見えてくるでしょう。

落ちがないところで、また明日。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

1月 9日

ちょっと驚きました!
というのは、読売新聞の2面の小さな囲み記事です。

同紙のアンケートによると、驚くような結果がわかりました。
回答者の77パーセントの人が、「今の生活がある程度不便になったり、快適でなくなっても、自然や地球環境の保護に力を入れるべきだ」と考えていることがわかったそうです。

なんだか嬉しい数字ですよね。
朝日新聞の読者じゃないんだから(笑)、この数字はかなりフツーの人の心情をあらわしているとみていいんじゃないでしょうか。

そのほかに、21世紀に望む日本の姿というアンケート結果もあります。「自然や地球環境を大切にする国」を望む人が61パーセント。「福祉の充実に力を入れる国」が59パーセント。
まだ「経済的な豊かさを追求する国」というのが37パーセントいるのは驚きだけれど、不況のせいもあるかな、やっぱり。

こうやってみてゆくと、自然と地球環境を心配する人が多いんだなとわかって心強い。
日本人も捨てたもんじゃないですね。

地球が滅びても豊かな生活を追及したいアホではないんだな、日本人は。
それだけ民度があがったのかもしれない。(笑)

このアンケートには続きがあって、教育問題でも能力重視の飛び級や上級校への早期進学を認める人が45パーセントいたことがわかりました。
ただし能力にかかわらず一律な教育を望む人は43パーセントでした。

現段階では、悪平等な教育に賛成の人と、できる子に教育のチャンスを与える人がほぼ拮抗しているでしょうが、たぶん今後の社会の流れは後者でしょうね。
戦後民主主義の平等観念からいうと、火あぶりにしてもあきたらない能力教育が見直されてきたのは、日本がグローバル経済の荒波にさらされた結果でしょう。

「能力民主主義}(?)はもう通用しないと、痛い目をあった人は知っているのでしょう。

なんだかいろいろ大変だけど、変化に怯えるのではなく、受け入れようという気概だけは日本人は失っていない。
そんな風に思えて、嬉しいニュースでした。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

1月 8日(その二)

クウガにはまって、二日間が夢のように流れました。
(メルヘン調)

おかげで、さっぱり読書ができていない。
読んでいるのは、カズオ・イシグロばっかりですは。

主人公クリストファーが9歳のころを回想している場面です。
主人公のお父さんがなぞの失踪をとげる。

なかなか読ませます。
とはいえ、時間がとれないのでぼちぼち読むしかないですね、こりゃあ。(苦笑)

だらしなくなった鉄人読書家にくらべて、うちの家人はハリー・ポッターの第一巻目を辞書を引き引き読んでいます。
英語はぜんぜん得意ではないのですが、一念発起したのだそうです。
それでも、もう第二章を読み終わったらしい。

四十歳をすぎて、英語の本をはじめて通読しようというのは考えてみれば、大変なプロジェクトですね。

をたくな情熱に自分を見失った読書家は、ひたすら感心するばかりです。
もうちっとなんとかしなけりゃ、と思いますね。

では、また明日。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

1月 8日

昨日の問題は(グロンギ語の著作権)は、いちおう向こうのサイトにメールを出しておきました。
たぶんダメといわれれば、この日記本文を削除すれば済むこと。
そう覚悟して、本日は仮面ライダークウガを言語学することにします。(笑)

で、わずかに分かっている(爆笑)手がかりを調べてみると、グロンギの特徴がわかりました。
城南大学に学位論文でも申請しようかな。(大笑い)

グロンギ語は、濁音を好む傾向がある。
たとえば、<ゾン・デギゾ・バ・クウガ>(その程度か、クウガ)という文がある。
たったこれだけの文なのに、クウガを除いて、すべての単語が濁音というのは珍しすぎるかもしれない。
清音を好む日本語とは対照的ですね。

そして、もうひとつすぐ気がつくのは、グロンギ語が日本語と同じで、母音で終わること。
どうやら、英仏語や韓国語にある音融合(リエゾン)という性格は見受けられない。

ということは、単音節言語なんですね、グロンギ語は。

もうひとつ特徴的なのは、グロンギ語の文法はアルタイ語系らしい。
なぜなら、前置詞や後置詞の存在がない。しかも、どうやら助詞まである。
たぶん「ン」とか「ボ」。
わたしの解読では、「ザ」=助詞「だ」、「ド」=感嘆詞「と」、「ダバ」=助詞「たな」、「ザバ」=助詞「だな」となっているのは間違いない。

例文1:
<ボセゼ・ドゾレザ>(これでとどめだ)
<ギボヂヂ・ソギ・ギダバ>(生命ひろいしたな)
<ゲゲルン・ガギザ・ビザバ>(ゲームの再開だな)
<バンザ・ド>(なんだと)
しかし、グロンギ語にはもっと恐ろしい特徴があります。
たぶん気がついた人も多いでしょうが!
それは……。

翻訳された日本語に対応する音節の数が同じなんです!(汗)
ちょっと例文をみてください。
例文2:
<ジギザゴ・ブセボレ・メ!>:音節数9
「時代遅れのメめ!」:音節数9

<ゴオマ・ギザギザ>:音節数7
「ゴオマ次第だ」:音節数7

「ジャヅグロ・ゾセダ・ググビザ・ジラス」:音節数14
「奴が戻れば、すぐに始まる」:音節数14
(この場合、ジャを一音節として数えます)
それに、この一文!
<デゾソ・グバ。ゴセグ・ジャス>「手を出すな。俺がやる」!
音節数が同じだあ!

