吉川英治の『神州天馬侠』を読んだ。 時代がかっている、古くさい、などなど、当たり前のことを書く気はさらさらない。 ただ、この小説はおもしろい。 キャラクター小説、ライトノベルといったジャンルが楽しめる読者なら、意外な文学まで発見できて、わくわくしながら読めるのではないか。 とにかくキャラクターがアニメチック、ライトノベル感覚だ。 封建道徳や主従関係を逆手にとって(たとえばビクトリア朝マンガの感覚)、アニメ化したら、一部視聴者には熱狂的に受けるはずだ。 (正直に言うと、それはワタシです)。 映画かテレビのせいで、少年が大鷲にのって空を飛ぶイメージがあった。 その少年とは、主人公の武田勝頼遺子伊那丸かと思っていたが、まるで違った。 果心居士の弟子竹童(美少年)と、柴田勝家謀臣の弟子蛾次郎の二人だった。 柴田勝家謀臣は鼻欠け卜斎という鏃鍛冶に身をやつして、非「美少年」の悪たれ蛾次郎を養っている。 この爺さんとおっさんの師匠たちがそれぞれの弟子に接するあたりが、どうもボーイズラブっぽい。 しかも、少年二人を追いかける菊村宮内というおっさんも現れて、いよいよそちらの世界である。だいたい菊村なんて名前は、この場合危なすぎるのではないか。 一方、少年(といっても、もう十五、六歳)たちは、大鷲クロにラブして、主従関係やら出世話や師匠の命令なんぞ、ほぼ無視して、大鷲を追いかけ回している。大鷲も呆れたヤツで、両方にいい顔をして付き合うという(別に言葉を話すわけではないが)三角関係。 ストーリーも後半になってくると、主人公伊那丸の武田家お家再興なぞ、もうどうでもよくなって、美少年竹童とブス少年蛾次郎と大鷲の三角関係に終始している感がある。 国民的作家の作品にしてはストーリーが破綻している。 気の毒なのは、本作の唯一の紅一点「咲耶子」(さくやこ)という美少女。 どんどん出番がなくなり、後半は宿敵徳川忍軍に人質にされた彼女を救う話が、少年たちの三角関係(というより、師匠連と菊村おじさんがからんだ相関図)に紛れて、作者もほとんど忘れたような扱いになった。 読み返してみたら、伊那丸主従は徳川の手に捕らわれたままの咲耶子を見捨てて、天子に仕えるために都に上っていった。 竹童も行方不明になっている。 この結末はなんなんだ。 無責任な主人公に、破綻したストーリーではあるが−−この話はおもしろい! だれかマンガの原作に使ってくれないだろうか? ところで、寅さん映画の常連佐藤蛾次郎は、この作品の映画だか、テレビがデビュー作。演じた蛾次郎をそのまま芸名にした由。 |
『顔氏家訓』は大部すぎて、読み切れなかった。 持ち歩いて読むには重すぎたのが敗因。 文庫や新書と違って、単行本を読むのは都会暮らしでは難しいと実感。 中国の古典を読むのは、なかなか時間がかかる。 読み飛ばしではない読書−−というものを心がける必要がある。 知的生活にもスローフードは必要だと思う。 中村天風師の本を読み返すうちに、「味わう」ということの大切さがわかってきた。 「頭でわかる」だけではものの役に立たないのは、「味わっていない」からだという気づきである。 自分の人生に、「味わう」という行為はあったのだろうか。 たしかに、人付き合いや感性の錬磨では味わうということは少なかった。 人付き合いはめんどくさいし、気配りはまあ不可能だという自分を、最近受け入れる気になった。 やなヤツである部分は少なめだが、「使えないヤツ」「ものの役に立たないデクノボー」であることは間違いない。 ただ、それ以外の部分は「味わう」ことの他はまるで興味がなかったようでもある。 効率よりも「快楽」というのが、無駄飯食いの自分の生き方だった−−残念ながら、そのことは認めなくてはならない。 開き直るわけではないが、それで善いと思う。 「味わう」範囲をを少し人間関係よりには、したほうが良いだろうが、基本的な志向としては自然、もの、生き物(食うわけではない)、食べ物という軸をぶらす必要はないだろう。 ぶれたり、ずらしても、無駄なことだと思う。 このままのったりのったり歩いてゆくのが、いちばん楽だ。 しかも愉しい。 あえて生き方を変える必要はない−−と覚悟をきめた。 |
このところ、外国語をさぼっている。 特にギリシア語がひどい。 プラトンもクセノフォンも数ページしか読んでいない。 すでに文法は妖しくなっているが、この調子では読む習慣さえなくすおそれがある。 そこで、今日から毎日1ページを必ず音読することにした。 外国語はやはり音読だ。 とくに、実用性があまりない死語の場合、早く読んでも意味はない。 だいたい内容なら、日本語訳を読んでいるので、あわてて知る必要はない。 それなのに、なんで不便な古代ギリシア語で読んでいるかといえば、ソクラテスは本当はどんな言葉を話していたのだろうという興味につきる。 過剰な好奇心がなければ、外国語読書なんて無駄ともいえる。 実際に、「知的生活」に関する本を書いた英語学者渡部昇一は、古典語の学習はやめろとアドバイスしている。 ただ、下手の横好きは仕方がない。 ヘタな勉強はかえって有害だという意見には、まったく賛成だが、レクレーションだから、どうしようもない。 ムダでいいから、やりたいものは辞められません、一生。 荒俣宏が書いていたが、本を買いつつ読みまくるというのは女道楽と同じ。 悪い女にひっかかったと諦めて、ひたすら買いまくるというのもありだ。 ここまで達観したら、もう言うことはない。 衰える記憶力。はかどらない読書力。 その全てを受け入れて、ギリシア語を読む。 無欲はらくだ。 役に立てようなんて、よけいな欲をかかなければ、ハッピーな日々が送れる。 愛人道楽に邁進しようと思う。 |
