お気楽読書日記:10月

作成 工藤龍大


10月

10月26日

『眩人』(松本清張)を読んだ。

この作品は−−失敗作ではないか?
清張の完成度が感じられない。
主人公は、奈良時代の僧、玄ム。法相宗の高僧で、かなり権力臭のつよい政僧でもある。

唐の留学時代から筆をとっているが、清張の西域趣味だけが突っ走り、法相宗にはほとんど筆が及ばない。記述は密教や道教に偏重している。
日本に帰ってからはますますひどい。
語り手が唐から連れてきたペルシア人の若者に代わり、知識偏重の紙芝居みたいな小説になっている。
こういう書き方も井上靖ならさまになったのだろうが、清張には似合わない。
題材への切り込み方がうまくいかないと、清張ほどの人でもこんな駄作になってしまう。
小説とは難しく、実に恐ろしい。
寝転がって読んでいたが、読後座り直して考え込んだ。
小説とは、いい加減な気持ちでは向き合えないものだ。

同じく考えさせられたのが、『私だけの安曇野』(丸山健二)
芥川賞をとって信州安曇野に住む文学者、丸山健二。
編集者に勧められて何冊か読んだことがある。
文章がいかにもブンガクしているのが、出版業界の人に評判のいい理由かと思った。

毒舌をふりまき、安曇野の田舎くささと地方特有の悪意を罵る筆致はそれなりにおもしろかった。だが、なんとなく気にくわない。
ぴりぴりとした、毒草に触れたような感触がある。

その正体はなんだろう。
後書きに劇作家山崎哲が「他者」ということを書いていた。
自分にはまったく理解できない生き方、考え方をする人間。共感も、隣人としての好意ももちえない存在。
山崎は京都で新選組が味わったのは、ヨソモノとして閉鎖的な京都人から向けられた「他者の視線」だという。
そして、丸山は安曇野で「他者の視線」と果敢に戦っているのだと。

わたしからみれば、丸山こそが安曇野に住む人間を「他者の視線」で高い所から睨みおろしているようにみえるのだが。

この人の小説は、自分以外の登場人間を「他者」として扱っている−−共感も善意も持たず、その生き方、考え方、心の動きを絶対に認めようといない。

いくらその行動がわかると書きつのったところで、「他者」をおのれのうちにとりこめないうちは小説は失敗だ。
この人の作品に感じた違和感と毒性の源はここだ。

そうだとすれば、どのような小説がよいのか。
答えは簡単だ。
作者の主観と、読者の主観が相互主観的に交差する場を作ること。
うまい小説、感動する小説はそのように出来ている。
問題は、そういう作品を書く人がごく限られている−−ということだけだ。

追記:
アウグスティヌスと聖テレジアは、まだ読み終わっていない。
仕事に追われて、難しい本が読めない。
本を読むのも、なかなかしんどい仕事だとつくづく思う。

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10月19日

目下、以下の本を並行読書中だ。

『告白』(アウグスティヌス)
『アウグスティヌス 省察と箴言 』(ハルナック)
『完徳の道』(聖テレジア)

キリスト教神秘主義というより、心霊主義にまっしぐら−−の感がある。

こんな本も読んでいる。
『眩人』(松本清張)
『治療塔惑星』(大江健三郎)

まるでつながらないようだが、実はつながっているんだな、これが。
わたしの中では。。。。。。

それについては次回に書こうと思う。
(それって、いつなんだ?)

昨日、今日と物置部屋(書斎兼仕事部屋ともいう?)の整理をしたので、体力切れ−−である。
腱がつながったばかりの指がいたい−−(笑)
われながら、ダァ〜メダメである。

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10月18日

10月に入ってから読んだ本の記録。

『コーヒーハウス』(小林章夫)
『コーヒーが巡り、世界が回る』(白井隆一郎)
『姑獲鳥の夏』(京極夏彦)
『スプートニクの恋人』(村上春樹)
『東京奇譚集』(村上春樹)
『神の子どもたちはみな踊る』(村上春樹)
『嗤う闇』(乃南アサ)
『花散る頃の殺人』(乃南アサ)
『二十四時間』(乃南アサ)

村上春樹と乃南アサにすっかりはまっている。
以前、読んで挫折した京極堂をついに完読。
ただ、京極堂はあまり合わない。
キャラクター小説で、このボリュームはちときつい。

いまコーヒーがおもしろい。
『コーヒーに憑かれた男たち』(嶋中 労)
『すべては一杯のコーヒーから』(松田公太)

『コーヒーに憑かれた〜』のおかげで、自焙煎コーヒー専門店詣でをはじめた。
日本のタリーズを起業した松田公太氏の本はおもしろかったが、ランブルのコーヒーを飲んだ今、シアトル系には興味がもてない。
もともと他のシアトル系カフェの味も好きではない。
理屈はどうあれ、好みがあわない以上はどうしようもないではないか。

ところで、松田公太氏はいまタリーズジャパンの社長を退任している。
wikipediaの記述はいまいちよく分からないので、こちらの記事にリンクしておく。

−−日本って夢をもつひとにはちょっぴり寂しい国かもしれない。

コーヒーといえば、とんでもない人がいる。
この人である。
ライダー一号の珈琲のすごいところは、茶筅で泡立てるところにある。
さらにだめ押しで「念を入れる」のが強烈。

こういうインタビューもある。
「藤岡弘、」さんが、実際にコーヒーをドロップしている画像がユアチューブにあったらしい。
残念ながら、いまは見あたらない。

その代わり、その状況を説明している方のページをリンクする。
「ありがとう、ありがとう。。。。。」
ラスト サムライの心意気を観よ!!

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