あまりにもグロンギ語は日本語と似すぎている!
これだけ似ている言語も珍しい。
日本語に似た言語としては、文法構造では朝鮮語で、単語が似ている言語はあまりないのです。
(アイヌ語がありますが、あれは和人との交流で借用語も多いから……)
グロンギ語は朝鮮語よりも、あらゆる意味でもっと日本語に近い。

ひょっとして、大野晋先生のタミール語起源説よりも、日本語・グロンギ語起源説のほうがにわかに重みを持ってきましたね。(爆笑)

もしかして、日本語とグロンギ語には近しい言語の特徴である音韻変化の法則があるのかもしれません。

いくつか例を探してみました。
グロンギ語<ゾン>=「その」、同<ゲゲルン>=「ゲームの」という文例から見ると、「の」という音は「ン」になるらしい。
さきほどの文例1をみていると、「い」が「ギ」、「ど」が「ザ」だとみえてくる。
この調子でいくと、どんどん解明できますね、きっと。

ここまで二種類の言語が似ている場合(笑)、言語学上考えられる結論はひとつしかない。

日本語は、グロンギ語であった!

たぶん、超古代の日本人はグロンギ語を話していたのでしょう。
そして、濁音を好む音韻体系を逆転させて、清音を好む音韻変化が起きたために、グロンギ語と現代日本語は分離したのであった!

となると、言語学的センスにあふれている城南大学考古学研究室の沢渡桜子さんが簡単にグロンギ語を解読できても不思議はない。(笑)

ただひとつ心配なことがありますね。
少子化でたぶん経営が苦しいであろう城南大学が、遺跡捏造問題で立場をなくした考古学の研究所の存続をゆるしておくだろうか?
もしかすると、クウガが終わった時点で、大規模な学部再編があるかもしれない。

すると、グロンギ語=日本語仮説が浮上するなか、国文科に桜子さんの部署は統合されてしまうのではないだろうか?

わすれっぽい日本人のこと、グロンギ人が滅びてしまえばグロンギ語問題は学会の興味をひかず、学者としてのキャリア・アップをめざす桜子さんは源氏物語なんかを研究せざるをえないかも。(泣)
――などという不安が、頭をよぎりますね。

日本語・グロンギ語起源説というのをぶちあげたところで、本日のお題を終わらせていただきます。

ところで、最後にちょっとしたいたずらを。(笑)
「なんだ、これ」というのを、グロンギ語でなんというか?
わたしの解読が正しければ、きっと<バンザ・ボセ>というはずです!(大爆笑)

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

1月 7日(その二)

最初に訂正を入れておきます。
この日記を読んでくれた方からメールをいただきました。
NHKの四大文明スペシャルで、マヤ文字の三分の二がすでに解読済みとのことでした。

そーか、そこまで進んでいたか!
あれっ、たしか去年、これ見たはずだぞ。
しまった、忘れていた。
わたしって、もしかして……○カ?(笑)

気を取り直して、話を続けます。
本日は読書日記ならぬ「仮面ライダー考古学DAY」であります。(笑)

本郷猛ライダーが生物学教室の天才として名を売っていた「城南大学」ではありますが、いまは沢渡桜子さんの考古学研究所のほうが有名なのでしょうか?
しかし、桜子さんは「ポレポレ」で徹夜明けにもかかわらずバイトしているみたいだし。
政府の助成金はあいかわらず少ないのかもしれない。(泣)

いや、そーいう話じゃないんだ、今回は。

問題は桜子さんが読み方の分からないリント文字から、「クウガ」と「グロンギ」という読み方を知ったのか?
思うに、桜子さんは長野県にある遺跡で見つかった変身ベルト(アークル)を調査しているときに、出現した怪人と接触したはず。
(記憶がおぼろなので、間違ってたらごめんなさい)

そのとき、グロンギやリントという言葉を聞いたのかもしれない。
だから、他の固有名詞はわからないのかも。

グロンギ人がやっている殺人ゲームが「ゲゲル」というグロンギ語であることは、桜子さんを含めて人間側にはわかっていないようですね。

もうひとつ考えられる仮説があります。
変身ベルト・アークルに仕組まれた霊石アマダムは、五代雄介の脳にイメージを与えて変身をうながした。
もしかすると、桜子さんにも「リント」や「クウガ」という単語をイメージさせたのではないか。

もう、こうなってくると、グロンギと桜子さんが「クウガ」という言葉を共通で使っているのはたまたま偶然というすごい話になってくる。(笑)

