お気楽読書日記:3月

作成 工藤龍大


3月

3月9日

『ソクラテスよ、哲学は悪妻に訊け』 (池田 晶子)(新潮文庫)を読む。

アカデミズムと距離を置いた「哲学」を語り、しかも美人という才色兼備の哲学者。
著者の池田 晶子とはそういう人だった。

期待して読んだが、ソクラテスと妻クサンチッペのやりとりを除いては、哲学的エッセイの守備範囲におさまっている。
残念ながら、突き抜けたおもしろさはない。
突き抜けてはいないけれど、滋味がある。
あじわい深い小品だ。
けなしているわけではなく、好きだと言うことをまわりくどく言っている。

どちらかといえば、時事評論の色合いが濃く、哲学のことばを話し言葉にかえて、親父と小母さんがなれあっている夫婦漫才というところ。

漫才台本としては「ぼやき」と「つっこみ」が甘い。
ただ、こういうゆるい感じは好きだ。
ゆるい感じで、知的会話がなりたつのは極上のエンターテイメントだ。
学習マンガや、わかりやすい入門書マンガというのは退屈だが。

著者の評価が低い、もっと素直にいえば、馬鹿と思っている学者・評論家(立花隆や柄谷行人、ハンチントンなど)を語るところはつまらない。
池田さんは毒舌が芸になるタイプの人とは違う。
まっとうなことを、まっとうにいうことが絵になる人で、柄にないことをやると退屈だ。

その反対に、余談から直球勝負の哲学談義にあるあたりはぐっといい。
マルチメディア、花見、阪神・淡路大震災、ビアガーテンから、プラトン風哲学対話編にもってゆく芸のうまさは、ぜひ見習いたい。
王道といえば、そのとおりだが、本格派投手のすごさはそのまま素直に脱帽する。

この手の本格派に、久しく飢えていたことを、あらためて実感できた。
良い本を読んだと思う。

21世紀になって、マルチメディア化が進んで、わかりやすさが出版のデファクト・スタンダードになった。
いいようなものだが、食い足りないのもじじつ。
ウェハースばかりじゃ、だめだ。
塩せんべいをばりばり食べたい。

マルチメディア化とは、視覚偏重のことだ。
考えるな。感じろ!
ブルース・リーなら、それでいいだろうが、普通の生活ではちょっと困る。
言葉って、大事だと思うから。

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