サンタ・クロースが聖ニクラウスという小アジアのキリスト教聖者であることは、いまでは子どもでも知っている。 そのことにあえて異議をとなえることはばかげているのは、よく承知している。 ただ、気まぐれからサンタ・クロースという存在のよってきたる由来を眺めてみると、この通説にはあながあることに気づいた。 このことは実証はされていないのだが、世界の「サンタ・クロース学者」たちもうすうすは知っている。真面目な学者がサンタ・クロースを追いかけると、どうしてもこの一点にたどりついてしまう。 それはなにか。 「サンタ・クロースは聖ニコラウスではない」 という常識とは、まったく反対の結論である。 ただし、歴史学的な証拠はない。なによりも、民俗学的な事物には典型的なことだが、そのことを直接しるした文献がない。 たよりになるのは、わずかに残った図像だけだ。 いってみれば、状況証拠や傍証だけしかない。 プロの学者たちがなかなか手を出せない理由はここにある。おそらく、この問題に手をつけられるのは、人類学者か社会学者だけだろう。まともな西洋史研究者にとっては、鬼門であろう。 「サンタ・クロース非聖人説」をとるにあたっても、聖ニコラウスとサンタ・クロースの関係を全面否定するわけではない。 このことだけは、たびたび繰り返すだろうが、誤解のないようにしていただきたい。 いまのサンタ・クロースは、ある存在が聖ニコラウスにすりかわって誕生した。だが、人々の記憶では、サンタ・クロースと聖ニコラウスはやはり同一人物なのである。 こうした存在を、「影武者」といわなかったか。 上洛の途上で武田信玄が死亡したとき、甲斐へかえるとき、信玄の死を秘密にするために、影武者がたてられた。 聖ニコラウスが象徴するカトリック教的キリスト教信仰が死んだとき、聖者の蔭にかくれていた影武者が聖者とすりかわった。 これが、「サンタ・クロース影武者説」である。 聖人と影武者はいつすりかわったのか。 おそらく、それは18世紀であったろう。場所はドイツだとおもわれる。 だが、その前にいまわたしたちの知っているサンタ・クロースが、いつ出現したかを知っておいたほうがよいとおもう。 これについては、世界の「サンタ・クロース学者」のだれひとりとして異論はない。 1809年のアメリカである。 |