でも、「バラのタトゥの女」みたいにいつも人間体のグロンギ人は日本語も話すから、それで知ったのかもしれない。
となると、けっきょくグロンギ人に教えてもらったことになるのか、やっぱり。

このへんの事情は、間歇的にしか見てないので、自信がありませんね。
でも、グロンギ怪人の名前や、クウガの超変身形態(マイティ・フォームやドラゴン・フォーム、ベガサス・フォームなど)の名前なんて、五代雄介本人も知らない!
知っているのは、ホームページを観ている人と、オモチャを買った人だけ?(笑)

そう考えると、クウガ考証学はメタ・フィクションに突入しちゃうから、やめましょう。
こういう危険な考えは。

マヤ文字の解読がインディオの言語からできたように、リント文字の解読はグロンギ語からの復元と考えたほうがよさそうですね。
桜子さんがつきとめたように「クウガ」をあらわす文字は、もともとグロンギ文字だったらしい。
すると、リント文字はグロンギ文字(?)から借用されたのかもしれない。

言語学的には系統の違う中国語(シノ・チベット語族)から日本語(アルタイ語族)が文字を借用して、ついにはそれを変形させて平仮名・片仮名を作ったように。

すると、桜子さんの解読作業は「アジトに集まる習性がある」グロンギ人がアジトに残した遺留品を手がかりにしているのかもしれない。
しかし……それにしても解読が早すぎるのでないでしょうか?

そこで「なぜそんな解読が早いのか?」という疑問がわきおこる。
そのためには、グロンギ語そのものをみてゆかなければならない。

で、グロンギ語なんですが、番組でメモっていればテレ朝から文句も出ないのでしょうが、そんなマメなことをしているわけがない。
手がかりはテレ朝のホームページにしかない。

しかし、ここのテキストは勝手に転載するなと警告が入っている。
困ったなあ。

と、悩んだところで、また明日。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

1月 7日

われながら、呆れているのですが、どうやらすっかり「クウガ」にはまっていますね。
昨日もテレ朝の「仮面ライダー クウガ」ホームページ東映のサイトを読みふけっておりました。
(アドレスは01年1月7日現在)

すると、むずむずと虫がうごめきだしましたね。
をたくの虫というんでしょうか。(笑)

あともう少しで終わる「クウガ」のために、ちょっと「考現学」したくなりました。
お時間があれば、おつきあいください。

ただ「クウガ」を全部見ているわけじゃないし、それほど詳しいわけでもない。
思い違いが多々あるかもしれないけれど、その点はご勘弁を。

今回の仮面ライダーは、一号ライダーの時代とは違って悪の科学者集団と戦うわけではない。
仮面ライダー・アマゾンの、いやもっといえば新1号ライダーの時代から古代の呪術者集団や異人類と戦うことが主流のようです。
前回の仮面ライダー・ブラックの敵は、5万年の眠りから覚めた暗黒結社(魔術集団)ゴルゴム。ブラックRXの敵は、異次元の地球を支配するクライシス帝国。

これって東映ヒーローものの「戦隊シリーズ」と「宇宙刑事シリーズ」の設定ですね。
ブラックRXは、宇宙刑事とどこが違うのかよくわからない設定でありました。(笑)

必殺の剣<リボルケイン>をみて、「ギャバン・ブレード」とか「シャリバン・クラッシュ」なんて掛け声をかけたくなった人は多いはず。
(……って、もしかしてワタシだけ)

ブラックRXにおいては、東映ヒーローものがすべて融合している感じですね。

それをいいだすと「クウガ」も「ブラックと「RX」を意識しているようなところが見え隠れする。
「薔薇のタトゥーの女=B群1号」(1972年生まれで、お菓子作りが趣味の七森美江さん)と二人の人間体(B群9号と未確認生命体第3号)が幹部としてでずっぱり。
これは、ブラックの三大神官と同じですね。

そして、さまざまな形態に超変身するのは「RX」と同じ。
ただし超変身できる数は「クウガ」のほうが上だけど。
(それが全部いえる四十男って、いったいなに?)

でも、(47話の時点で)最強の変身形態が、「黒の金のクウガ」(謎)というのは泣かせる。
これって「ブラック」ですね。(笑)
48話では「なってはならない最強の四本角の戦士」に変身するらしいですが……。

ところで、今回考えるのはそういう現実(笑)の話じゃない。
アタマの遊びであります。

この番組では、古代リント族(クウガに変身できるベルトを開発した古代人)とグロンギ族(怪人に変身できる悪の古代人)の二種類の人類がいたことになっています。

リントとは、いまの人類と同じらしい。ただ平和を愛するという一点については違うようですが。(苦笑)

ところで、ここに城南大学考古学研究所なるものが登場する。
ここの院生らしい沢渡桜子さん(23歳)が長野県(日本アルプスの)九郎ヶ岳遺跡でリントの碑文を発見する。
どうゆうわけか、桜子さん、この碑文をかるーっく解読してしまった。
(そうじゃなきゃ、話がはじまらんだろうというチャチャは入れないように。(笑)
ここはあくまでもシリアスに『考古学』したいのですよ。)

そう、今回のテーマは「仮面ライダークウガ」の考古学なのです。!

