お気楽読書日記:7月

作成 工藤龍大


7月

7月 23日

今月は専門書のほかに、下記を読了。

『中国の思想XI 左伝』(松枝茂夫訳)
『言志四録を読む』(井原隆一)
『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』(リック・リオーダン)
『地球と人類を救う東洋思想の知恵』(梅原猛/後藤康男)
『脳が教える!1つの習慣』(ロバーロ・マウラー)

ヤング・アダルト向けの『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』はなかなか面白かった。
作者は大人向けのミステリ作家だから、筆力はある。
ただファンタジーの衣装を剥ぐと、会社乗っ取りにからむミステリーと読めてしまう。

『指輪物語』のようなハイ・ファンタジー好きのわたしには、微妙な線だ。

『中国の思想XI 左伝』はどこの図書館にもある徳間書店の叢書。
岩波文庫で『春秋左氏伝』を読むつらさが軽くなることをあらためて知る。
実際、仕事で忙しいと岩波文庫のアカデミズム嗜好にへこたれて、本を開くのがしんどい。それで本が読めなくなるのなら本末転倒だ。

ダイジェスト版を読んだおかげで、全体がつかみやすい。
それだけではなく、宮城谷昌光さんの中国小説を通読していると、なつかしい名前に再会できる。

たとえば、わたしが大好きな蓁の宰相「百里奚」。
その息子が戦争で捕虜になったことは知っていたが、運良く蓁に帰国できるときの行動が「漢(おとこ)」だ。

夏姫とその夫巫臣、趙盾(ちょうとん)、晋の重耳(文公)。
宮城谷作品でおなじみの人々が原典でいきいき動いているのを読むことは嬉しかった。

『脳が教える!1つの習慣』が本田直之氏監訳という言葉にひかれて読んだ。
「小さな質問」を自問することで、運命発展を達成するという自己啓発本。

さっそくチェックシートを作成して、つかっている。
なぜ自分の目標が達成できないかよくわかった。

結局、まわりが変わらないと自分の運命も動き出さないし、目標も達成できない。

「こんなにがんばっているのに、なぜ自分は運が悪いんだろう」と思っているわたしみたいな人にはぜひ読んでもらいたい本だ。

こつは意外と簡単なところにあることがわかるはずだ。

他の本については、稿を改めます。

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7月24日

哲学・・・・が好きだ。

人によってはなんの用もない「哲学」が生きがいだ。

このところの忙しさですっかりこの種の本が読めない。
じっくり思索に時間をつかうこともできない。

飢えをみたすつもりで、下記の本を読んだ。

『中国の思想XI 左伝』(松枝茂夫訳)
『言志四録を読む』(井原隆一)
『地球と人類を救う東洋思想の知恵』(梅原猛/後藤康男)

「哲学」といいながら、大風呂敷を広げるのが癖である。
東洋思想の本を読みながら、おぼろげに感じたことを書いてみる。

いわゆる西洋哲学がかなり行きづまっていることは誰もが知っている。
実存主義からポストモダンにいたるまで、自我を問題にする西洋哲学は構造主義と言語分析にいきつき、精神医学出自の心理学と言語学派生の記号論のあいだで朦朧としている。

どうやら行き詰まりの理由は、「自我」を主体にすえた視点にあるらしいことがわかり、始末に負えない「自我」(コギト)を解体するのがポストモダンから後の哲学の仕事だった。

その結果は。。。。。。

現実とは乖離した言葉遊戯にちかくなっている。
サンデル教授のような政治哲学が新鮮にみえるのも、認識論と形而上学から誕生した哲学思想にうんざりしているからだ。

そこで、東洋思想と持ち出すのは時代遅れの腐臭がする。

ただその場合、東洋思想とは儒教、仏教、道教、神道をベースにした民族派の「国学(伝統に縛られた封建思想)」とみなされている。

そんなものには、いまさら誰も用がない。

ここで目線を少し大気圏まであげて、地球を俯瞰してみる。

現代文明と称される西洋思想が、インド・メソポタミア・エジプト・ギリシア・ローマ文明の子孫であることは自明だ。
キリスト教もイスラム教も、エジプト文明とメソポタミア文明の影響をうけたヘブライ文化から誕生したことには疑問の余地がない。
さらに詳しくいえば、ヘブライ文化に多大の影響をあたえ、メソポタミア経由の出自がゆらくほど衝撃をあたえたギリシア・ローマ文明の子であるヘレニズム文化の存在も忘れることはできない。

