今週、とりあげる本は次の三冊。 『賢治博物館』(板谷英紀、れんが書房新社) 『賢治幻想曲』(板谷英紀、れんが書房新社) 『宮沢賢治 宝石の図誌』(板谷英城、平凡社) 先の二冊は、宮沢賢治研究家の板谷栄城さんが本名で出した本です。 東北大学理学部出身で本高校教師の板谷さんは、賢治を理科系と音楽家の視点で研究するユニークな賢治研究家。 化学者として、賢治の詩や童話の科学用語を、具体的にきっちりとわかりやすく説明してくれる。 火成岩のおしゃべりを聞きながら、鉱物研究家の「楢ノ木大学士」が野宿する幻想童話「楢ノ木大学士の野宿」は、鉱物学の知識がないと擬人化された火成岩を視覚的にイメージすることは不可能だ。 欄外の注釈を読めば、文字的な情報をわかるが、実際にどんなものか分かるひとはいないだろう。 『宮沢賢治 宝石の図誌』では、美しい岩石の写真のおかげで、「楢ノ木大学士」が盗み聞きする岩たちが実際にはどんな姿をしているのかよくわかる。 分かったからといって、どうなるものでもないが、しばし憂き世を忘れられることは保証する。 人として、生きて働く世の中がどうにも「しのぎ」ずらい――そう思うことが多い。 雲だの、星だの、草花、樹木を眺めていると幸せなのは、「世の中」とは違う有情の世界にひたりたいから。 賢治という人は生きるのがずいぶん大変だったから、そういう人たちにとって、いつも懐かしい。 生きるのが難しかったのは、得意な感覚な持ち主だったことも一因だったらしい。 「直感像」と「色聴」という得意な能力が人にはある。 「直感像」とは、何かをみたときに、別の視覚的イメージが目に浮かぶ能力。 「色聴」とは、音を聞いたら、色や図形をイメージする能力で、成人の10パーセントにはそのちからがあると板谷さんはいう。 賢治はその両方を持っていて、目に見えるものとは違う視覚的イメージを同時に見ることができた。また、音楽を聴くと、色や図形、ときには異形のものを視覚的に見ることができたそうだ。 「色聴」の持ち主は絶対音感も持っていることが多いそうだから、賢治もひょっとして絶対音感だった? それは分からないが、賢治の生きている感覚世界は、他の人とはずいぶんちがっていただろう。 『賢治幻想曲』におさめられている「光のパイプオルガン―賢治音楽考」は、人と違った音楽感覚の持ち主だった賢治のいろいろなエピソードを紹介している。 賢治のチェロ(セロというべきか?)の腕前、浅草オペラへの傾倒、レコード蒐集(当時のレコードがプラスチック製ではなく、昆虫の蝋からできていたなんて、知っていました?)。 板谷さんは手品のように、賢治の作品世界と実人生のかかわりをぱっと開いてみせてくれる。 「柏林行―岩手山考」と「萬事萬三郎―山男考」では、一転して、東北の民俗(話はときにチベットまでとぶが)と賢治作品のかかわりを考察している。 こうしたエッセイそのものが研究というより、一種の創作の香気まで上り詰めている。 賢治のアニミズムは作品を読めば一読了解するものではあるが、汎アジア的な基層まで突き詰める論考は、ありそうであまりない。 河口慧海とカイラス山、マナサローワル湖(作品名にもなったアノクタチ湖のチベット名)あるいは伝説的なマタギの始祖英雄「萬事萬三郎」が、賢治作品と交錯する! まったく、この本を読んでいたら、「気圏」のてっぺんまでごうごうと飛びあがってしまう!。 目下、『賢治博物館』を読み上げる最終モードに入ったところ。 イーハトーヴォから還ってくるのが、かなり難しくなっている。 |
© 工藤龍大