しかし、そこにかかれている文字はたった15個のようです。
古代文字は東映の「クウガ」ホームページに載っています。

東映「仮面ライダークウガ」ホームページのアドレスは:
http://www.toei.co.jp/tv/user/program/read_story.asp?Command=New&SID=127
(01年1月7日現在)
これだけの文字数で解読するのは、本来なら不可能なんですが……。(笑)
もっと多い文字数が発見されているインダス文字や、マヤ文字でさえまだ未解読だというのに。

それはひとまず置くことにしてします。さて、このリント文字は表意文字らしい。
表意文字のいい例が漢字ですね。

桜子さんの解読表をみる限り、一文字がひとつの概念を著している。そして、どうやら前置詞や助詞のような機能語はないみたいですね。
漢文みたいな文法らしい。

ところで、本来表意文字には音の要素は情報として含まれていない。漢字の音がわかるのは、言語使用者(中国人)が存在していたからですね。
だから「家」はたぶん中国語では「ケ」とか「カ」と読むのでしょう。
(調べるのが面倒なので、ごめんなさいまし!)
ただしこれを「イエ」とか「ウチ」と中国人は絶対読まない。
これは表意文字の性質を逆手にとって、日本人が勝手に音をくっつけた例です。

すると、不思議なのは「リント」「グロンギ」という固有名詞がなぜわかったかということ。

エジプトの神聖文字とかメソポタミアの楔形文字はアルファベットと同じ表音文字。だから、いまでは発音も確定できる。
しかし、純粋な表音文字らしいリント文字だと、意味はわかっても音はわからないのではないか?

リント人はすでにいないから、リント語と同系統の言語を参考にするのは無理ですね。
古代マヤ文字は、今もいきるクチャア・インディアンの言葉のおかげで読み方がすこしはわかるけれど。

だとしたら、桜子さんはどうやって、「リント」や「グロンギ」という固有名詞を知ったのか?

いいかげん長くなってきたので、この続きは夜にでもアップします。(笑)

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

1月 6日(その二)

最初に「ごめんなさい!」のお知らせであります。
本日(7日)にメルマガ発行を予定していましたが、時ならぬ関東の初雪で予定遂行が困難となりました。(笑)

ウォーキング中に遭難しまして……。
――なんて、ことはない。

他のことをやっているうちに、もう夜になってしまって原稿を用意してないのです。
そういうわけで、メルマガの次回発行予定は1月10日以降とさせていただきます。

濃いーっ内容というわけでもないのですが、やっぱり原稿書きには時間がかかります。
それに、今日はクウガも見たし、「北条時宗」も見たいし……。

「今年はTVとさよならする」とほざいていた男の云う科白でしょうか、これが!(怒)

でもなあ、オダギリ・ジョー(この名前に心当たりのない方は、そのへんのお子チャマに聞いてください。絶対知っていると思います!)と渡辺謙はマイ・アイドルだしなあ。

というわけで、読書日記も明日アップすることにします。
ああ、前途多難だ。(笑)

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

1月 6日

昨日は、メールマガジンを無事発行できました。
やれやれ一安心です

でも、あとで大失敗に気がついた!
目次ページにタイトルがついていなかった!

昨日のタイトルは「デジタルを読める人はだれ? 」でした。
いまさら書いても遅いけれど。

やはり、メルマガを出すので気がせいていたせいか……。
うーん、個人営業のつらいところであります。

そんな日記にもかかわらず、空メールをくれた方(匿名にしておきます)ありがとう!

メルマガの感想をくれた方(こちらも匿名にしますね!)ありがとう。

おかげさまで、なんとか続けていけそうです。(感謝!)
サイトもメルマガも続けるには、あんまり入れ込まないことらしいですね。

ながーく続けて、できるだけたくさんの人に読んでもらいたいと思っています。


先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

1月 5日

ふと疑問に思うことがあるのですが、デジタルで文書を読むことに違和感がない人というのはどういう人なんでしょうね。
広い意味でいえば、コンピュータ業界にいるわたしにはちょっとわからないところがあります。

たしかに電子メールはもう企業社会では一般化しているようです。
でも、わたしの高校・大学の同級生ではまだ使っていない人もいる。
けっこう良い会社に勤めている人でもそうです。

わたしなどは電子メールがない生活はもう考えられないですね。冗談でなく、ほとんどのコミュニケーションはこれ。
あとは<飲みニケーション>くらいだったりして……。(笑)

それにホームページをみる人は多くても、それで情報をとれるほど使いこなしている人は中高年には多くないのかもしれない。

いきなりなぜそんなことを考えたかというと、いろいろな英文のメルマガや日本語のメール新聞をみていると、どこもこれからはモバイルコマースだ、携帯でのデジタルコンテンツ配信だという風にうたっている。