前置きが長すぎるが、もう少し続けます。

これと中国の黄河文明には共通点がある。
どの文明も、小麦と牧畜の栽培を通じて、森林を破壊しつくした。
文明発祥の地はどこもはげ山と荒野。
中央ヨーロッパの森は、人間が破壊しつくした森を人口のものに変えた人工林だ。
ヨーロッパの森林破壊が「黒死病」とよばれたペストの蔓延を引き起こした事実もある。

ところが、世界の古代文明のうち、森林を破壊しなかった文明がひとつある。

それは中国揚子江南岸に発生した「長江文明」だ。
「長江文明」について知っているのは、おそらく考古学にかなり詳しい人だけだろう。

目の飛び出た仮面や、鳥をモチーフにしたトーテムの青銅器がおなじみだ。

「長江文明」は、中国の春秋時代の「楚」や「呉」、「越」の国に引き継がれた。
統一王朝出現後は、道教ややがては道教と集合した中国南方地方の天台宗、禅宗、浄土宗といった中国仏教にも浸透してゆく。

それだけでなく、弥生時代よりも前の縄文後期にはじまった稲作の源流も、朝鮮半島ではなく、長江流域であることがわかっている。
つまり、日本の原宗教にもその影響は及んでいる。

そのあたりの事情をふまえて、この三冊の本を読んでみた。
(以下続く)

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7月24日(続き)

『地球と人類を救う東洋思想の知恵』は数人の共著。
梅原猛と後藤康男の共著ではない。

1996年6月に上海で開かれた「東方思想研討会」の講演をまとめたもの。

まだ中国側の学者に大国意識がめばえていないので、控えめな発言が目立つが環境破壊とモラルハザード、軍事的緊張が高まっている2011年現在なら生ぬるいといわざるをえない。

山折哲雄、安田喜憲といったところがおなじみの意見を述べている。

ただ、当時の考古学的知見をふまえた安田喜憲の「長江文明」論はいま読んでも新しい。

この知見が中国文明の発生時期の繰り上げに終わるか、新しい文明論の階となるかは中国側の研究者の志によると思うが、どんなものだろう。
経済発展と領土拡大熱にまけて、口をつぐむことになっているのか。。。

ただ『中国の思想XI 左伝』を長江文明の直系である「楚」の国から読んでみると、現代は当然だが、古代ですら、経済的(食料、工芸品にいたるまで)に華北地域が絶対的に揚子江流域に依存していたことがわかる。

殷文明の古都、「宋」国がかつては有利だった地政学的な位置ゆえに(平原のど真ん中で交通に便利だが、防衛は不可能)中国統一の争奪ゲームに入れないことからも、それがわかる。

殷の時代は平原のど真ん中だったので、揚子江流域の物産を集積しやすかったのが、あだになったわけだ。
ただ、そのおかげで「宋」国が商業の発達地域となったのは、面白い。
「商業」の「商」の字は、殷=宋の地名なのだから。

春秋、戦国時代を通じて、華北地方は森林破壊を続け、漢の時代から三国志の時代でそのピークに達する。

以後の中国政治史は、江南(揚子江流域)の食料と経済の争奪に終始する。

それと並行して、華北地方の哲学・思想はダイナミズムを失い、この方面の生産性は江南以南に譲ることになる。

天台仏教にしろ、禅宗にしろ、密教にしろ、中国化した仏教の発展(南朝四百八十寺)と、道教の成熟はこの地で起こった。

結局、文明は森と水を浪費して発展して滅ぶという公式の真逆である森と水を保持できた文明は発展するという見本となった。

森と水は蛇、龍、ドラゴンとしてアニミズムの尊崇対象だった。
ドラゴン殺し(ドラゴンスレイヤー)に価値を置く文明が環境破壊と原子力事故で崩壊の危機に瀕しているのは当然だ。

東洋の思想とは、森と水を大切にする思想だ。
エコノミック・アニマルだった世代の日本人には、経済発展の過程を通じてこの東洋の思想は失われたとみるべきだろう。
もし、その思想を実現できるとしたら、21世紀の経済衰退のなかで生まれ育った世代だと思う。

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