いよいよ2月。 先月読んでいた本は読了した。 しかし、情報収集のためなので、書く気がしない。 理系ってのは、大変だなというのが正直な感想だ。 数学というのは、えらく面倒くさいと、学生時代持っていたかすかな数学への憧れさえ消失している自分を発見した。 なんなんだ。 (ところが、TVで『博士の愛した数式』をみて、オイラーの公式を知り、感動した。自然数の底eに円周率πと虚数iをかけた累乗に1を足すとゼロになるというやつ。 数学辞典で調べたが、オイラーという数学者はやたら公式を造ったらしく、これはのっていなかった。 ウラはとれなかったが、小川洋子の調査を信じることにした。) 先週読み終えた本は、次の一冊。 『馬込文学地図』(近藤富枝) 電車通勤しながら、中国語を勉強し、数独を解くあいまに読書するのではかどらないこと夥しい。 内容は、芥川が自殺したあと、尾崎士郎と宇野千代を中心とした馬込界隈の文士のゴシップである。 意外などハデな室生犀星の女性関係に感銘をうけるも、なんなんだろう、このむなしさは−−という無情の風を感じた。 ここに名前の出た作家でゴシップの中心になったのは、いまは忘れられた近代作家ばかり。かれらの名前を知る人は、かなり文学的素養のある中高年だ。 土曜日に関川夏夫の『白樺たちの大正』を再読した。 白樺派は、チョー物好きでなければ読む人はいない。 柳宗悦やら武者小路実篤を愛読する「あらふぁい」(あらうんど50、そんな言葉はありません!)なんて、ヲレだけだよーん♪ とはいえ、関川には現代が活きている。 こちらは、楽しく読めた。 誤解もあるだろうが、男が書く女は、女流が書く女よりも魅力的だ。 悪女であれば、いっそう。 若き日の宇野千代(それでも三十代だけど)は、強烈なフェロモンが噴水のように出ていたらしい。 美人とはいえないが、なんともいえぬいい女のたたずまい。 これだな、昭和美人の魅力は。 そんな種族は、もう絶滅して地球上には存在しないが。 昨日は、図書館で次の二冊を借りる。 『世説新語・顔氏家訓』(中国古典文学大系) 『神州天馬侠』(吉川英治) 『世説新語』は三国時代の故事逸話集。 曹操の話などがあっておもしろい。 まだ読みかけだが、なんとか読了したいと思う。 われながら弱気だ。 『神州天馬侠』は、吉川英治のジュブナイル作品。 なぜか、いまごろこの小説を読むのか? おぼろげな記憶をたどると、この小説はテレビ時代劇になった。 ストーリーは覚えていないが、映像の印象はある。 人間を背中に乗せて飛ぶ黒い大鷲がいて、ばてれんの妖術使いか、妖怪じみた忍者みたいな悪役が出ていた。 その悪役は沼田曜一(故人)さんだった。 実はこの本にたどり着いたのは、沼田曜一さんが悪役をやっていた少年時代劇を捜していて、ネット検索で作品名と原作が判明したというルートだった。 沼田さんの怪人ぶりが深く記憶に刻まれて、子どものころは泣きそうに怖かった。 強烈な印象がバックフラッシュしたというところ。 沼田さん演じる悪役、「日蘭混血の怪妖術師・呂宋兵衛(ルソンベエ)」については、このページに詳しい記述がある。 http://kaiju.yonedazigoku.com/?eid=680465 へーぇ、そういう役だったんだと、今さらながら驚いた。 子どもの頃というのは、なんにも分かっていない。 この間もそんなことに出くわした。 小学生、中学生時代に愛読した小学館の『少年少女世界の名作文学』。 読んでいたのが50巻版だったが、これには30巻版と55巻版というのもあることがわかった。 それだけなら大したことはないうんちく話だが、すごいのは50巻版の後に出た55巻版のセレクション。 これについては、下記のページに詳しい説明がある。 http://homepage2.nifty.com/teiyu/journal/mura_0410.html さらに眼を見張るのが、イラストレーターの面々。 上のページで教えてもらったが、武部本一郎、金森達、依光隆、柳柊二、石原豪人という豪華メンバー。 創元推理文庫か早川SF文庫に、妖しい少年美の石原豪人−−このセレクションには、悶絶しますね、ほんと。 でも、それをいうなら、50巻本もなかなか。 なにせ、三国志の挿絵が生頼範義。 スターウォーズやウルフガイよりも先に、ここで生頼範義に出会っていたのね。 柳柊二はここでも登場。コナンよりも先にウェルズ『透明人間』で遭遇していた! 『海底軍艦』は、やっぱり小松崎茂。 しかし、『巌窟王』も、わたしの大好きな『偉大なる王』も、大小松崎巨匠の作品だったとは! 時はうつり、いまや東京創元社から中村融氏の手で『新訂版コナン全集』が刊行されている。 イラストレーターも柳柊二さんから別の人に。 ググってみると、柳柊二さんの本名は「柳橋風有草(やなぎばしかざうぐさ)」 すんごい名前−−ではあるな。 父親が詩人なので、現実離れしたロマンチックな名前をつけたと推測する。 1927生まれで、2003年になくなっている。 もっと早く亡くなっていると思っていたが、没年がわずか五年ほど前だったとは。子ども時代の楽しい思い出をありがとうございました。合掌。 |
© 工藤龍大