音楽ファイルは良いでしょう。MP3プレイヤーは腕時計サイズにできるのだから。
イヤフォン(または新種のヘッドフォン)をつけるなら音質は問題ない。

でも、動画だの、文章だのを iモード の狭い画面で見ていたら眼精疲労から頭が痛くなるかもしれない。

だいたい、文章主体のサイトはあまり人が集まりませんね。
じぶんのことを云っているわけじゃありません。(笑)

類友の法則なんでしょうか。
わたしが気に入ったサイトも、それほど人が集まっているようにはみえない。
ずいぶんと中身のあるサイトだと思うんですが……。

渡辺浩弐というゲーム評論家がいます。
この人がいうには、今年から携帯で使えるエンターティメント用のデジタル・コンテンツをがんがん作らなくてはいかんそうです。

画質が悪いことをカバーできそうなわくわくする内容の作品があれば、大ヒットが生まれるはずだとか。

もっといえば、大ヒット商品を生み出す消費者層は、携帯でもデジタル・コンテンツ配信というだけでわくわくできる人々だけ。

これは新聞にのっていたコメントだけど、うーんと考え込んでしまいました。
画面が小さいから、一時に読める分量は限られているだろう。
それで、わくわくできる内容といったら……。

ゲームのことはこの場合脇においておきます。ゲームボーイが出来るなら、携帯の画面でもおつりがくる。
こっちはなんの問題もなし――でしょう。(笑)

で、小説となると……。
思いつくのは、恋愛小説、ポルノ小説(!)かなあ。

推理小説なら、ショート・ショート形式の落ちのあるやつじゃないと難しいような気がする。

新世紀になったからSFも復活して、かつての星新一氏のような作品が受けるかも。

あ”ー、どれもわたしには書けないじゃないか!(泣)

嘆いていても始まらないですね、これは。(笑)

でも、悪いニュースばかりじゃない。
家電各社がインターネット接続専用端末をいま競って開発・販売しているそうです。
これまでデジタル・コンテンツを読んだり触ったことがない世代の人々が、いっきに参入してくるかもしれない。
そうなると、将来予想される携帯用娯楽文学(!)よりも、もうすこし深みのあるものを読みたい人が増えるかもしれない。
あくまでも希望的観測でしょうか。(笑)

それともうひとつ期待しているのが、本のかわりになる液晶ディスプレー付きの読書用端末の登場ですね。
東芝とマイクロソフトが共同開発している書籍ビュワー<eBook>がそろそろ量産されるはず。

たぶん最初は大手出版社しか参入できないでしょう。
でも、業界標準になれば、わたしみたいな半アマも参入できるんじゃないでしょうか?

その日をめざして、とにかく持ちこたえようと思います。(笑)

追記:
本日、メールマガジンを発行する予定です。
よければ、購読登録してやってください。

登録ページ:
ここをクリックしてください。

下記の専用登録ページからも登録できます。
ただし、内容は同じです。
URL:
http://www.pubzine.com/detail.asp?id=10834

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

1月 4日(その三)

読書日記です。
硬い本を読みました。

「国史上の社会問題」(三浦周行)という本です。
「周行」とかいて「ひろゆき」と読みます。
1871年生まれで、1931年に亡くなっています。

これまでも三浦氏の「大阪と堺」「歴史と人物」という本を読んできましたが、三浦氏は日本史の巨人のひとりですね。

この本は、日本の古代から江戸時代にいたるまでの当時の社会問題を鳥瞰した内容となっています。
こう書くと「なんと物好きな」――としか思えませんね。
書き方が悪かった。(笑)

社会の変動を、社会問題という切り口で分析した名著です。
こうやってみると、文献があまりない庶民の暮らしがみえてくる。

江戸時代より前の史料なんて、ほとんど貴族と坊さんが書いたものか、わずかな証文くらいしかない。
大まけにまけて、戦国時代からといいかえてもいいけれど、実情はそんなもんです。

いったい、わたしたち大多数のご先祖さまが何をしていたのかはわかりません。

それを考える方法論としては、三浦氏はいいところに眼をつけた。

日本史では古典の部類だから、内容はほぼ常識と化している。

じつは、そのこと自体大変なことですがね。それがわからんのが古典の哀しさ。
シェークスピアの芝居をみて、「陳腐なコトワザばっかりだ!」と怒ったイギリス人のお婆さんがいたというジョークを読んだことがあります。
そのコトワザの出典が、シェークスピアだということに気づかないというのが、ポイントでした!
古典なんて、そんなものです。

いやいや、そういう問題ではない。(笑)

この本を読んでいくと、社会の変転にどう日本の人々が立ち向かったということが見えてきます。
「そんなことが見えて何が楽しいの!」
という疑問はあるでしょう。(苦笑)

その効用があるとすれば、プライドですな。
自尊心なのです。

どんな苦境にあっても、その苦境そのものを発展のバネにしてきた先祖がいる!
そういうことを誇れるのは、とても幸福なことです。

植民地主義というのは、ある国民がもっているそうした自尊心を叩き潰すところが狙いです。
それをやられた国民は、自尊心をたてなおすのが大変なんです。

「そんな先祖なんか関係ネェや」
「うちの先祖なんかくだらねぇ」
という意見もあるでしょうが、地域の住人というのは直接の血縁がなくても、地縁というものがある。
地縁・「知縁」なんて<つながり>が複雑にからみあって、人間という社会的存在は成立している。だから、郷土の英雄というのも、たとえ最近家を買って引っ越してきたばかりのヒトであっても大事にしたほうが幸せです。(笑)

まあ、そんなことを考えさせられた本でした。
末尾に「戦国時代の国民会議」という論文がついています。
これを読むと戦国時代の山城国の地侍・農民たちが、戦争ばかりしている大名たちに愛想をつかして、自分たちだけで自立して、平和な自治社会を建設しようとした試みに感動しました。

日本人もなかなかやるじゃないかという気分になる。
これまで、本を読むと「日本人は生きている資格がない」という論調の自虐的なものが多かった。
だから、司馬遼太郎さんの本には、良心的知識人のすさまじい自虐精神の解毒剤という意味があったのです。
おかげで、司馬さんは良心的知識人を自認する人々からはずいぶん長いこと低く見られていた。
いまでは、そんなことを云う人のほうが少ないでしょうけれど。

話はずれたけれど、(毎度のことですね……)
元気な日本人として暮らすには、三浦周行さんの本をお薦めします。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

1月 4日(その二)

雑談モードです!
日付をまた元のように、一日遅れに戻します。
そして、一日二回更新を目指します。またよろしく。(^^)

ところで、目下昨年の残務整理(!)として、2000年の読書リストの12月分・11月分を入力しています。
やっと12月分を終了しました。
こまめにやっていれば、良かったなあと思うことしきりです。(泣)

それにしても、「一日一冊主義」というのも怪しいなあ。
でも内容が濃い本ばかりだから、一日じゃあ語りきれんのですよ。

これでもだいぶ押さえて書いてある。
いいたいことを全部書いたら、長編小説になってしまう。(溜息)

読むスピードに関しては自信があるので、看板は嘘じゃないつもりです。(笑)
ただ英語はね、そうもいかない。
一日一冊やったら、他のことは何もできなくなる。

というのが、ハリーポッター3巻目とカズオ・イシグロの本がちまちま読んでいる言い訳です。

さて読売新聞紙上で日米英独・バチカンの大学の学長さんたちの座談会をやっています。
日本からは江崎玲於奈氏が出席している。江崎氏はいま芝浦工業大学の学長さんなんですね。

その第一回目で、バチカンにあるグレゴリアン大学長フランコ・イモダという人が面白いことを云っていました。
イモダというから日系人(笑)かと思ったけれど、写真を見るかぎり、そうじゃないみたいです。

20世紀人後半の人間には、三つの特徴があるというのですね。
その三つというのが、
  • 「自己愛」
  • 「市場志向」
  • 「変転」
いわれてみると、「そのとおり」という他はない。

「自己愛」というのは、もっと卑俗に言えば「自己チュー」ということでしょう。
宗教・社会の規範がなくなったので、ものごとの『善悪を決めるのはわたし』ということになっている。
この行き着いた果てが、いまや急増中の「自己虫」です。

「市場志向」というのも、イモダさんが神学者だから言い方が優しいだけど、事実はよく考えたら、もっとすごい。ありとあらゆるものを金銭で価値判断する。生命もお金で買える。
究極の拝金思想ですね。
先進国の豊かな人間が開発途上国の貧しい人間の臓器を買うのは当たり前。
非難を恐れずに云えば、これなどは人がヒトを食っているのと大して違いはないように思います。

お金で値打ちを測ると、どうしても『刹那的・功利的・即物的』にならざるをえない。
そのことが第三番目の特徴にかかわってくる。

「変転」というのは、いいかえれば無常観ですね。
『すべては常に移ろい、安定などない』という人生観がしみついている。

イモダさんの言葉を読んでいるうちに、ふとニーチェを思い出しました。
あの「ツァラトゥストラはこう言った」(この題名はなんとかならんですか、岩波書店さん!)で、ニーチェが「神による価値づけ・目的づけを剥ぎ取られた在るがままの人間」(@岩波文庫解説目録)として描写した人間そのままではないか!

「ツァラトゥストラ」を読むと、20世紀人の病理はたいがい出ている。
そうした意味では、ニーチェの先見性は凄かった。

ビジネス音痴のわたしには「市場志向」は少ないだろうけれど、「自己愛」と無常観はどっぷり染みついています。
いいかげん、そんなのとは「さよなら」したいものです。

どうやったら、20世紀と円満に別れられるのか?
これから、そんなことを考えて行こうと思います。

追記:
さて、明日はいよいよメルマガの発行日
夜に送信する予定です。
エッセイも書くつもりなので、お楽しみに。

まだ購読していない方は、明日(6日)から購読申し込みできるので、ひとつよろしくお願いします。
登録ページはここをクリックしてください。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

1月 4日

さてと、NHKの連ドラ「オードリー」もはじまったことだし、この日記もそろそろ元の調子に戻さないと!

ふだんなら雑談モードにゆくのですが、今回は趣向をかえて今年の計画を考えたいと思います。
というのも、ずいぶん読み残した本があることに気がついたのです。

だいたい、この日記を始めるときに読んでいたクセノフォンのギリシア語版「アナバシス」をまだ読み終わっていない!(泣)
今年こそは、読み終わりたいと思います。(決意)

それとお堅いギリシア語文法書も読みきらないと。
日本語で書かれた文法書の最高峰らしい「ギリシア語文法」(高津春繁)がそれです。

じつは昨年ひそかに「ギリシア語の年」と決めて、「ギリシア語入門」(田中美知太郎・松平千秋)と「ギリシア語文法」(田中美知太郎・松平千秋)を再読しました。
記憶力減退を激しく思い知ったのではありますが、なんとなく勘所がつかめそうな気分です。
この調子を維持したいなと思う読書家であります。

99年にはギリシア語でプラトンの「クリトーン」を読み終わったので、なんとか出来るだろうとは思います。

「アナバシス」があがったら、次は「ソクラテスの弁明」と「パイドン」にいってみるつもりです。

ところで、昨年はもう一つの外国語に励んでおりました。
いまや大学の第二外国語としても存続があぶない「ドイツ語」です。

こちらは日常会話を独習しつつ、フロイトの「夢判断」と「ヒステリー研究」を原書で読んでいます。
こっちも進みませんね。(溜め息)
ドイツ語版聖書に逃げたりして……。

日本語と英語で繰り返して読んだ聖書だと、ストーリーがわかっているので単語を引かないでも中味がわかる。(笑)

ヨーロッパ人には、各国語の聖書を読み比べて、外国語を習得する人がいるという話を昔読んだことがあります。
たぶん、いちばんいい方法かもしれない。

あの語学の天才・シュリーマンは、「ポールとヴィルジニー」と「テレマックの冒険」という当時の大ベストセラー小説を暗記して、各国語を覚えたのです。

でも最大の問題は……わたしにはかれらのような外国語習得の才能がない!
英語だって、耳がいい初心者にかなわないところがある。

読書家は絶望的に不足する才能にもめげない<努力のひと>であります。(笑)
いまどきの日本人には、いちばん嫌がられるタイプですな。(泣)

今年はドイツ語には見切りをつけて、別の言葉に走る予定です。
いっていることが、いきなり反転してしまいましたね。(笑)

やっぱりパスカルとモンテーニュを原語で通読したい!
パスカルの「パンセ」はあきもせず拾い読みを続けています。
これにもっと時間を費やして、さらにモンテーニュにとりかかる予定です。

さて、この大プロジェクトが成功するかどうか?
ご報告は年末にご報告することにします。(^ ^)

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

1月 3日(その二)

空メールの実験にご協力してくださった皆さま
ありがとうございます!

中世は面白いというより、お手上げです」なんて、書き換えまでできるんですね。(笑)
ほんとに参考になりました♪

これに味をしめて、しばらく続けようと思います。
やっぱりレスをもらうと嬉しいですから。(^^)

お礼はこのぐらいにして、では次の日記を!

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

1月 3日

日付の調整にてまどって、また当日の日記になってしまいました。
読書日記のつもりですが、やっぱり浮かれてますね。
まともな読書になりません。

昨日は「全訳吾妻鏡」(新人物往来社)の一巻目・二巻目を走り読みしていました。
いや実に面白い。(^^)
「吾妻鏡」はほんらい漢文なんですが、高校ぐらいで習った中国漢文を知っていてもまず読めません。

日本人が書いた漢文は、専門家でないと意味がよくわからんのです。

だから、わたしなどは読み下し文にしてくれないと意味がわからない。(笑)
あっ、そうだ。一言いっておかないと。

これ、「全訳」と銘打っているけれど、読み下し文にしてあるだけです。
だから、古文を読むようなものです。

中央公論新社の世界の名著みたいに完全に口語訳しているわけではありません。

そこのところだけ、覚悟して開いてみてください。

正月だから、いつものようにゴタクを書く気になれません。
松の内だから、仕方ないかな?
それでは、また明日。

追記:
空メールをつけてみました。
うまくいくかどうかよくわかりません。

実験に付き合ってくれる奇特な方がいたら、ボタンを押してみていただけないでしょうか?
実験は無事成功しました。
空メールの欄は最新の日記につけることにします。
よろしく♪
ボタンを押すと、「メールアドレスを奪い取る大悪人がいるぞ!」という感じの警告がでてきますよね。
これで、ぎょっとしてひいてしまうかも?
そんな人はあんまりいないと思うんですが……。(笑)

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

1月 2日(その二)

東京テレビの10時間ドラマ「宮本武蔵」ですが、とうとう最後まで観きれなかった。
けっこう熱演してたし、よかったと思います。

でも……さいごには飽きてしまった!
夜のお散歩に出てしまいました。(笑)

上川隆也は良かったけれど、他の人が物足りなかった。
西田敏行がでているあいだは、しっかり観ていたのですが。

原作といろいろ違いが出てくる後半は、作り手の苦労はわかるのですが……面白くない。

なんだかTVというメディアの限界がみえたような気がします。

紅白歌合戦は牙城の視聴率50パーセントをきったそうですね。
視聴率というものは、50代くらいまでの世代を対象にしているだろうから、おそらくいちばん観ていたはずの高齢者をカウントしなかったのも一因でしょう。

ただ大晦日はほんとうにテレビを観なかったなと、あらためて驚いています。
ネットもあることだし、もうテレビはいいかなっと思っています。

そのかわり、もっと面倒くさい本を読んだり、外国語の勉強でもすることにします。(笑)
人生の手持ち時間は多いようで少ない。
考えてみれば、あんなにおしゃべりで内容のない隣人に四六時中お茶の間を占拠されていたわけですよね。
で、やっていたことは一方的なおしゃべりを聞きながら、マンガをみたり、飯を食ったり……。
これが生身の人間だったら、たまらんですね。(笑)

オレの時間をかえせーっ――なんて、怒鳴りたくなるはずだのに。
20世紀をテレビとともに生きたワタシですけど、新世紀を迎えて「さよなら、テレビくん」と言いたいと思います。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

1月 2日

普段は、この読書日記は一日遅れなんですが、本日はまだ松の内ということで、当日の話題です。
今日は朝の8時から起きて「仮面ライダー クウガ」スペシャルを観てしまいました!
これが、四十歳をこえたおやぢのやることかっと思いつつもやめられないんだな、これが。

「うちの子が喜んでいるTVみて、そんなに楽しい?」と、この日記をみてる友人からメールがきたりします。
もともとわたしがアブナいやつだと知っているから、そんなにびっくりはしていませんけれどね。(笑)

今回のライダー・伍代雄介くんをやっているオダギリジョーという若い俳優がかわゆい。
アブナくて、おたくな感じがとてもプリティーであります。

こんなことをいうあたり、年相応のおやぢだな、やっぱり!(大笑)

オダギリ・ライダーも後三回で終わりだそうで、ちょっと残念。
あのとっても人が良くて、軽そうな笑顔がいいんだよなあ。
二十代後半のお姐さんには、絶対推薦だな、うん。

ところで、2000の技を持つ冒険家という肩書きの伍代青年ですが、ときどきしか観ていないので2000の技の詳細がわからない。
しかし、この青年は名刺に技の数を書いているフシギなオニイチャンです。

前回みたら、2500くらいまでに技が増えていました。
いったい、どんな技を増やしているのかな?
わたしが知る限り(そんなもの知ってるんじゃネェよというツッコミが入りそう)、仮面ライダー クウガの技はどう勘定しても10いくつかのはず。
それともただの数合わせなのか、謎は深まるばかりです。(笑)

ところで、「仮面ライダークウガ」にはオフィシャル・サイトがあります。
TV朝日の公式サイト 仮面ライダークウガ がそれ。
(01年01月現在)
ストーリー・スタッフ紹介など「クウガのすべて」があるとか!(笑)
さて、本日は午後2時から上川隆也主演の10時間ドラマ「宮本武蔵」がはじまります。
いつもなら、12時間ドラマを観ているのですが、今年はやめておこうかなとも迷っています。

上川武蔵に、鶴田真由のお通に、吉田栄作の佐々木小次郎かあ。
これに西田敏行・沢庵だと、もうぐったりしちゃいますね。

吉川英治の「宮本武蔵」は「空手バカ一代」を愛読していたころにはじめて読んで以来、わがバイブルとなっていました。
だから、ストーリーだけなら、頭に焼き付いている。しかも、いろんな人が演じたのもTVや映画で観ている。

ちょっとおっくうだなっていうのが正直なところ。
よりにもよって、上川隆也の宮本武蔵じゃあ。
上川はまちがいなく第一級の名優なんですけれど……。

今日はまた本でも読もうっと。
大晦日からほんとにTVを観ていないなと、われながら感心しています。
そのかわり、ジョン・レノンの歌を歌詞カードを眺めながら聴いていました。

歌詞カードを眺めながら聞いていると、詩の行間が読めてきます。
泣けてきましたね。

20世紀後半にあらわれた最大の詩人は、間違いなくジョン・レノンだ!
魂においても、言葉のセイスにおいても。

そんな言い古されたことを、あらためて実感しています。
真実は強い!
―ということでしょう。

ところで、20世紀前半に現われた最大の詩人は、宮沢賢治だと思います。
だれがなんといおうと、この人を越える詩人はいないのじゃないか?
あなたにとって、そういう詩人はだれですか?

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

1月 1日

新年あけましておめでとうございます!
御挨拶のページをつくりました。
ひとつみてやってください。

ここをクリックすると、とびます!

本年もどうぞ、よろしく!

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記




© 工藤龍大